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Title: お花見します!
2006.03.30
場所:文京区播磨坂 今年は若干まだ人数が少ないです。 4月の1日は天気は晴れ気温は18度のうららかな春の日差しが予想されています。 みなさんお誘い合わせの上ぜひご参加ください! Title: サクラサク
2006.03.28 春になると無駄に歩くことが多くなる。無駄ってのは言い換えれば余裕だ。余裕がなければ無駄にするモノなんてなにもない。余裕は人生にゆとりをくれる。ゆとりは自分に彩りをくれる。 そんなことを考えながら自転車に二人乗りをしたカップルを見てなんか春が来たなぁとか思いながらカメラをぶらさげて散歩をする。 いえの周りの桜はもう満開だ。この季節になるとホントにここにすんでてよかったと思う。家を一歩出ると満開の桜。最高に贅沢だと思う。 歩いているいると冬には気づかなかった発見をすることもある。信号待ちでふと目を落としたらマンホールにも桜が咲いていた。 こういう発見の1つ1つが楽しい。 やっぱ春はいい。 | コメントを書く (0) | Trackback (0)Title: ヒーローになること
2006.03.25
そして子ども達が大好きな遊びに闘いごっこというものがある。 最近じゃあぶないのでうちの子どもには戦いごっこをさせないでくださいという親がいるが、戦いごっこをみていて思ったことがある。 そもそもごっこ遊びとはイメージをするところからはじまる。 自分がヒーローになって敵を倒したり基地に隠れたり、想像力を使ってイメージを作る。 3歳の子どもは自分一人が主役になってヒーローになりきってその世界にどっぷりつかる。それで満足。 これが4歳になるとごっこ遊びは一人ではなくなる。 何人かの男の子が集まって基地に隠れたり、協力技をくりだしたり連係プレーをして敵を倒すようになる。 これってすごいことだと思った。 おなじイメージを何人かで完全に共有してその世界にのめり込むってことは間違いなくその子ども達には同じイメージがはっきりできてるってことだもんね。 想像を共有できるってほんとにすごいことだと思う。 これが5歳になるとさらにすごい。 イメージの共有までは同じなんだけど、イメージの世界につかりつつも仲間を気遣うようになるし、なによりもイメージを壊さないために自分たちでしっかりとした暗黙のルールを作る。 これ以上やったり、これ以上強くたたいたらきっとこの遊びは終わっちゃうな。ってことをしっかり頭の中で考えてイメージ広げながらなおかつその世界を保つことを楽しんでいる。 ごっこあそびってほんとに奥が深い。 遊びが間違いなく子どもを成長させている。 もちろんたまに無茶したりかげんができなかったり、すっごい高いところから飛ぼうとしちゃったり、そういう危険はあるけど、それをしっかり見ているためにちゃんと先生がいるから、だから見た目だけであの遊びはあぶないとか、争いごとだからってやめさせたりしないでほしいと思う。 子どもは遊びを通して自分たちの世界を大きく広げようとしている。 ヒーロになることで間違いなく子ども達は成長をしていく。 たかが戦いごっこ、されど戦いごっこ。 Title: はるおぼつかなし
2006.03.16
自分はああだからこうだから。人間は言い訳するのが得意な生き物だ。 だから言い訳のできない場所まで自分を追い込んでみたい。
西洋の人間は下から水を噴き出させることに美徳を感じる。東洋では逆だ。上から落ちる水に美徳を感じる。 それには国民性がすごく現れているように感じた。いつだって西洋の人間は自分の力で道を切り開いてきている。なにかを発明し、開拓し、人間の力で道を切り開いてきた。だから自然の摂理を取り込んでそれを人間の手でつくりだすことに美徳を感じる。 それに対して東洋の人間はいつだって自然とともに生きてきた。八百万の神、自然には神が宿るという土着信仰もしかり、自然が自然のままでいる持っているものに美徳を感じる。 噴水に美徳を感じるという感性は日本人のもつそれとは明らかに感覚の部分で異なるように感じた。 なんとなく話はそれるけど風鈴ってのは自然の流れを音で目で感じて楽しむ。ほんとに良くできてると思う。風鈴を考え出した人の感性はすばらしい。 ちなみにうちには一年中風鈴がかかっている。
こないだ友達と4人で呑んでいるときにふとその友達が実はおれ婚約したんだっていうことを発表した。あまりに唐突だったのでびっくりしたんだけど、なんかその話を肴に呑んだ酒はすごいうまかったしすっごい楽しかった。気持ちの問題なんだろうけど、どんな美味しいもの食べながら呑むよりも会話こそが最高の肴だ。 みんなで呑みたい。
NOMUSIC NOLIFE Title: おとなになる
2006.03.08 大人になるとできることの一つに大人買いがある。そうビックリマンを箱ごと買うことが夢だったあの頃・・・ いまのおれには段ボールごとでも買える。 いきつけの中華料理屋でたらふく酢豚をたいらげて家路につく途中の自動販売機でピーチネクターを発見した。これはお茶好きのおれが唯一みとめるジュースだ。なかなかおいてある自販機もコンビニもない。しかもこの自動販売機全品100円。このご時世に100円。むかしは100円玉握りしめてジュースを買いにいったもんだ。 おもむろに100円玉を投入。続いて100円・・・また100円・・・・連続して響く缶が落ちてくる鈍い音が心地イイ。 しかし次の瞬間おれは直感で悟った。 これ以上やったら取り出し口が詰まる・・・ 合計5本のピーチネクターを抱え家路につく。 これいわゆる大人買い。 こっからここまで全部ちょうだい。 銀座でこれをやるにはおれは大人度はまだまだ足りないけど。 あの頃小銭を握りしめてかよった駄菓子屋で俺をみつめる子どもを横目でおれはこういう。 おばちゃんうまい棒全部! これができることがおれが大人になったなによりの証だ。 少年よいつかこういう大人になりなさい。 | コメントを書く (0) | Trackback (0)Title: 初春の雑想
2006.03.02
暑さ寒さも彼岸まで。毎年のことだけど昔の人は旨いこというなと思う。 はやく春になれ。 そういえば去年の暮れに寺の庭に桜を植えた。 植木やさんの話しだと初めの年は8分くらいだろうけどきっと咲くとおもうとの事だった。 いまから待ち遠しい。 ************************* 幼稚園はもう今学期も残すところあと17日、3年間過ごしてきた子ども達もいよいよ小学生になる。まえにも書いたけどこの時期の3年間はほんとにでかい。こんなに「みるみるうちに」っていう言葉を体感できる場所はなかなかないだろうな。こないだまでびーびー泣いてたあの子ももう小学生か・・・ なんて感傷的になりつつも年度末の急がしさは師走に匹敵する。来年のことをいうと鬼が笑うというけれど、この業界いまが師走、来年度の計画と今年度の総決算でで頭はかるく飽和状態だ。 分野の違う脳みそをフル回転させてる気がする。 そして学校関係には「謝恩会」というものがある。幼稚園でも例外でなくこの時期には謝恩会が行われる。 なぜかそこで今年平井堅の「POP STAR」を歌わされることになった・・・謝恩会ってのはたしか先生に感謝をしようという日ではなかっただろうか・・・どうしておれがアフロを被ってPOP STAR? 「?」を抱えながらもやるからには中途半端な笑いはいらない。とことんやってやる。 ************************* 「新聞」について。うちは昔からほとんどの新聞を取っている。朝日・読売・日本経済・産経・・・・ でもまぁみんなうすうす気づいてはいると思うけどおれは読売新聞が好きだった。思想の問題もしかり、実際にほとんどの新聞を読み比べてみて書いてあることに一番共感できたのが読売だったから。 でもなんか最近突然読売が変わった気がする。いきなりいままで言ってたことをひるがえしたり、なによりも日本のナショナリズムを推し進めてきた方針からそれに相反する記事を掲載することが多くなってきた気がする。とくに去年の6月頃に出た記事にはまじで衝撃をうけた。 なにかがおかしい。 と感じているのはおれだけなんだろうか。 一方 朝日がのジャーナリズム宣言と題して下記のようなCMを流し始めた。 言葉は 感情的で 残酷で 時に無力だ。 それでも信じてる 言葉の力を。 凄惨な事件やなんとなく暗い世論や人々の心を変えられるのは言葉であったり文字であったり。そういうものを喚起することでなにかが動きはじめるかもしれないって、期待をしてしまう。 なによりも俺自身がそう信じてるからこの一文にはすごく共感できた。そしてCMでは朝日の日という文字が赤くなるんだけど、なんとなく日本を連想させるイメージだ。 なんか各紙方向転換なのかな。 今後の動向がきになる。 ************************* 文字をかくということは、漠然としたものをはっきりさせることができる。自分の中にあるモヤモヤしたものや抱えてるモノ、そういうものがなんとなくでも形になる。逆に人の文章を読んでいるときに、この人の中には、きっとこういう漠然としたものを抱えてるんだろうなって感じることがある。 そして時に人の書いた文章に自分のなかにあったモヤモヤがきれいにされることがある。だからきっと活字が好きなんだと思う。 人に好きな本は何ですか?ってきくといろんな本が挙げられるけどきっとその中にはその人が抱えてたもやもやがすっとする一文があったんだと思う。だからきっと印象にもつよく残るんだと思う。 ************************* |
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