Title: 純でなんぼ。
知らないとわからないということには大きな違いがあって。
知らないことには人は恐怖を感じたりしないけど。
きっとわからないということには恐怖を感じるのかもしれない。
その怖さが、きっと先に手を出させたりするんだ。
わからないということはそれだけで脅威なんだと思う。
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平和っていうのは状態を指すわけで。そこにはメリットもデメリットもあるんだと思う。
平和が無条件に素晴らしいというのはわかりやすくていいけど、でもその状態であることで、影の当たる部分というのもあるんだろうと思う。逆に戦争をしていても、その中から眩しいくらいに輝きを放つものもある。
物事のすべてにメリットとデメリットをみつけるということを考え始めたら、社会というのは、たくさんのデメリットが絶妙にバランスのとれたものであるんじゃなかろうかと思う。
それと、いま日本が平和だとしたら、そのデメリットは間違いなく日本人の中に浸食してると思うし、平和とはいえない国の人たちに日本人にない何かを感じるのはそういうことなんだろうと思う。
そんで、メリットだけやデメリットだけを得ようとか消そうとかしても無理なんだと思う。
メリットとデメリットはいつだって対になっているんだと思う。
だからメリットだけ追いかけるのもやめたいし、デメリットだけを嘆くのもやめたくて、メリットの中にある対になったデメリットと向き合いたいと思うのです。
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特化するということは、多くのデメリットを抱えるということであるんだろうと思う。デメリットの少なさはそれだけ特化していないということになるんだろうと思う。
そのデメリットを1つ1つとりあげて、ああだのこうだのいうのが好きな人たちにはいわせておいて、自分の矢印だけしっかりと定めてなにかに特化していくのか否か。
自由選択とはいえ、そこで選択してでも特化したいなと思うことが多くなると、いままでの生活の中のどこに楔をいれなきゃいけないのかも見えてきて、その楔を打ちおろすのに躊躇いながら悶々する。
きっといまがその過渡期で、いままで若いうちはねきっと個性個性と言いながらも、個性の意味を履き違えてて、みんなと一緒だということに安心してたと思うんだ。
でもそれぞれがいろんな方向に進む中で、いま30歳になってここから先なにかに特化していくということは、ギャップもジレンマも、またデメリットも許容していくということなんだろうと思う。
それを許容するのに生じるいろんなものに疲れたり、人間なんで弱い方に流れそうになった時に、自分を立て直す理由を自分の中に持ちたいのに、それがどうしてもできない。
どうしてもそれを外に置いてしまう自分の器の小ささ。
もっと強くなりたいと思う。
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なんかこないだ甲冑をみていて思った。
日本って左右非対称の美学が根底にあるんだろうと思う。
きっと左右対称とか秩序のとれた美よりも、日本人はそうじゃないものに惹かれてきたんだろうと思える節がたくさんあった。
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ほっといても価値のさがらないものを自分の真ん中に置きたい。
POSTED @ 2010.06.11 |
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