Title: ヒューストン
今更だけど学ぶということはなにかがわかるようになるんじゃなくて、わからないことを増やすようなものだなぁとしみじみ思う。知れば知るほど分かんないことだらけだ、学んだ分以上にわかんないことが増えるとときにものすごいあせりとかむなしさを感じることがある。途方もないなほんと。勉強や経験はなにかができるようになるために、なにかがわかるためにするんじゃなくて、わからないことがたくさんあるということを知るために必要なんだろうな。ああほんと途方もないわ。時間がたくさんほしい。
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一度好きになった人のことはきっといつだって好きになれるんだと思う。逆をかえせば一度も好きになったことのない人を好きになるということはないんじゃないかと思う。少なからず一度恋に落ちた相手には年齢や時間なんて関係なくきっといつだって恋に落ちれるんだと思う。一度も恋に落ちたことない相手に急に恋に落ちるなんてことがあるんだろうか。自分はきっとないと思う。
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自分が話をしていて、楽しいなと思える相手の条件の1つは、その人が自分自身のことをどれだけ冷静に見られてるかどうかということがあるかもと思った。自分を冷静にとらえられる人はきっといろんな物事に対してもある程度傍観できるだけの視野があるんだと思う。物事を考えたり見たりする時の視点の位置がどこにあるかということは話していれば明確にでてくるし、その位置はその人をつくる思想にものすごく直結しているような気がする。自分の中にしか視点のない人は話しててもそんなにおもしろくないと思う。たまにいるけど衛星みたいなところから物事を見てる人と話すとものすごく得るものがあるしものすごく楽しい。
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たくさんの経験をしてたくさんの出来事をこなしてきて、きっと頭の中は全然違うんだろうけど、人の目の動きや間の取り方や距離の取り方や食べ方とかそういうところっていうのは何年たってもかわらないんだなと思う。
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説教臭いかもしれないですががそれが仕事ですから。
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独裁者スイッチをからめて法話を書こうとしてるお坊さんへ
やっぱり真宗ってのは山から下りた宗派なんだよ。なんで親鸞が山から下りたかということは、なにかを話す上でもものすごく核になってくる部分だと思うし、蓮如さんがなんで真宗をここまで大きくできたかといえばきっとそこに立ち返ったからじゃないかと思う。
法話の目線はあくまで非僧非俗の目線でというのを自分自身最近意識するようになった。非俗のほうはほっておいてもそうなってしまうことが多いんだけど、むずかしいのはいかに非僧でいられるかなんだろね。非僧といっても僧だしね。
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最近家電製品やパソコンを買っても説明書をぜんぶ読むなんてことはあんまりしないけど、でもふと思ったんだけど、説明書をつくる仕事ってものすごい大変な作業だと思う。そういう仕事をしている人に出会ったこと無いけど、そういう人がいたらぜひ話をきいてみたい。
でも思うに経営って説明書をつくる仕事にちょっと似てるのかもしれないなと勝手に思った。
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ヒューストン応答願います。っていうセリフを一度真顔でいってみたい。
だれか真顔でこちらヒューストン、こちらヒューストンと言ってくれないか。
そしたら
「今日も地球は青いです」
といいたい。
よし。だいぶつかれがたまってきたようです。NASAの話と寝台特急の話で妄想をはじめるというのは一種のバロメーターです。
今日ははやく帰って長風呂して利休にどっぷりつかって寝よ。
POSTED @ 2009.01.28 |
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