Title: 灯す。
顔をあげると前向きになるんじゃなくて、
前向きになると顔があがるんじゃないかと思うのだけど。
この2つはどっちが先でも作用しあうんだろうか。
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手にしたら。
あとはどう使いこなすか。
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年齢を問わずにいろんな人と話をしてると、ふと、ああその年になってもそこに悩んむんだとか、ああその年になっても、そこにひっかかるんだとか思うことがあって。
語彙や経験が違うから、直接的には見えにくくなっているけど、突き詰めていくと、しゃべりばに出てくる子たちの悩みや問題意識と対して根っこは変わんないんじゃないかと思うことがある。
そう思うと人間の根底にある悩みや苦しみに年齢は関係なくて、まるっと同じ方法で解決できるんじゃないかと思うことがある。
唯心論とか、唯物論の話じゃないけど。年齢はつまりは、体の使用年月を表すだけであって、悩みや感性や感覚に、それは比例して適応しているかというとそうじゃないなと思う。
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仕事をだれかに頼むときに、相手の仕事のペースや心持ちや、どういう時にその人が力を発揮できて、どういうときにモチベーションがあがらなくて、どういうタイミングで頼めばいいか、相手の独自性をよく配慮しなけりゃうまく仕事なんてふれないわけで、独りよがりに仕事をふっても効率よく、前にはすすまないわけで、過大評価も過小評価もせずに、タイミングと機を見逃さないことって大事だなと思う。
微妙なニュアンスのタイミング、これが前後にずれることを摩擦というわけで、いかにそれを少なくするか。
そういう観察力にものすごくたけてる人っているんだよなぁ。どうやったらあんな観察眼をもてるのだろうか。
観察力って生きていくうえで、ものすごい必要な能力だと最近つくづく思う。自分ももっとそれを育みたい。
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すこし先にものすごく楽しみなことがあるときに。
そこに向かう間の日々は、うっかり意識を先に飛ばしたまま過してしまうことがあるけど。
その1日1日も丁寧にしたいなと思うのにできない自分。
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誰かを頼った瞬間に、万が一のフォローの為に動きはじめるということは、本当の意味でその人を頼っているのだろうか、むしろ共倒れするくらいの気持ちで誰かを頼ることで初めて打破できるケースというものもあるのだろうか。
わからなくなることがある。
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精神的なストッパーとか、思い込みとか、自分の思う自分とか、そんなもんはきっかけ次第で簡単にガラガラおとたてて崩れるようなものでしかないでしょう。
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我じゃないものない。
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たまった膿をだすのには切るしかないわけで。
じゃ。だれが切るって話です。
執刀医がびくついてて手術ができるかい。
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戦うきみのうたを戦わないやつらがわらうだろう。
ファイト。
だって。
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家でいっぱいのみながら石田さん一家3時間スペシャルを録画してあったのをみた。やっぱおもしろい。いろんな番組がある中で、石田さん一家とビッグダディとはじめてのおつかいは最高の番組だ。光夫が怒られてるところとか、おかあちゃんの子どもに対する想いとか、孝之の結婚式のスピーチとか、何度見てもうるっとくる。大家族万歳。しかしわすれちゃいけない洋子さんもすごい。1人で焼酎のみながら独り言をぶつぶついいながら、見続けてたら気づいたら、飲み過ぎて、1人で家で飲んでるのに二日酔いになったくらいのめりこんでた昨夜。
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人生を楽しもうと思ったら、まずは今日を楽しむことであって、今日を楽しむっていうのは、今を楽しむということで。
今をいかに楽しくあるか。
そんなマクロな取り組みが生きることを楽しみに変えるのかもしれないとか思って。
雨の日にも晴れの日にも、二日酔いの朝も。わくわくしどころはどこにでも落ちてて、ようはそれを拾えるかどうかなんだろうなとか思ったら。
こないだある人に、
「写真機材は、科学と物理でなりたっているわけで、そこにあるもの以上のものは、写りません。つまり。思ってもみなかった空気が写っているときは、自分の五感が、それを感じる事ができていなかっただけ」
という言葉をもらって、それを反芻しながら、うん。ほんとにそうだ。とうなずく。
そんで、逆に自分の見えてる世界がどれだけシャッターを押しても、その中に写しだすことができない時に、悔しい思いをして、そのたびに写真がうまくなりたいと思うわけです。
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誰かや何かに楽しませてもらうことに慣れちゃうと、本当の楽しさってなんだっけってなりそうで、しかもそうなってる自分にすら気づけなくなりそうでこわい。
自分の目と頭と、感性で楽しみを拾っていけるような生き方ができればいい。
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声に張りがあるね、といわれて。
そうか、いまの自分の声には、張りがあるんだと思って。
やっぱ張りのある声が出てる時は、お腹から声が出てるんだろうし、お腹から声が出てるということは、しっかり呼吸ができてるんだろうし、しっかり呼吸ができてるってことは自律神経が安定してる証拠なんだろうと思って。
なんかそんなこともちゃもちゃ考えてたら、腹に一物かかえてとかいうけど、腹に一物抱えてたらお腹から声が出るわけもなく、張りのある声をだせるわけもなくて。
そう思えば、お腹から声がでる。というのは、物理的な呼吸とかの方法論だけの話じゃなくて、精神的な部分もひっくるめていうのかもなと思って、その物理的なものと精神的なものが絶妙にバランスがとれてるとお腹から声が出て、そこに張りというものが生まれるのかもと思った。
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理由をきかないのって優しいな。
そんな心遣いにぐっときて。
ありがたいと思った。
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通勤途中に見えるスカイツリーが日に日に大きくなっていく。
きっとこのどきどきはつくりかけの時にしか感じられないものだなと思うと、これから完成までの時間がとても貴重な気がする。
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単純なんだけど私に五感がある限り、どんなに辛くても生きていけそうな気がしてならない。
この言葉を何度も反芻する。
たくさんのものがこもった言葉というのがあって。
そこにこもったものが自分の中になにかを灯していくことがある。
あたたかさや、せつなさや、強さや弱さや、いろんな感情が凝縮されて、ぽたりと落ちてきた一滴みたいな言葉だと思った。
POSTED @ 2010.01.14 |
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