• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: じゅんすいむく。

純粋に。とよくあるせりふだけど。

純粋というのは。

まじりっけがないことで

まじりっけがないというのは。

きっと意識的ではないということなんだと思う。

純粋に楽しむ。

純粋に遊ぶ。

純粋に笑う。

純粋に怒る。

そこにはなんの駆け引きも経験に裏打ちされた核心もない。

年をとって純粋でなくなるのは。

たくさん経験つむからで。

明日とかあさってとか。

来年とかみえちゃうからだ。

子どもが純粋なのは経験がすくないからだ。

無意識でも日常をすごしていけるからだ。

いまここ、そんだけ。だからだ。

東洋的な考え方かもしれないけど。

芸術家も詩人も晩年に口にするのは。

やっぱり子どもは天才だ。

きっと感性をむき出しにするということは純粋でなければならないんだというところに行き着くんだと思う。

だからみんな最後は子どもの感性に近づこうとする。

経験をつみながら。嬉しいおもいや悲しいおもいをたくさんしてもなお。

純粋でいられる心は。

どうしたら手に入れられるんだろう。

純粋はというのは無意識で無条件で。

それができるために必要なものは。

知識でも情報でも経験でも自我でも個性ではなくて。

むしろそれが邪魔になる。

それを手放すこと。

だからぜんぶ捨てたい。

けど。

すてたら世捨て人だ。

社会不適合だ。

捨てられないということは。

そこにはいけない。

でもそこにはいけないと。

きっとここより先には進めない。

先。

先ということを考えてる時点でも。

まちがってるんだろうか。

意識的に無意識を目指すということは逆説を抱えているし。

でもいまからそこにいきつくためには意識的に考えざるを得ないし。

むずい。

無垢とはなんだ。

純粋とはなんだ。

手放すってのは何ですか。

手放せない場合はどしたらいいんですか。

山にこもって雨水と草と霞でも食べて人里はなれるのが正解ですか。

ここにいるということは。

いやがおうなしに。

そうは生きられない。

でも。

それじゃ限界があるんですよ。

さてこまった。

これが末法ですか。

むずいむずい。

これを超える答えはどこに書いてありますか。

広辞苑ですか。

六法全書ですか。

がっこうでもおそわってないし。

だれがおしえてくれるんでしょうか。

ああむずい。

だからカレーでも食べて。

はなくそほじって。

昼寝でもしよう。

蓮は泥がないと咲かないんですよ。はい。


POSTED @ 2008.02.29 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。