Title: 諸子百家
今年は桜がいつまでも咲いていてうれしい。
いつでも花見気分。
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士農工商をはじめに考えついた人ってすごいなと思った。
本当の意味で、人間のメリットとデメリットを知ってなきゃ思いつかないし、それを社会のシステムの中に組み込んだという発想はすごすぎる。
人間の動機付けなんてものは、結局は士農工商みたいなもんなんだと思う。誰もが自分が一番下にならない士農工商。
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すべての出来事には必ず反作用の力が働くなぁと考えはじめてから、いろんなことに当てはめてみるけど、やっぱ間違いないと思う。
だから大抵のことは中途半端にそれを止めるくらいならとことんまでいけば、自然と元の位置に帰ってくるんじゃないかと思う。一番よくないのは、中途半端にいったり来たりしてることなんだろうと思う。
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5秒悩んでシャッターが押せなければ撮るのをやめてみて、思うままに押すのだけど、それはそれでうまくいかなくて、はてどうしたもんかとおもって。ぐるぐる考えれば考えるほどに引き出しを増やすのは難しい。
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仏に遭うっていうのは、いうなれば省みることであって、結局仏がどこにいるかといえば自分の中なんだろう。
青い鳥みたいなもんで。
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自分の手の届くような身近にいる人をみてると、なんとなく日本はまだまだ大丈夫なんじゃないかと思うことがある。
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浅く考えること、と深く考えることには、それぞれがメリットとデメリットを兼ね備えてるわけで、使い様なんだろうと思う。
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どきどきしたり、たくさんぐっとくるような会話をした次の日は、どんなに体がつかれても、なんかすごく体の調子がいい。
気分的なものだけで、片付けられないくらい、確実に違う。
逆に消耗するような会話をして眠った次の日の体の調子はあんまよくなくて。
今週はどっちもあったから、間違いなく物理的な部分で体の変化をつぶさに観察できてよかった。
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しょうがない。で片付けられることなんて本当はなんにもなくて。
でもしょうがないで片付けないと、けっこう生きにくい。
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胸くそわるい資本主義の弊害をまざまざとみせられると、ほんとにわびもさびもあったもんじゃないと思う。
いつから日本人はそんなに行間を読めなくなったんだ。
行間を文化にまで昇華させた民族性も、そこにあった素晴らしい価値観も簡単に消し飛ばせるような世の中になってしまって。
たちあがれるのか日本。
でもきっと反作用な力が働くさ。ぶっこわれるまでつきすすめばいい。あと一息だよきっと。
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その人とまた会いたいかというのは。
自分がなにを話したかどうか、というよりも、自分の話しをどう聞いてもらえたかということなんだろうと思う。
うまく話すことよりもうまく聞くことの方がずっと難しくて、きっとそれがうまい人に、人は安心とか信頼とかそういうものを抱くんだろうと思う。
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夜中の丸の内で誰もいない町のビルの谷間を歩いていたら。
すげえな人間。
こんなもんをぼこぼこたてれるなんてと思って。
でもなにをそんなに意固地に主張するんだとも思った。
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気分転換の方法やが多ければ多いほど、それはそれで、フラストレーションになるんだ。
叶えたいものが多ければ多いほど、それはそれだけの苦しみを抱えてるということとイコールだったりもするんだろうと思う。
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POSTED @ 2010.04.11 |
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