• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: Take it easy
2004.06.29


Take it easy

気軽に行こう。
気軽にかまえてる人が
遠くに行ける。

全身に力入れてこわばらせたら
一歩だってままならないよ。

情緒が
感受性が
希望が

心が生きる力を生み出す

だから

心を育てなきゃね。

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Title: 顔上げないと見えない。
2004.06.23


ふと空をみて心和んだり。
一筋の風に安らいだり。
夕日を見てなんか感動したり

そういう瞬間
こころの揺さぶられる瞬間

自分の中の灰汁が
すっと抜けていくような気がする。

顔を上げなきゃそんな瞬間だって
通り過ぎていく。

たちどまらなきゃ気づけないような
ビルの隙間にあるかもしれない。

いつもと違う道を通るだけで
みつかるかも知れない。

前だけ見据えて
つかつかと歩いてたんじゃ
なんにもみえない。

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Title: 教育基本法
2004.06.18


われらは、さきに日本国憲法を確定し、
民主的で文化的な国家を建設して、
世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。
この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、
普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに日本国憲法の精神に則り、
教育の目的を明示して、
新しい日本の教育の基本を確立するため、
この法律を制定する


上の一文は教育基本法の前文。
戦後世界で一番の後進国になった日本は
これからどんな国をつくるのか
良い国を作るためには何が必要か考えた。
これから良い国を作るためには
これからの子ども達に未来を託そうと考えた。
そして教育基本法を作った。

そこには教育とは
何かが書かれている。

教育を受けるものを廊下に
立たせてはいけない。

なんてことまで書いてある。

世界には学びたくても学べない
人はたくさんいる。

最近話題の「HARUKO」と言う映画
リンクはこちら

その中で
「今の子は学校に行けるだけで
しあわせだ」って
いう場面がある。
いまでも読み書きの出来ない
ひとは沢山いる。

学ぶことの出来る幸せを改めて感じる。

戦争に負け
焼け野原で
何もない国で

良い国を作るために

教育が一番だと
子どもに未来を託そうと
考えた先人達の国を愛する気持ちに
なんか感動した。

ありがとう金八先生。


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Title: 大西
2004.06.08


久々に友達の話
高3の時に一年だけ
渋谷にある塾に週に一回だけ
通ってた。
なんせ全寮制で育った俺には
外部の人間がめずらしく
なんていうかこんなに感覚
の違う人間もいるんだなって
思うくらいいろんな人がいた。

その中でいまでも連絡とってる奴が
何人かいるけどその中で
おれがこいつだけは絶対に信じられると
思う奴がいる。
珍しく実名をだすと
そいつは大西ってやつで
実は高校の時にコンビを組んで
お笑いをやってたこともあるんだけど
その後慶応に入学
慶応なんてはいったらなんか
大西も染まってしまうのかなって
おもってたら、格好はあか抜けてるのに
イルカのネックレスみたいのしてて
安心したのを覚えてる。
TACに通って税理士の資格の勉強をしながら
いまは会計事務所に勤めてる。
なんせ堅いし、根がまじめで
おれとは正反対なんだけど
なんかウマがあう。

たまに話がしたくなる。
意味もなんもない
ただの愚痴を
言いたくなる。
最後にはああ
目が覚めた
明日もがんばろうと
自然と思える。

おれが人の意見をすんなりと
受け入れることは
あんまりないけど
大西の言うことには
いつも筋が通ってる。
頭がいいってのもあるけど
根本的にどこにも偏らない
自分の確たる意志を持った男だ

でもあいつはむっつりだ。

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Title: ほおっておいても子は育つ
2004.06.07

2004.6.7

「愚かなる愚民」
長崎でまた凄惨な事件が起きた。
その加害者の小学校6年生の女の子の
書いた文章が冒頭の一節

おれは小学校6年生の時に
愚民という言葉を使えただろうか・・・

ちなみに前に捕まった
サカキバラの書いた文章の一節
「透明な自分」

前の日記にも書いたけど
低年齢化する犯罪を起こす
加害者に共通するのは
まず本を読んでいること
そして言語能力が高い

なにか感性が荒々しく
研がれている印象がする。

netにはまっていたという
加害者被害者。
小学生という発達段階で
理性と感性、現実と想像が
まだはっきりと線引きされてない
状態で多くの情報
年齢を問わない他者との接点
をもつことは危険だと思う。

成長に見合った情報を選べない
いわば垂れ流し状態の情報を
抑制する必要があるのじゃないだろうか。

情報を選ぶだけの
心が追いついていない。
だからといって的のはずれた
こころの教育とやらを文部省が
行ったとしても全く意味はないと思う。

逆におれはかれらのこころは
正常なんだと感じることがある。
あれだけの情報と核化された社会
子供の苦悩は大人の苦悩よりも深いと
ある作家が言っていたけど、
今の子供にはそのストレスや
苦悩を発散するのに
あまりに多くの選択肢と
あまりに多くの情報がありすぎて
あんな形になってしまうことは
誤解を恐れずに言うならば
なるべくしてなったとしか思えない。
そうなってしまうことがあの状況下では
正常というかそうなっても仕方がないような
気がする。

何か起きてから心の教育
命の尊さなんていまさらやったって
子供だって馬鹿じゃない。
なにかあったからいまこういうことを
やってるんだろうなと冷静に物事を見れる
知識ぐらもってる。馬鹿にするなって
すくなくとも俺ならそう感じる。
でも心のどこかでは助けてほしい。
いまの状況をかえてほしい
でもどこかあきらめている
そんな気持ち。
おれにはよくわかる。

的はずれのこころの教育の前に
すべきことがある。

社会体制そのもの。
子供を取り巻く環境を整える。
それは公だけでも
私だけの仕事ではなくて
すべての大人の義務だと思う。
その義務を背負えない大人がいる限り
なにもかわらない。
いくら文部省ががんばっても
意味ないよ。
環境さえ整えば
ほっておいても
子供は育つ。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。