• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 世間話とマリナーズ
2006.01.29


最近お寺にふらっとなにげなくお茶を飲みに来る人が多い。

そんな日を2,3日スゴしていて気づいたことがある。お年寄りは世間話がうまい。

たとえば天気の話からはじまって、時事ネタをふまえて20~30分話してうまいこと話をきりあげて帰っていく。

なにを話しに来るわけでなくただお茶を飲みに来る。そこで0の状態から話を膨らませて20~30分は話せるわけだ。

それってあたりまえだけど、いまの若い人には失われつつある能力なんじゃないかなって思った。

昔はテレビだってあまり普及してなくてましてやパソコンなんてもってのほか、部屋にいたってやることなくて、しかも大家族で、いまと決定的に違うのは会話の量だとおもう。

たとえば今初対面の20代の二人がお茶を前にはいどうぞっていわれたら何を話そう・・・とかどうしようとか・・・おもむろに携帯をとりだしてみたりするんじゃないだろうか。

でも片方がおじいちゃんやおばあちゃんなら間違いなく安心して時間が過ぎるに違いない。

コミュニケーション能力、相手のタイミングや間を感じながら自分も会話を進めていく力がだんだんと会話をする機会が減ることで衰えていってるのかもしれないって思った。

そんなことをおもいながら家に帰ってニュースを見ていたらマリナーズに入団のきまった城島選手がテレビにでていた。

ふとみるとそのよこで城島になにやら耳打ちする男。

どうやら通訳のようだ。

よく見るとなんと!あの男。

イラクにいってた小学校からの友達のKバロン・・
ここにも何度かかいたけどほんとにバカな男。
城島の通訳になれるかもっていっててほんとになりやがった。


今心配なのは、あいつの日本語で大丈夫なのかどうかと言うこと・・・・・

さぁいい機会だしシアトルいくか!!

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Title: 写真の話
2006.01.27


少し前にコニカが写真事業から撤退するというニュースが流れた。

デジタルの波に押され採算があわなくなったのはわかるけど、すこし寂しい気がする。

うちは先祖代々親戚一同、みんな写真が大好きで小さいときからたくさんのカメラと写真にかこまれて育ってきた。親戚は写真屋さんだしいまでも物置をあされば骨董のようなカメラがゴロゴロでてくる。

物置には戦前戦中戦後・・こんなときによくカメラあったなっておもうような写真がたくさんある。(昔から新しいもの好き・道楽家系)こないだは東京オリンピックの開会式の会場での記念撮影がでてきた。

でもいままでいきてきて俺自身は全く写真にも興味を示さず、めぐまれた環境にいながらも、どうも写真はおじさん達のやるものだっていうイメージがぬぐい去れず手を出してなかったんだけど、数年前にふとしたきっかけで写真をはじめようとおもってカメラを買った。血筋なんだろうか。

NIKONのFM3A

やるなら基礎からやりたかったからこのカメラを選んだ。正直はじめはまったく思った通りの写真が撮れず、真っ黒や真っ白なんてことも多々あった。

まだほんと2,3年しかたってないけど写真のおもしろさ、写真の奥深さ、難しさを痛感しているし、いまでも全然先も底もみえないし、決してうまくなったとも思えない。

いまはデジタルもたまにつかうけどやっぱりシャッターを押すときの気持ちの入り方は全然違う。取り直しができない分、すっごい頭使うし、二度とこられないような場所ではたった一つのシャッターを押すだけでだいぶ悩む。

思うように写真が撮れなくて、右往左往して苦労してやっと自分の思ったとおりの色がでたり、思った通りの光が撮れたときの感動はデジタルでは絶対に味わえないと思う。

思い通りにイイ写真がとれてたときの感動は何倍にもなる。

だから写真屋さんにフィルムをとりにいくのはいまでもどきどきする。まぁその分落胆が大きいときもあるけど・・・

そうやって右往左往しながらも自分の色や自分の光を捜していくっていうのが楽しいんだと思う。

同じ写真は絶対に2枚とれない、それだけ繊細でいて可能性を秘めた表現力はフィルムでしか味わえないんだとおもう。

最近本当に写真がうまくなりたいと痛切に感じる。

もちろん実際にデジタルで撮ったものはピントも完璧だし、その場で確認もできるし、思い通りの写真が簡単に撮れるからミスできないときや記録用やサイトにつかう写真などには絶大な信頼があるし、どちらにもお互いにないすばらしさがあるから、共存していければベストだとおもう。

でも本来日本人には風情や情緒、味わいを感じる心がある。だからすべてがデジタルじゃなんだか寂しい。

富士写真フイルムが「写真事業の取り組み」について発表しています。

http://fujifilm.jp/information/20060119/index.html

いつまでも「想い」を大切にする文化は無くならないで欲しい。


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Title: 生きるために稼ぐのか稼ぐために生きるのか。
2006.01.23


仏像ってのはいろんなモノがあるけど、たいていは目を見開いてるモノはない。逆に目を閉じているモノもない。

うっすらと目を開け少し先を見据えているが焦点が合っていないような感じのモノがおおい。

はっきりなにかを見据えてる訳じゃないのに、それでもなにかみすかされたような気持ちになる目だ。

剣術の指南書のなかに極意として書かれいる一節がある。

相手と対峙したときに相手を「見る」のではなくて「観る」ことそれこそが極意だと。

太刀筋を見ようと刀ばかりを凝視していたら勝負には勝てない。観るとはなにか一点に意識を集中するのではなく、言うなれば広く浅く大きく神経を集中させることだという。

相手の全体を観ることで、足の動き、指の動き、一連の動作の流れを感じることができるという。そうして初めて太刀筋が観えるという。

これは一流のボクサーもなにかの本で同じ事をいっていた。パンチをよけようとして相手の手をみてるやつはいない。

最近では陸上の為末がハードルを跳ぶときにハードルを意識しないで周りの景色と一緒なんだって観られるようになったら記録が伸びたという。

何か一点を見つめているとそれははっきり見えるけど物事の全体像が見えていないことが多い。

たしかにそうだ。

最近では目先の利益に走ったような事件が多いけど、もうすこし物事を大きく「観る」ってことが本質をとらえるコツだなと感じた今日この頃。

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Title: たまには幼稚園の話
2006.01.17

寒い寒い。でも冬の朝の空気はきらいじゃない。ゲレンデのにおいがする。さすがにそろそろ山にいかないと。

さてたまには幼稚園の話、今年は新年から幼稚園の義務教育化の記事が新聞に載っていたし幼保一元化の問題も少しづつではありますが進んでいるみたいだ。

ここ2,3年幼稚園を取り巻く環境は著しく変わった。共働きの家庭が増えたことや少子化で子どもの数が減っていること、または子どもを取り巻く社会的背景も大きく変わった。

そんな様々な面からみても幼稚園に求められていることが大きく変わりつつある。

うちの幼稚園でも例外ではなく、ここ2,3年で幼稚園の体制も大きく変えてきた。延長保育や幼児教室、給食の選択制などできるだけ社会的なニーズに応えるように対応をしてきてた。急激な変化に職員のなかからも賛否両論あったけどたくさんの話し合いをもち幼稚園のあるべき姿、また今求められているものを考え、そしていまの体制をつくりあげた。

自分自身も最近はこれからの幼稚園はどうあるべきか、どこまでのニーズに対応していかなければならないのか、少子化の中で世の中に求められる幼稚園はどんなものだろう。そのようなことばかりを考えていた。

そして気づいたら外で子どもたちと遊ぶ機会も減り、事務的な仕事や幼稚園という外枠をつくることにばかりに没頭するようになっていた。

そしてつい先日いろいろと考え煮詰まっているときにふと園庭にでてみると、子どもたちが声をかけてきてくれた。

「先生どうしたの?」
「さっかーしよう!」
「昨日おうちでね・・」

ふと周りをみたら子どもたちは寒い中鼻水たらしながらみんなとても楽しそうに遊んでた。そんな子どもたちの顔は自分が呑んでるときよりも、麻雀してるときよりも、ダーツしてるときよりも、なにをして遊んでいるときよりも楽しそうでなんにもないただ走り回ってるだけなのになんであんなに楽しそうな顔ができるんだろうって思った。

そんな姿を見ていたら自分がいろいろ難しいことを考えて煮詰まっていたこころがふと軽くなり、はっと我に返ったような気がした。

掛け値なしに会話ができる心、おもいっきり今を楽しめる心、そんなまっすぐな子どもたちの心に囲まれいてたら、自分がこれから幼稚園でやるべきことがみえてきたようなきがした。やっぱり原点はここだなと、外にばかり目が向いていて大切な内側がみえてなかったなと反省。

幼稚園は子どもたちのためにある。当たり前のようだけど大切な原点だと再認識した。当たり前のことこそ一番忘れやすい大切なこと。こんなときだからこそもう一度自分の周りにあるあたりまえのことを確認してみようと思った。

職員室の中で机をまえに頭をかかえててもわからなかった答えを子どもたちに教えられたような気がした。

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Title: 20代も折り返し
2006.01.08


さてまたこの日がやってきた。

ある意味この日が俺にとっての1年の総決算。

25歳最後の日。

いま1年間の日記を全部読み返してみると今年1年は本当におれは必死に自分を修正したり押しつぶされなうようにムキになってたり、正直心が鍛えられた1年だった様に感じる。本当に成長できた1年だ。

1番おおきな変化はいままでよりも少しながいスパンで物事を考えられるようになったことかも。

それと25歳は本当に色んな出逢いもあったし、あとに続く思いをたくさんもらうことができた。

自分にとってほんとうに足踏みの少ない年だった。
これをこのまま26歳につなげたい。

ここ数年の中でもたくさん苦しんだけど1番前にでれたと思うから、この勢いを慣性で進むのではなく、もう1度ぐっと足を踏ん張ってマエニデル。ここが正念場。ここが分かれ目。とまるな満足するなあきらめるなを掲げよう。

でも去年はとくに思ったけど、おれはまだまだ発展途上だしこれからどんどんでかくなれるっておもうけど、悩んで苦しかった分たくさん自信ももてた1年だったし、俺がいまもってるもので乗り越えられないことなんてなにもないと思った。だからいつだって振り返らなくても大丈夫だし、先をおもって不安にならなくても大丈夫だなって思った。

いままでもこれからもいつだって自分を信じていたい。

だから

26歳は無駄に苦しまないで

後ろでも前でもない今

目の前をしっかりを見つめて生きていこうと思う。

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Title: 我逢人
2006.01.07


自分を大きく変える言葉に出逢えた。

今日はしげちゃんの紹介で日本に戻ってきているスーダン学校の先生をしている人と会う約束があったので渋谷に向かう。

スーダンからで学校の先生をしてるという情報意外なにもない状況で自己紹介もままならないままに話し始めたんだけどすぐに話はどんどん膨らんだ。やっぱり世界に出てる人に共通しているのはコミュニケーション能力の高さだなと改めて思った。聴くときにも話すときにもすごくまっすぐで気持ちのいい人だと思った。

しばらくして国連職員で地雷除去の仕事をしている方も合流して一層盛り上がる話を肴に酔いも回るし夜も更ける。

平和の話とかアメリカの話とか紛争の話。自己矛盾の話。
日本の失ってしまったものの話。スーダンには古き良き日本の姿に近いものがあるって話、イスラムの話。布施の心の話。文化の話。アラジンが英語を話すっていう矛盾の話。本当のジハードの話

いろんな話をした。

スーダンを好きな日本人に悪い人はいない。間違いない。

おれが最近あったスーダンに関わってる人はそんなにいないけど、おれの話した人はみんなおなじものをおなじふうにいいと思える感性をもってるような気がした。なんていうか温度が似てると思う。

酔っぱらってて何時間話してたかわかんないけどホントに楽しかった。こんなに自分の思ってることとか考えてることを全力でぶつけておもいっきり話をしたのは久々ですごく気持ちよかった。あたまのなかが広げられまくった。ひさびさに凝り固まって萎縮してたおれの頭のキャパが広がった様な気がした。

そして何年ぶりかで人からすごい言葉をもらった。きっとなにげない一言だったのかもしれないけど、この言葉おれは一生忘れないと思う。

ここまで2人と話をしてきて彼らの生き方とかスーダンの話をきいて正直そういう生き方が羨ましくて、いまでも旅をしてる友達が羨ましくてしょうがないのと同じで。そういう熱に当てられるとホントに心の奥がもやもやしてて、自分はこれでいいんだろうかって思ってしまうことがある、だからいまでもアジアンジャパニーズは最後まで読めない。

そうやって生きていきたいのに自分には絶対できないっていう葛藤みたいなものは苦しいからそういうときにはいつも自分をごまかしてなんとか納得させようとしてきてたところがある。

そんなことを漏らしたおれに

国連の職員の方が

僕らは海外にいるけど日本が大好きだし。間違いなく日本人なんだ。アメリカ人にもスーダン人になれないし。でも僕らはルーツとかをしっかりもってるわけじゃないし帰るべき場所もないから逆に君が何代もつづいているものを守っているということはすごいことだと思う。

そうやって日本の伝統とか文化を大切に守ってくれる人がいるから僕らはどこにいても日本人であることに胸を張れるしなによりも安心していられるんだよって。

なんか文字にすると感動がつたわりにくいかもしれないけど、この一言がおれのなかにいままであったおおきなわだかまりをとりさってくれた気がした・・・

帰り道何度も何度も思い出して正直泣きそうになった。

「我逢人」という言葉がある。

人と人の出逢い、心と心の出逢い。人と逢うことからすべてが始まるっていう意味の中国の禅語

こないだ読んだ本に書いてあった言葉でそれがタイムリーに心に浮かんできた。

自分だけで考えて自分だけで行動してたんじゃ見つからないことがある。だから人との出逢いこそがすべての始まりだと思う。構えてても、些細な偶然でも人との出逢いは何かを生み出す。人は自分と違う領域を持って生きている。だから出逢いは広く深く自分を成長させてくれる。

人と逢うことを大切に。

人に逢える場を大切に。

人と逢う姿を大切に。


新年早々良い出逢いをありがう。

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Title: ホテルルワンダ
2006.01.05


高校の時にルワンダっていうあだ名の奴がいた。

理由は小さくて細くて雑誌に載ってた難民みたいだったから。その時はなんにも考えずにみんなそう呼んでたしみんなそもそもルワンダって国をなんにもしらなかった。

1994年ルワンダで民族紛争がおきて100万人のツチ族が虐殺されるという事件が起きた。当時ルワンダには国連の平和維持軍PKOがいたのにもかかわらず虐殺を止めなかった。欧米諸国は資源のないルワンダにあまりにも無関心だったのだ。干渉する必要性がないと踏んだんだと思う。

とあるインタビューで国連軍の司令官がこういった。

「We're here as peace keepers not peace makers.」

我々は平和維持軍であって平和をもたらすことはできない。

アフリカという国はこれだけ世界から孤立していたんだ。イラクにあれだけ世界が注目するのは資源が豊富にあるからに他ならない。

でもこれは他人事じゃない。

小泉首相は「今後5年でODAを1,2兆円増やしアフリカの人々がもっとも必要とするところにつかいます」と約束をした。

街には腕にホワイトバンドをつけた人がたくさんいる。

それでも一体日本でアフリカを知ろうとしてるひとはどれだけいるんだろう。ホワイトバンドをつけた人のどれだけがアフリカの史実を知っているのだろう。

なんで突然ルワンダの話をしたかというと1月14日から「ホテルルワンダ」という映画が公開されることになった。

この映画は「アフリカのことなんて誰も興味がないから」という理由で、日本では誰も公開しようとしなかった映画でそれが有志による署名活動をへてやっと公開が決まったのだ。

http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=323478

興味のある人は是非見て欲しい作品。

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Title: 2006年始動
2006.01.03


あけましておめでとうございます!2006年始まりました!今年もよろしくお願いいたします!今年も楽しい一年にしよう。

さて元旦からお寺にもたくさんの人がきました。今日境内のお墓をみたらほぼ7割近くのお墓に色花が上がっていた。お盆にもお彼岸にも思うんだけど、日本人は宗教離れしてるとか、無宗教の国なんていわれるけど、こうやってお墓参りに来る人がたうさんいるのをみるとなんかほっとする。日本人の心にはちゃんと宗教心は残っている。

おばあさんが孫の手を引いてをつれてくる。きっと孫は大きくなって自分の子どもや孫の手を引いてお寺にやってくる。そうやって何年も何年もつながってきた大切な習慣はこれからも無くならないで欲しい。

これからはお寺も、子どもが来てもおばあさんがきてもいつ誰がきても気持ちよく、またこようって思えるような場所でありたいと思う。

そして今日は午後から靖国神社に参拝にいってきた、さすがにまだ三が日ということもありにぎわっていた。

たくさんの縁日や猿回しやいつものように日の丸を掲げた人たちもちらほらいた。やっぱり正月はにぎやかな方がいい。それからつらつらとお堀の道をあるいて千鳥が淵の戦没者墓地をお参りして帰宅。顔に当たる風が冷たかったけどひさびさにのんびりと時間を使ってやってるって感じがした。

話が飛ぶけどおれは年末や正月のテレビ番組が嫌いだ。くだらない番組をみてると、テレビが普及した代償に失った者はコミュニケーションと思考する時間だとすら感じる。テレビがなければみんなで初詣にでもいこうかとか、親戚の家に行こうかとか、みんなで集まろうかとか。暇だからこそどうやって時間をつかおうか考えるようになるし、考えて行動することの楽しさに気づけるのに。

考えて過ごす時間の方が何倍も有意義だと思う。

なにはともあれ、

今年はいろんな意味で節目の年になると思う。
まずは足下を確認。

今年もたのしい一年にしよう。

日々精進日々邁進

みなさん今年も重ね重ねよろしくお願いいたします!


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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。