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Title: はんず。
2007.06.30 東急ハンズをいつもぶらぶらしてる♪なんてミスチルの歌詞にもありましたが。 ひさびさに東急ハンズにいきました。 まず思ったのが工具かっこよすぎ。 工具なんてめったに使う機会ないのに、でもめちゃくちゃかっこいいものがそろってます。メカ好きにはたまらないフォルム。いやこれほんとに。見て欲しいくらい。下手なSF映画の小道具なんかよりもよっぽどかっこいい。 無駄になにかつくりたくなるような。無駄に腰からペンチを下げて歩きたくなるような。街の中のネジというネジを締めてあるきたくなるような。そんな工具がたくさんありました。ほしい・・・でも絶対使わない・・・そんな葛藤を工具売り場でしてきました。 ほかにも万年筆かっこよかった・・・でも正直最近字をかかないし、でも買えばそれを機会にみんなに手紙でも書こうかなんて思ったり。 ウイスキーとか入れるポケットフラスコもいつかほしいなぁ。ウイスキーはのめないけど。 そして2階でマジックを実演しているおにいさんのカードマジックに驚いた振りをしてあげて帰ってきました。正直彼はまだまだです。目線の使い方がいまいちです。 全部の階を徘徊して思ったんだけど。やっぱりなにごともこだわることは大事ですよ。文具でも工具でも寝具でも玩具でも嗜好品でも。どうでもいいようなところにこだわりの一品をもてる男になりたいものです。 いやぁハンズ面白いわ。 | コメントを書く (0) | Trackback (0)Title: 経営っていうのは。
2007.06.24 経営と言う仕事は。 今何を1番最優先にするべきかを選択する仕事だと思う。 時にそれが現場の人間のモチベーションを下げたとしても、そのことを反省することで中間管理職の意識かがわるならそれはわかっていてもあえてつきすすまなければならないときもある。 逆に中間管理職のモチベーションを下げたとしても、現場の人間の志気を高めるため現場の意見を優先しなければならないときもある。 ときに働く全職員の意志に反したとしても数字をとらなきゃならないときもある。 100%相手が悪くてもお客さんの意見をきかなければならないときもある。 逆に例えそのお客さんを失ってでも自分たちのやってることに胸をはらなければならないときもある。 いま目の前におきたクレームや問題点。 そういうものが表面化したときにはじめて経営者の手腕が問われるんだと思う。 今目の前におきた事実を使って何を学ぶか。学ばせるか。 その時にいま一番この現場で欠けているものはなんだろう。このクレームや不満を使ってそこを補えるような処理をする。 それに必要なのは欠けているところに気づく能力。それを補えるような方法をたくさん持っておく能力。 これが経営者に必要な思考と能力だと思う。 会社や幼稚園の成長をとるのか。現場の人間の成長をとるのか。管理職の成長をとるのか。お客様をとるのか。 いづれを選んでも正解にも不正解にもなる。 だから最後は自分の気持ち。信念を信じるしかない。 その時に信じられる自分を作ることも経営者としての仕事だと思う。 そしていろんな根回しをして判断をして、例えいい方向に向かったとしても、それに気づかれずに、それぞれが自分が成長した。自分で気がついた。と思わせられるのが最高の経営者なんじゃないかと思う。 自分なんてまだまだ経営の「け」の字も見えてないと思うし。これから更に色んな引き出しと視野が増えて考え方にも幅が出るんだと思うけど。 でもいま思うに。ほんと経営って一言でいうけどこんなに割が合わなくてしんどいのに評価されない仕事ってないなと思う。時にものすごく孤独だしね。 ただその分自分の能力がもろに試されてる気がしてそういうのは嫌いじゃないし、そういう精神状態はほかの仕事では得られないと思うし、そこで得られるものはものすごく大きい。 Title: がらくた。
2007.06.23 江國香織の「がらくた」を読み終えた。 Title: 食育
2007.06.22 最近食育というものの重要性を切に感じる。 最近の子どもは泳いでいる魚といつも食べている魚が結びつかなかったり、旬のモノがなにかなんてことをしらない子どもがたくさんいる。 キュウリ・トマトなんて奇跡的なくらい夏に強い体を作ってくれる。トマトは体の塩分を取り除き、疲労を回復してくれて。さらに血圧を下げ、夏のイライラを緩和して食欲増進する効果があるらしい。 カリウムの多いキュウリは、利尿作用が抜群。体にこもった熱を尿と一緒に排出してくれるそうです。その上、水分の摂りすぎで起こるむくみもとってくれる。 トマトとキュウリが好きで夏バテをする人はいないそうです。 まさに医食同源。 でも実際効能だけじゃなくて、旬のモノを食べたり、みたりすることでその季節や風情を感じる心とか、そういう目に見えない部分でも食は生きていくことで大切な効果があるんだと思う。食を通してなにげないことを感じられる心や感謝の気持ちを持つことってのは大切なことです。 美しい国の定義はわからないけど基本はそういうことじゃないかな。 野菜だけじゃない、スライスされた肉やパックになった切り身の魚しかみたことなければ感謝の気持ちも湧きようがない。 いま自分のいる場所はまさにそれを実践して伝えられる所だから現実2年くらいを目処に食育に力を入れていきたいと思った。まずは同じ想いで進んでくれて、信頼できる栄養士を捜すところからだな。 せっせっと食育の本でも読みます。 | コメントを書く (0) | Trackback (0)Title: ちんそうだん。
2007.06.18 昨日母親とwiiテニスを勝負して、勝利はしたものの本気で1セットとられたのがかなりのショックです。ファミコン世代としてなんかものすごく複雑な気分です。しかも最後に、あんたうまいね。惜しかったわーって言われた一言が心につき刺さりました・・・ そんな時代ですな。wii時代到来。 さて。そんなこのご時世にこんな活動が水面下で行われているのをご存じでしょうか。 http://chinsou.hp.infoseek.co.jp/whatchin.htm ウィキでも「珍呼運動」として暴走族のコーナーに紹介されてます。 早い話が「暴走族」をみんなで「珍走団」と名称変更して呼ぼうという運動です。 暴走族という名前が暴走行為を助長しあこがれを抱かせ、また暴走するほうも自分たちは暴走族だから暴走しなければならないと思ってしまうというわけです。 なかなか面白いと思いました。 人は周りから呼ばれたり、そう扱われることで変わっていくってのはここ最近の経験で感じたことだからこれが浸透したら間違いなく効果はあると思う。 いままで深夜のコンビニに座り込んでこんな会話を広げていた15歳の少年。 「おれさ。最近先輩に誘われて暴走族はいったんだよね」 「まじかよ!おめぇ気合いはいってんな」 「まじ喧嘩上等だぜ夜露死苦!」 「かっこいいなおい!」 それがこの運動が浸透すれば。 「おれさぁ。最近先輩に誘われて珍走団はいったんだよね」 「まじかよ!おめぇ深夜にわらかしてくれんなwwさっさと珍走してこいよ!」 「ばか。あんま大きい声でいうなよ。夜な夜な珍走してるなんて誰にもいえねぇよ」 「だっせーなおめー」 ってなるに違いない。 人はなんだかんだといっても周りからどう見えるのかってのは気になる生き物だよね。 Title: 自分と向き合う時間。
2007.06.13 忙しくてなんて言い訳にもならないけど。 アリストテレスやプラトンやアルキメデスやソクラテス達が星と星をつないで星座を作れたのも、無知の知を思いついたのも、お風呂の水があふれるのをみて質量の法則をおもいついたのも、たくさんの崇高な思考や哲学を生み出せたのは彼らには十分に自分と向き合える時間があったからだと思う。 身の回りのすべてを奴隷にやらせてたんだからやることと言えば考えるくらいしかなかったろうに。 余裕というと弊害があるかもしれないけど、何もしていない時間を余裕と呼ぶならばそういう時間がなければ生み出せないものがある。 それは自分のこと。 人間のこと。 生きるってこと。 現代の一番大きな問題は選択肢の多さと娯楽の多さだと思う。 ようはなにもなければいやがおうにも目を向ける先は自分自身や人間しかないわけだ。でもいまはとりあえずテレビをつける。とりあえずパソコンをたたく。とりあえず携帯をいじる。ゲームをする。とりあえずできることだけでも数え切れないほどある。 その時間に暇だったり無駄かも知れないけどなにもしないでいたら気づけることがあるかもしれないのに。なんにもしてない時間が現代人にはどれだけあるんだろう。自分や人に目を向ける時間を持ってる人がどれだけいるんだろう。 宗教離れも命の尊さに気づけないのも少なからずそれも要因だと思う。 末法の世とはよくいったもので人間は抱えるのは簡単なのに手放すことは容易にできない生き物なのに、次から次へ抱えたくなるようなものがあふれてくる。 だからどこかで抱えるのをやめないといつまでも本当に大切なものは見えないのかも知れない。 手放すことで得るものがはかりしれないってことに気づけないまま死んでしまうかもしれない。 一番強い人間はなにも持ってない人間なのかもしれない。 現代において自分を保って生きるってことは本当に難しいことだと思う。まだ昭和の高度経済成長前までにはすこしはいまよりも自分と向き合える時間はあったんだと思う。 明治昭和初期を最後におれは有名な哲学者を知らない。 なんで生まれてきたのかとか。 人は死んだらどうなるかとか。 なんで太陽は明るいんだろうとか。 地球ってなんだろうとか。 そんなことに疑問が浮かびそうになってもテレビのスイッチを入れればそんな疑問を一瞬でかき消す。 自分でなにかを手放して、何かに線を引かなきゃ一生見えないものがたくさんあると思う。かき消されていくものがたくさんあるんだと思う。 そのかき消されたものこそが生きていく上ではなにより大切なものだったりするんじゃないかと思う。 曽我先生が、もう娑婆の話は十分ですわっていったのが今素直に了解できる気がする。 合理的じゃないかもしれない。でも合理的ってのは生活や仕事をする上ではプラスなのかもしれないけど、生きる上ではマイナス要素の方が強いかも知れない。 そんなのナンセンスだって言われるかもしれないしいくら考えても答えなんてでないかもしれないけど。 でもせめておれはわからないと言うことを知りたいし、考えることをやめたくはない。きっとおれの仕事はこういう事の繰り返しなんだと思う。 このあいだどしゃぶりの日に雨音が本堂に響いていた。豪雨だったその日の雨音は轟音のように轟いていた。その中で1人で座ってたら、ふとああ静寂ってのはこういうことかって思った。実際はものすごい雨音がしてるのにいまここに流れているのものは間違いなく静寂だと感じた。 全く音がしなくて、対比する音がなかったら、そこにあった静寂をこんな風に感じることはなかったかもしれない。 それと同じでおれがこんなことを考えられるのも自分がいまそんな現代に生きているからで、これが比叡山にでも篭もって修行でもしてたらそんな疑問にも気づけなかったのかも知れない。 おもうにこれが非僧非俗の精神なのかもしれない。 | コメントを書く (0) | Trackback (0)Title: ボールは友達。
2007.06.04 今度フットサルの大会に出ることが決まったのでせめて体作りと最近せっせっとサッカーの練習してます。 スポーツは国境を越える。とはよく言ったモンで。 ほんとにスポーツは国境も年齢も一気に飛び越えてお互いの距離を縮めてくれるんだなぁって思う。 こないだ公園で練習をしていたら、近くのインターナショナルスクールの小学生達に試合を申し込まれた。二つ返事でOKしたんだけど。 こっちは2人。相手は10人以上。 しかもこっちはもう30手前。 せめて2人はきついと訴えるとこっちにフランス人の男の子が3人はいってくれて、5人VS8人くらいの試合になった。 しかも何分やるの?っていったら30分ハーフでって・・・ しかし相手は小学生 負けるわけには行かない。 顔だけ見てたらかんぜんにロビーニョやベッカムやロマーリオ、エマニエルボウヤと蒼々たる面々。 しかも実際プレーが始まったら体力もあるし顔だけじゃなくベッカム似の男の子はめちゃくちゃうまい。 試合始まって前半はやっぱこっちも元気だし、大人げないけど当たり負けすることもないし有利に試合を進め、おお。おれらなかなかやるじゃんと思ったのもつかの間。 すぐにエンジンはきれ汗だくで息も上がる。 さくっと一対一もぬかれる始末。 そんなおれらをみて、かわいそうに俺らとおなじチームになった小学生がフランス語で相手のチームになにやら提案している。 フランス語はわからなくても感覚でなにを話しているかはわかった。 自分なりに通訳すると。 「おいこのジャポーネはもうばてばてで使い物にならん。だれかこっちのチームにはいってくれ。」 それに対してむこうのチームのリーダーらしき少年。 「大丈夫だって、もうすこしがんばれよ!」 「いやみろよ。あいつもう無理だぜ。お前こっちこいよ!」 「いやおれははいりたくないよ。」 そんなやりとりの後、うちのチームの少年は直接相手チームの何人かを名指してこっちに呼び始めた。 でも返事は。 「のん」 「のん」 「のん」 うん。 いくらおれがフランス語わからなくても「のん」はわかるぞ。 嫌なんだよね。こっちにくるのが。 そんなやりとりの後しぶしぶ、 ロマーリオがこっちのチームに来てくれたがそんなやりとりを見せられたらがんばらないわけにはいかないと、奮起して試合復帰。 いっきにたたみかけてやろうと思って気持ちは前にでてるのに体はついてこず完全に足がもつれました その後ふらふらになりながらも後半戦をやり抜いて試合終了。 くそ。 いまにみとれよ少年。 大人をなめるなよ。 こんどリベンジするからね。 | コメントを書く (0) | Trackback (0) |
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