• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: テーマ is 俺
2005.05.31


無知でもぬるま湯でもなんでもいい。
おれの周りにあるモノはぜんぶおれの素
ぜんぶおれの一部分。

だからそれでいい。

説教くさくても目の輝きがなくなっても
すべてまるごとぜんぶがおれだ

うけいれようじゃないか

おれはおれの環境でしか作られない。

いままでもこれからも

机上の空論でもきれいごとでも
どうどうと言うさ

これがこの瞬間のおれの全部だ
これがおれのすべてですと胸張ってやる。

それができればそれでいい。

おれにはおれ以上のことは考えられない
おれにはおれ以上にはなれない。

いまのおれはこうやってできてきたんだ。

そしてこれからもこうやってできていく。

最終的にどこにいきつくか

おれはまだまだ発展途上だ。

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Title: 携帯にて・・・・
2005.05.30


こないだうちの物置をあさってたら
こんなカメラがでてきた。すげー
今度早速撮影してみたい。

mamiya.jpg

そして今日はラーメンを食しに世田谷へ
魚介ベースはあまりタイプじゃなかったけど
なかなかうまい。40分並んだ甲斐もあった。

setagaya.jpg


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Title: リニューアル更新
2005.05.29


リニューアル完了しました。
今回は色々試行錯誤の末のリニューアルでした。
まだ細かい修正や変更を入れていくとおもいますが

今後も徒然なるなるままに裸一貫日々邁進していきますので
どうぞよろしくお願いいたします。

つきましてこのページのリニューアルにご尽力いただきました皆々様
この場をかりてお礼申し上げます。ありがとう!
今後ともよろしく!

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Title: 自己とはなんぞや
2005.05.28


さてまず何から書くべきか。

「本当の瞬間はいつも死ぬほど怖いモノだから
逃げ出したくなったことはいままで何度でもあった。」

と甲本ヒロトは言う

おれの中で本当の瞬間とは

旅をしてるとき。
自分より大きななにかに立ち向かってるとき。
眠れずに布団で目を開けてるとき。
自分の根本をタイムリーに見透かされたとき。

今日久々に本当の瞬間を感じた。

今日言われた言葉はずれてない。
少なくとも今のおれの核心を得ていた。

最近おれの書くモノが説教くさい
そしてあの頃に比べて目の輝きがなくなったと。

思い当たる節なんてたくさんある。
自分がなぜそう見えるのか自分が一番よく知ってる。

あの頃と今と決定的に違うのは、
あの頃には自分と向き合う時間が余るほどあったこと
そして自分をとりつくろわなきゃいけないのはコンパくらいだったこと。
でもいまは違う。極端に自分と向き合う時間が少なく
自分を取り繕わなきゃならないところだらけだ。

だからいままでの俺の書いたモノ
ここにあるモノもその前に書いたモノも。
いままで明らかに内から外へむけていたものが
最近は、自分の内にあるものを引っ張り出してきては
一生懸命みがいてそしてなによりもそれをまた自分に向けて発している。
自分にむけ説得してる感がつよい。

板に付くとは技術的なモノだということを
いやと言うほど知ったここ数年で
本当の自分ではないと知りながらも
自分という存在を演じることが
すべてを円滑に進めるコツだというとこを学んだ。

今のおれはいつだって認められたい感でいっぱいだ。
そのためにひとまわりもふたまわりも大きなぶかぶかの着ぐるみを着てる。

きっといつの間にかそういう自分を自分の中で
ちゃんと気づいてたつもりだったのに
境界線がぼやけてきてたんだと思う。
誰でもすくなからず仮面の一つや二つもってるし演じ分けてると思う。
でもそれをいつのまにか自分の中に取り込んでしまって
だんだんに自分の境界線がぼやけていくんだと思った。

そりゃ目も濁る。

きっと文章にもそれはでる。
そんな小さな変化に気づいたあんたもすごいよ。

それをはっきり他者に指摘されると目が覚める。
はっと我に返った気分だ。
それが自分の認める人間なら効果は大きい。

本当の自分といかに向き合って、
いかに仮面を取り払って生きていくか。
すべての苦しみが執着から生まれるならば
執着をすてること。仏教的思想の原点だった。

自己とは何ぞや。

清沢満之よ教えてくれ。

自己とは何ぞや。

今日はいい機会だった。

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Title: サイト存続決意表明
2005.05.25


いろいろ悩んだあげくブログ化やめます。
個人のWebsiteには個人のWebsiteにしかできないことがある。
ここはおれの最後の砦なので
やはりHPとしての形式を貫こうと決めた。

それを記念して大リニューアルを決意。

やはり長いものには巻かれたくない。

さぁてまたパソコンと向き合う時間が増えるな
技術の底上げも兼ねて今回は
納得いくまで作ってやる。

こうご期待。

そう決めて
ひとりわくわくするおれ。

ビルダーの底力みせてやる。

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Title: 夏がくる
2005.05.24


今日入道雲が出てた。それだけでもうわくわくしてくる。
友達から夏の旅行の予定のメールとかもきて
もう気分は夏に向かってまっしぐら。

今年も一年分のエネルギーを十分に充電して
一年間の原動力にしたい。

夏俺無敵。

それと平行して最近悩んでることがある。

最近ブログが主流になりつつあり
こないだも書いたけどみんなのブログは
すごく刺激になり、あいつこんなこと考えられる奴
だったんだなとか、友達の新たな一面の発見にもなったり
ほんとにおもしろい。

ブログのいいところは更新が楽だというところだ。
ここのサイトもDiary更新するのなにげに小さな手間だけど
一手間かかる。だからちゃんとパソコンに向き合わないと
更新ができないという欠点がある。

だからここのDIARYのところをブログ形式にしようかな・・・
でもなんかながいものには巻かれたくない気質が抵抗をしている。
それにここはおれの最後の砦だからそうやすやすと乗り換えたくもない。

でもな、更新こそがサイトの命。

更新しやすいにこしたことはない。

悩むな。過去の日記の移行作業も手間かかりそうだしなぁ。

だいたいブログの場合サーバーが落ちたら
過去の日記が消えちゃう可能性もあるわけで・・・

さてどうするか思案中。


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Title: 歴史の中の1ページ
2005.05.20


書きたいことが次から次へと
わいてくるのにそれに書く時間がついてこない。
社会人になると自分が見えなくなるんじゃなくて
自分を見直す時間が極端に減るんだと思う。

最近友達のブログ進出が結構多くなってきて
一人また一人とリアルな友達がブログに進出してきてる。
それ読んでたらいい刺激になる。

特に旅先であった友達のブログを読んでると
やっぱりこの人たちとは感性近いなと思うことが
多々ある。

今日お寺にきた古くからの檀家さんに
君の曾おばあちゃん(96歳という長寿)がいなかったら
いまのこのお寺はないよと言われた。
曾おばあちゃんはまったく人を差別しないと言うか
どんな人にでもフラットに接することができる人で
とにかく裏表もなく浄土真宗の染みついた人だってみんなが言う。

そして一人でいまのお寺の基礎を作った人。
旦那さんであったおれの曾おじいちゃんは
おれのおじいちゃんが20歳くらいのときに死んじゃったから
それから一人で男の子5人も育ててだれでもかれでも
困ってる人はほっとけない威勢のいいおばあさんだったらしい。

96歳で亡くなったときに葬儀に200人を越える参列者が全国から
集まった。みんなおばあちゃんにはお世話になったっていうひとが
たくさんいて。そのときにいろんな伝説的な話も聞いた。
(泥棒にお金渡して説教してそのまま帰らせた事件とか)

自分の曾おばあちゃんがそういう人でよかったと思う。
誇りに思う。そういう心を大切にしなきゃいけないと思う。

なんか曾おばあちゃんも曾おじいちゃんも
おじいちゃんもおばあちゃんもその前のおじちゃんも
おばあちゃんもずっとずっと先祖の人たちが
いまのお寺の歴史の中の1ページにいて
それが続いてきていまの寺があって。

そして間違いなく次の1ページには自分の名前が
載るのかとおもったらなんかどきどきしてぞくぞくした

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Title: 罪を憎んで人を憎まず
2005.05.18


小泉首相はやっぱり支持できる。
たとえそれが地盤を固めるためであっても
今回の靖国参拝についての公式発言は
支持できる。

靖国参拝について戦没者を追悼する気持ちを持つことが
なぜいけない。靖国参拝について他国の干渉するところではない。
罪を憎んで人を憎まずとは中国の孔子の言葉でしょう。

おみごとです。ここまできっぱりと言ってのけた総理大臣は
初めてじゃないだろうか。
戦犯がまつられてるというが
それこそまさに罪を憎んで人を憎まずでしょう。

歴史的背景も戦争という罪もそんなものは国政の問題で
人としての気持ちを他国が干渉すべきではない。

「今回はここまでで言いたいことは言い終わりました。
ここから先は書き始めたらとまらなくなったおれの気持ちです。
めちゃくちゃながいので興味のある人だけどうぞ」

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

戦争における罪とはそもそも
戦争自体を引き起こした背景にあるんじゃないだろうか。

戦犯戦犯というがそこまでいうなら東京裁判についてだって
もっと言及すべきじゃないか。インドのパール判事やウェッブ裁判長が
のちにあの裁判は間違いだったといってるじゃないか。

中国との問題について

東京書籍の発行する日本の教科書にこう書かれていた。

「日本の中国侵略」

1927年、中国では蒋介石の率いる中国国民党が南京に国民政府を樹立し
中国の統一を進めました。満州の日本権益を確保するため
満州を中国から分離することを主張していた軍部(関東軍)は
1931年9月18日、奉天(現在のシェンヤン)郊外の柳条湖で満鉄の線路を爆破し
それを機に軍事行動を開始しました(満州事変)。
満州の主要部を占領した関東軍は1932年3月に清朝最後の皇帝溥儀を元首とする満州国を建設させ、
実質的に支配するようになりました。
当時の犬養内閣は、満州国の承認に反対する態度をとりましたが1932年5月15日犬養首相は
海軍将校の一団により、首相官邸で暗殺されました(五・一五事件)。
これにより、政党政治はその幕を閉じました。一方国際連盟は満州事変の調査を行い
1933年総会で満州国承認の取り消しと日本軍の撤兵を決議しました。
これに対し、日本は国際連盟を脱退しました。

【東京書籍】

まず満州という国について。
満州国はもともと中国のものであるという認識を持っている人がいるなら
歴史認識が浅いと思う。
そもそも満州とは中国とは切り離された独立国家だったはずだ。

60年代ソ連首相フルシチョフは中国に対し
古来中国の国境は万里の長城であり、中国の国力がそれを越えたことはなかった。
理不尽な主張を続けるならば、それは宣戦布告以外の何物でもない
といった歴史認識は正しいといえる。

ではなぜ日本は満州にいたか。
それは日本は日露戦争勝利後
ロシアが中国(清国)から借りていた遼東半島、
ロシアが満州で得ていた鉄道経営の権利をロシアに代わって
日本が借りる条約を中国とのあいだに結んでいた。
鉄道を守る日本の軍隊(関東軍)が鉄道の敷かれている周辺に駐留するようになったのも
この条約に基づいてのことだったはずだ。
つまり正当な外交政策の基に日本は満州に駐留していたのだ。

そして中国国内で清朝が倒され中華民国が設立されると
ナショナリズムの高揚と地方政府主導による反日プロパガンダが起こる。
特に反日教科書によるプロパガンダは効果を発揮した。
当時の中国において中央政府の力はほぼ無力だったといわれるが
地方政府は日本が外交交渉で獲得した権利を無視し権利の行使を認めなかった
それが共産党の思惑と合致することとなる。

中国政府は一方的な無効宣言をだし
関税自主権、治外法権を回復する運動をはじめる。

そして当時満州でもっとも力をもつ張作霖も
条約に違反し排日運動に力を入れていました。

これは江戸幕府が西洋列国と結んだ日本にとって
不利な条約を幕府が倒れた後
明治政府が引き継ぎ50年以上も
黙って外交交渉をつづけてこれを解消した
日本にとっては納得がいかなかったはずである。

そして日本が満州にこだわらなければならなった理由は
日露戦争以降のロシアの動きを懸念していた日本にとって
満州はソビエト共産主義に対する最後の生命線であったこと。

そしてなによりも世界恐慌のなか経済的に生きのびるために
アメリカ、イギリス、ソ連はそれぞれ外国からの輸入品を締め出した。
その政策は外国と貿易をしなければ生きていけない日本にとって苦しい状況であった。
そこで満州に産業をおこし経済的な自立をはかろうと考えていたこと。

それぞれの国の思惑が錯綜し
昭和天皇はじめ中央軍部が戦線不拡大を表明する中
関東軍ははげしい排日運動に腹を立て中央軍部を無視し
張作霖を謀殺し、それを引き継ぎ排日運動をつづける息子の張学良を追い出し
満州全土を治める。これを満州事変というが

その発端となった石原莞爾を中心に起こった柳条溝事件。
この事件は多く取り上げられているが
それ以前の排日運動のなかで起きたテロ行為
中村大尉殺害事件や万宝山事件については
とりあげられず、支那事変もしかり、路溝橋事件は
よく取り上げられるが通州事件や
大山中尉殺害事件などはあまり取り上げられることはない。

つまり排日テロや工作に
ついに現場の日本人が切れたわけだ。

それこそ
「事件は会議室で起きているんじゃない!
現場で起きてるんだ!」と言った気持ちだっただろう。

そして満州国の全土を統治することに成功した関東軍
のちに日本政府は軍部や世論におされ
これを認め満州国を承認することとなる。

これが俺の歴史認識の中のおおきな流れ。
たしかに中央軍部を無視して戦線を拡大するなかで
多くの問題があったことは事実だと思うし
戦うということは相手を倒すと言うことだから
戦いを始めた時点で明確な正義はどこにもなくなると思う。

ただ何をもって侵略というかは
それぞれの解釈だと思う。

満州事変において中央軍部で関東軍の統率がとれなかったこと
は事実だと思うしのちにこの満州事変が支那事変発生時
に駐留軍の統率を乱す原因になったのも事実だ。
そのことをふまえればはっきり日本は間違ったことをしていないとはいえない。
しかしこの背景は当時の国際社会の行動基準としては
けして低いものではなかったはずである。

そして国連リットン調査団の査察、国連脱退。

これが後に欧米列強の警戒心を生むこととなるわけだが
さすがにこのままその話しに突入はできないな・・・・
松岡洋右のこととかも書きたいんだけど・・
また機会のあるときにします。

これはおれの気持ちだが
そもそも中国は自分の領土の
認識をはっきり持ってないんだ。
チベットしかり台湾しかり内モンゴルしかり・・・
ソ連首相フルシチョフの言葉こそ
正しい歴史認識だと思う。

ここまで書いてほんといろんなことが次から次へと
ひっかかってこれだけ書くのにすごい体力を消耗した・・・・

だからなにが言いたいかというと
いろんな要因あっての戦争だ。
罪を憎んで人を憎まず。
戦争における罪とは
国家間の思惑であり
決して個人にあるものではない。

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Title: 文章を書くこと
2005.05.11


おれにとって文章を書くことは
自分が自分であることの
確認作業であったり
修正作業でもある。

つい最近おれの書いたものを
読んでくれた人が
おれの書く文章は
書くことで自分を捜す旅をしてるみたい。
って言った。

そういわれて
そうだそういう意味もあるんだって思った。
たしかにおれは自分の思いや心を
文章にすることで
頭のなかぐっと広げたり

こころを捕まれたり
そんなことを繰り返しながら
いまの自分を作ってきてるし
これからもそうだと思う。

その人に言われた一言で
おれにとって書くことが

本当に大きくて
本当に大切なことなんだって
再認識した。

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Title: 眠れない夜
2005.05.08


たまに夜どうしても眠れないときがある。
一ヶ月に1回か2回。
眠くて疲れてるのに眠れない。
考えることはいつも自分ってのは
なんなんだろうとかそんなことばかり。

本当の自分ってよくいろんなところできくけど
本当の自分なんてどこにもないと思う。
いろんな部分の自分があってはじめて一つの自分になるわけで
その中でここが自分なんだなんて決められるわけがない。

自分の中には矛盾してることもたくさんあるし
嫌いなところも好きなところもある。

本当は弱くてしょうがないのに
そういう自分を認めないところとか

本当はさみしくてしょうがないのに
自分はなんてことないっていうところとか

そういう心のギャップが一ヶ月に何回か
つじつまを合わせようとぎしぎし言い出す。

そういうときには決まって明るくなるまで眠れない。

でもそんな自分があるからこそ
おれはおれでいられる。

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Title: 自由に酔う
2005.05.04


酔うってのは現実と非現実の
境界線がぼやけることだと思う。
人が酔うのは酒だけじゃない。
その感覚がやめられないのは
ある種の中毒だからだ。

おれにとっての酔うってことの中には
自由に酔うってのがある。
自由と一口にいっても色々あるけど
この場合自分で自分の時間を
コントロールできるということ
それと重要なのが
いまおれがここにいることを誰も知らないこと。

たとえば昼下がりに一人思い立って
自転車で靖国神社に向かう。
おれがそこへ向かったのは完全な思いつきで
だれもしらない。

そして大通りから一本路地にはいると
休日のオフィス街にはだれもいなくて
そこにいる自分の時間だけが
ごっそり切り取られた感覚がする。
完全に日常から切り離されて
どこまでもいけるような気になる。

その瞬間自分の中の現実と非現実の
境界線が一気にぼやける。

街の片隅にあるようなほんとに小さな公園
ビルとビルの谷間の空を見上げる。
そして目を閉じると
自分だけがそこからいなくなって
急に周りだけが進んでいく。

そんな感覚を久々に味わった日だった。

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Title: 列車事故について
2005.05.01


今回の列車事故について言いたいことはたくさんある。
そのなかで特に印象に残ったのが

救助隊員よりもはやく現場に駆けつけ救助活動にあたった町工場の作業員の人。
けが人をトラックで運びつづけた運送業者の人。
道路交通法を無視してそれを先導しつづけた白バイ隊員。

さすが震災を体験した街だ。

事故を起こすのも人間。それを救うのも人間。

運命というものを信じる訳じゃないけど、事故に遭う人、起こす人、それを救う人
それぞれの命運を分けるものなんてほんとに紙一重なんじゃないかと思う。

運転手について

23歳で毎日秒刻みのスケジュールをこなし、
一秒のミスをすれば減俸処分に制裁処分。

おれでもあの日運転席にいたらスピードをだしていたかもしれない・・・

運転手になるのは大変なことだと聞く。
そういう意味じゃ彼は優秀だったと思うし。
ブレーキを握りしめて亡くなっていたという話を聞き
彼の心情が痛いほど伝わってきた。

一人息子を亡くした遺族の一人が

私もつらいです・・・・
でも運転手の親御さんの気持ちを思うと
さぞつらいでしょう・・・

と言っていた。

すごいことをいう人だと思った。
すごいことを感じる人だと思った。

重大事故や大きな災害が起きると
人間というものがむき出しになる
人の心がむき出しになる。

そういう状況に自分が直面したときに
むきだしになった自分は一体どういう行動をするんだろう。

あらためて考えさせられた。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。