• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: ピンギヤさん。

創造は破壊への渇望で、破壊は創造への渇望だと書いたその言葉を反芻しながら走った。

10キロほど。

そしたら昔、手首を切った人が、死にたくて切るんじゃなくて、血が流れてあったかくて生きてることを確認しているみたいなもんだと言っていたのを思い出して、その時にそうか・・・と思って、たしかに自分が生きてることが確認できる作業ってのは思いのほか少ないなと思ったことを思い出した。

そんでお茶の水から水道橋に抜ける線路沿いの道を歩きながら、やっぱ人は人である以上なにかに渇望してて、それをどうやって満たそうか考えながら生きてるわけで、どんなに若くても年寄りでも背が高くても小さくても、お金持ってても持ってなくても、家族がいてもいなくても。

みんながみんな自分の中の満たされないものをなんとかしようとしてて、自分の中にどうしょもないものを抱えてて、それをなんとか取り繕って着飾って、やわらかい部分をきれいにくるんで、いろんなものを幾重にも纏って生きてるだろうと思う。

でもそれが、取り繕いきれなくなって、自分の中に渦巻くものがどうしょうもないくらいになったときに、人はなんとかして生きてることを確認したくなったり、どうにかそんな自分を理解してもらおうとしたりするんだろうと思う。

でもその衝動や欲求を物理的なものでは解消すればするほど、火に油を注ぐみたいにその炎はおっきくなっていくんだろうと思う。

鎮火したと思っては燃え上がり、また勢いを増しては鎮火する。そんな繰り返しだ。

そこから、おで一抜けた。

といいたいからスッタニパータを読んでみる。

でも犀の角のようにただ独り歩めとかさ、蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものであるとかいわれてもさ。

そんなんむりぽ。とか思えば思うほど、法然さんが選択してくれてほんとによかったと思うし、親鸞さんが肉食妻帯してくれてほんとによかったと思う。悪人正機の発想ってほんとすごいわ。


POSTED @ 2010.06.07 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。