• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 上野
2010.03.30


sakura.jpg

上野の桜は満開までもう少し。

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Title: おもいではどこにある。
2010.03.29

年度末というのが口癖のようになってきて、猫の手も借りたいような仕事に飲みこまれまいと、針の穴を通すように、ぎっしりと遊びの予定も詰め込んで、これでもか。と仕事に遊びに体を酷使してたら。

扁桃腺が腫れたあげく靱帯を損傷した。

ああ。30才。

回復力が落ちるというのを肌を持って実感。怪我も病気もいままで超人的なスピードで回復してたのに。

でもフラフラになっても、やっぱ楽しいな。人生は。と思えるんだからめでたいもんだ。

ここ数週間の間になつかしい顔ぶれや、おなじみの顔ぶれや、新しい顔ぶれとか、いろんな人にあって。

いろいろ刺激をもらいましたとさ。

そんで、境内のしだれ桜も咲いてうかれてたら、今日は雪だもんね。
いい加減あたたかくなってほしい。

いろんなもの垂れ流しながら、ぽわぽわとした日々が待ち遠しい。

しかしここのところいろんなものを酷使して思う。使わなかったり、動かさないところは体でも心でも動きが鈍くなるもんで、鈍くなるといろんなものがおっくうになるもんで、おっくうになるとさらに鈍くなるもんで。

でもきっと楽なことで楽しいことは1つもないと思う。

おっくうだなと思ったり、めんどくさいなとおもったりしながら、なにかをこなしていくことの繰り返しが、一歩先に結びついているんだと思う。

軽やかに思いつく言いわけなんかくそくらえ。

友達が父親になるのと、友達が母親になるのでは、やっぱりなにかが違って。親父になった友達は所詮親父になっただけなんだけど、母親になった友達は、所詮じゃないんだなと思う。

なんだろう、顔が違うわ。

仕事をしてる時に、目先の業績や数字の先にあるもがどれだけ見えるかって大事だなと思う。数字の先には人がいて、心があって、その心がわかんなきゃ、いくら数字とにらめっこしててもらちあかない。

数字の秘めた力はすごい。

はやく花見したい。

そんでほろ酔いになった帰り道でいつものように、死ぬならこの季節だなとか思うんだきっと。

焼津とかいて、ヤエズだとおもってたんだけど、ヤイズなんだということを行ってみて初めて知った。そんで、港町というのは風情があるなと思った。

スーダンに、カナダに、中国に、飛び立っていく友達を送り出していると、ふとどうにもこうにもふわっとした気持ちになるけど、こっちは日本でふんばるぜ。

神聖かまってちゃん。

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Title: やくろ。
2010.03.18

少しづつこうぽわぽわと暖かくなってくると、なんか自然と気もそぞろになる。いい意味で足元がふわつく。いろんなものがごちゃまぜになったこの空気に、自分にはなんの変化もないのに、どさくさにまぎれて、便乗して、わくわくしたりどきどきしたりしたいのです。

*

胃袋は裏切らないのです。

きっと恋ありきで人と結びついてると、なんかぽかっとめんどくさくなっちゃうことがあるから、なんか胃袋ありきで結びついているくらいのほうがいいと思うのです。それはその人と会うときの自分の中の動機付けの問題だから、ハタかりゃみればなんら変わらない行動でも、動機付けを自分の中で変えることで続くものも続かないし、続かないものが続くものもあるのではないかと思うのです。それを言い訳とか詭弁だとよんだとしてもそれでもいいんじゃないか。方便みたいなもんですよ。

ようは、初めから恋するぞと思って人と結びつこうとすると、ああでもないこうでもない、人間のお得意な妄想にとらわれるだけだもんで、長続きしないこともありますよ。ということがいいたいのです。だからもっと胃袋で人と結びつくくらいがちょうどいいんじゃないか。といいたいのです。

あなかしこ。

*

KYOTOでも聞きながら、心をざわつかせながら、鴨川でも散歩したらさぞ気分がいいだろうに。

*

しかし使い回しのボキャブラリーとレパートリを一回整理したいものです。

思考回路も組み直したい。

誰かの為だと体のいい口実で、逃げ傷をつくるのだけはごめんです。

*

「2と3の公約数はたくさんあるけど、2と3と5の公約数は少なくなるんだ」

あたりまえなんだけど。でもそんな言葉を言われて、なるほど。と妙にいまの自分の中にストンと落ちた。公約数の価値は、その数の問題ではないのかもしれないけど、公約数の多さが何かを打開するカギになることは往々にしてあるわけで、なにが正解かはあくまでいち側面と思いつつも、こういう論理的なロジックには妙に納得させられるのです。

*

最近、組織でもいいし、コミュニティでもいいし、なんでもいいんだけど、人が集まるということに、必要なのは、価値でいえばハードが3でソフトが7くらいが一番いいバランスなんだろうと思う。

ようは大事なのはソフトであって、ソフトっていうのはやっぱ人であるわけで、人っていうのはやっぱ自分であるわけで。

*

自分の心をぶちまけて、その感情の輪っかに、すこしでもかぶる相手をさがして、そういう相手がみつかったら安心して、変な仲間意識で自分の自尊心を保とうとする。

そういうのにジレンマを感じ始めると、資本主義じゃ生きられないなと思う。

なにをするにも、そこに介在してくる側面的な視野に嫌気がさすことがあるけど。でも側面は瞬間でもありすべてでもあるわけだ。すべては瞬間的なものの集合体だと思えば、瞬間がすべてだともいえるわけか。

なるほど。

*

ここで遊ばないこと!と立札のたっているところは、間違いなく遊び心をくすぐるつくりになっているなと思う。こんなつくりにしておいて、遊ぶなっていうのは、腹ペコなライオンの前にお肉をぶらさげて、食べるなというようなもんだろうと思う。

感情や心や、湧いてくる抽象的なものを、なんとかしたいなら立札立てる前に、よく考えるべきでしょうとか思う。

環境やつくりが、人の心に作用することっていうのは多いと思う。もちろん悪い方にもいい方にも。それを考えて環境を整えていかなきゃいけないなと最近よく思う。俗に言う環境設定というやつですが、これ考えれば考えるほど、学べば学ぶほどに奥が深いなと思う。

*

破壊は創造で創造は破壊で、ニワトリが先か卵か先か。裏も表も。

一如。

いごこちのいいところにいるといごこちのわるいところにいきたくなるのも。

おなじくくりなんだろうか。

*

ひとにぎりの本物になりたいとかおもったら、日常を日常として、たんたんとこなしていくことができる人がなによりもすごくて、ひとにぎりの本物なんじゃないかと思ったのです。


*

しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。

かまぼこ三昧最高です。

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Title: ヒーロー
2010.03.18

男の子はみんなヒーローにあこがれているのです。

なのでこんなサービスは最高です。

読み込みに時間がかかりますが、そうとうぐっときました。
もしお時間ある人はどうぞみてやってください。

http://en.tackfilm.se/?id=1268866777608RA11

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Title: 私のパンチを受けてみろ
2010.03.15

みくしとぐりーの日記もここにリンクさせたので、それを機に新しいアクセス解析をいれたわけです、ムーバブルタイプと相性のいいものを。そんでしばらく観察してたんだけど。

検索単語をみていたら、ああ、こんな単語でなにかを検索しようとした人がブログに流れ流れてやってきたんだ、と思うとなかなか興味深いです。少なからず自分が興味を持ったものに同じように意味を感じて、調べようとおもったからつながったわけで、と思うと同時に、その単語で検索をかけると自分のブログが1ページ目に表示されることに驚きです。

ちなみに、「私のパンチを受けてみろ」と検索をかけて一番上に、友人のブログがでてきます。なのでそれに対抗して、今回の日記のタイトルを私のパンチを受けてみろ。にしてみます。ワンツーフィニッシュを目指しましょう。

ちなみにこのゲームをやって腕の骨を折った友人を1人知っています。手がぱんぱんになってました。

ちなみにその友人は、数々の伝説をつくり続けています。いろんな意味で。

以下自分のブログの検索単語、以下の単語で検索するとこのブログが1ページ目に表示されます(主にYAHOO)なので、今度からブログのなにで検索したらいいの?と聞かれたら、高島彩・団塊で検索してね!と言おうと思います。

# 高島彩 団塊
# POSO 意味
# 山崎まさよし 大谷大学
# 花屋旅館 屋久島
# 屋久島 花屋旅館
# 北緯30度43分 東経128度4分
# 集団心理 さくら
# 日々 丁寧に したいけど
# ヒップホップ 言葉 ののしる
# ブルーハーツ 反戦
# おかをこえ ゆこうよ
# 世界のまんなか ブルーハーツ 歌詞
# サーカス ZET

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Title: 年度末。
2010.03.11


出会いと別れの季節とはよくいったもんだ。

毎年この時期になると、たくさんの子どもを送り出して、その父兄の方々ともお別れをして、また新しい子どもたちを迎える準備をする。

もう何回もこの時期を過ごしてきたけど、でもやっぱり、卒園する子どもたちをみていると、鼻たらしてビービーないてた姿を思いだして、ほほえましくもたくましく、そしてせつない気持ちになる。

ほんと子どもの成長なんてあっという間だ。

そんでいつものように、この子たちは、この3年でこんなにでっかくなったのに、自分はこの3年でどんだけでっかくなったんだと自分にくぎを刺して、かぶとの緒を締める。

言い訳ばかりうまくなってる場合じゃない。

長い人生のたった3年間だけど。この3年間でそこから先の人生の全部を支えられるくらいの、しなやかで、まっすぐな心が子どもたちの中に育ってくれていたらいいなと思う。

よし。と気合を入れて、今年度も乗り切ろう。

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Title: づつ。
2010.03.10

昨日の帰り道、大事なものをなくしたことに気づいて。

一瞬落ち込んだけど。でもなんかちょっとすがすがしくもあって。

少し前に変化について話をしていたばかりだったので、なんかそこにぐっと結びついて。

なんか、失うことも変化なんだと思った。

変化しなければ得られないものがあるわけで。

失うことは同時に何かを得る可能性をたくさん秘めてるんだと思った。

変化というのは、急激な大きな変化はそこにきっと歪を生んでしまうと思う。自分が意識的に起こそうとした大きな変化は特に。

なんか変化というのは、もっとマクロなレベルの小さな変化の積み重ねが、うねりみたいになって、結果大きな変化を生むんだろうと思う。

じっくりじっくりと、人間は変化を繰り返して出来上がっていく。環境が変われば、習慣も変わって、習慣が変われば、目線もかわる。

変化を起こしたのは環境の変化なんだけど、それはきっかけにすぎなくて、小さな歯車がだんだんと大きな歯車を動かしていくように、変化を起こす要素は数珠玉につながっているんだろうと思う。

なんか、いみふめいだろうけど。

だから、自分は「少しずつ」と「少しづつ」だったら、「少しづつ」のほうを使いたいと思うのです。


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Title: 蠢
2010.03.10

いつか。

もうおうちに帰りたいと思うくらい、存分に旅に出て、見たかったものを全部見て、感じたかったことを全部感じて、味わいたかったものを全部味わって、震えて、叫んで、笑って泣いて。

そんで、家に帰ってお風呂につかりながら、やっぱ我が家が一番だねなんて、縁側でお茶をすすりながら、昼間っからビールを飲みながら将棋でも打ちながら、ぼけぼけして、そんでほとぼり覚めたら、また旅にでて。

国内でも海外でもいいんだ。

やっぱ思ったけど。

これ性格とかどうこうの問題じゃなくて、脳になんか疾患があるんじゃないかと思うくらい。1つのところに定住して地に足付けたい願望は誰よりも強いのに、それと同じぐらい安穏としてたくない願望があって、そのバランスがどうにもおかしなことになって。切望するものと、そこから逃避したいという願望の比率が同じくらいに押し寄せてくることの歪は深い。

きっとこれはもうある種の疾患なんだと思うようにするしか、この感覚に理由づけはできないのかもしれないなぁと思うことがある。

自分の中で蠢くどうしょうもないものに白旗。

なんかね。

太平を願いながらも合戦の中に生きることを見出してたサムライとかね、なにもないことを望みながらも、火事場で生きることを見出してる消防士とか。もうどこにも行きたくないと思いながらも山に登るアルピニストとか。

相反するものを自分の中で蠢かせていて、その衝動をどうしたもんかと感じてる人は、いるところにはいるんじゃないかと思うんだ。

どうしてるんだろうかそういう人たちは。

そういう衝動は道祖神のせいにして片付けちゃっていいんだろうか。というよりも片付けるしかないんだろうかね。

なんか久々に、アジアンジャパニーズをゴミ箱に捨てたときの気持ちを思い出した。

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Title: おかをこえゆこうよ。
2010.03.08


唐突に、あなたがいたから、今の自分がいる。と思える人が誰かいますか。と聞かれて。

誰か1人なんてあげられるわけないじゃんか。そんなのしいていうならいままで出会った全部の人だ。とひねくれた答えを思いつく。

嫌な奴と出会ったから、こいつみたいにはなるまいと思って、すげぇと思う人と出会ったから、絶対同じ感覚で物事を見れるようになろうと思って、傷つけた人がいるから、もうだれも傷つけまいと思って、好きになった人がいるから、たくさんのことを許せるようになって、負けたくない奴がいるから、たくさんのものが見えるようになったわけで。

関わった人の数だけ自分は楔をうたれて、歪曲したり、回り道したり、何倍もでかくなったりしてきたわけで。

そう思えた全部の人に感謝してるんだけど、でもお礼は言わないもんね。

経験を糧にしたのは自分の力だもんね。

ららららあひるさん。

おかをこえゆこうよ。

まえにまえに。

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Title: 事実が好転するもしないも、そこにあるのは行動じゃない。
2010.03.08

じわりじわりと腰と心に疲労が蓄積してくるこの時期に、ほろ酔いですこし冷たい夜風を顔に感じながら、誰もいない静まり返った街を歩いて帰る時に感じる感覚は、なににも代え難く自分にとってやめられない感覚の1つだと思う。

夜の空気が細胞の1つ1つに、じわっとしみ込んで、ふわっとほぐれていくような感覚。

旅にでたくなるのも、そういう感覚を感じるからであり、なんでかわからないけど、お腹の底からなにかがわいてくるような、そんな理屈づけできない感覚を味わうためなら、きっと自分は大抵のことは頑張れるんだろうと思う。

最近自分がラグビーにはまったわけも、こんな風に生きているのも、なんか1つの方向付けができたような気がする。

自分は、苦しんだり逆境にいるときにこそ、なんか生きてる実感を感じることができて、その感覚がたまらなく好きなんだろうと思う。

だから停滞するのが嫌で、落ち着いたり、安穏としてることを、切に願いながらも、そういう自分にジレンマを感じるんだろうと思う。

自分の中には相反するものを、切望する心があって、その心の起こす歪と反作用が、自分をつき動かす大事な原動力でもあるわけで、きっとそれ自体を、裏も表もわかんないくらいに消化しようと躍起になってるときに、副産物としてでる熱が、自分のアイデンティティの1つなんだろうと思う。

*

目に見える変化がでるようなレベルの成長とか、そのレベルで受ける評価とかを気にしてるうちは、ずっとそこ止まり。

なんか、この間、誰も気づいていないだろうから、自分が気づいて手を入れなきゃと思って、手に取った何冊かの本にすべて、同じ人が手を加えた形跡があって。

自分が気づく何十年も前にこの本をとって、そこに手を入れてる人がいたことに、感動したのと同時に、自分もその足元の足元まではすこしたどり着けたのかと、嬉しくもあり、まだ超えるには時間がかかるなという悔しさも感じた。

なにかに成長を続けた時に、目に見える部分の成長が止まって、そこから先の目に見えない部分の成長にはいる過渡期には、周りからの評価と自分自身の成長の間にジレンマが生じるものなんだろうな。

でもここでやんややんや、「だれが僕をみて」なんていってるやつは置き去りだ。今立っているところで、きっといままで自分は何を原動力に成長してきて、これからなにを原動力に成長していくのかということが、明確になって、そこに差が生まれるんだろうと思う。

ここから先は、誰かや何かの為だとぬるいこと言ってたら先に進めない気がするんだ。

*

宮崎あおいが、1001のバイオリンを唄うCMをみていて。

なんか勝手に、同じ世代の人間が、この画面の裏側にはたくさんいて、
一線でがんばってるんだろうなとか思った。

時代をつくるなんて大げさなことはいいたかないけど。

社会に出てから、なんか妙に同世代を意識するようになった。

*

使い回しのボキャブラリーもレパートリーもくそくらえ。

*

事実が好転するもしないも、そこにあるのは行動じゃない。


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Title: 萬金油
2010.03.07


ローマは1日にして成らず。体脂肪も1日で増えず。

最近のこの暴飲暴食と、はちきれんばかりの満腹感・・・まずいですな。
すこし絞っていかないと、またくまさんみたいといわれちゃうよ。

最近では愛子さまの報道で巷はやんややんやいってますが、あんな報道が平然と民放で流れるようになったことに、本気で日本にはもう後がないんじゃないかと思うのは自分だけなんだろうか。あんな報道が流れることでほくそ笑んでるやつはだれなんだか。宮内庁もどうかしてる。

情報というのは側面的で利己的で、意図的だ。

なにが本当でなにが嘘かもわかんない。

右でも左でもどうでもいいけど、ああホントもう後がないぜ日本。踏みとどまるなら今しかない。

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Title: ますたーきーとん。
2010.03.03

最後に皆さんに聞いていただきたいことがあります。それは学校がなくなっても、皆さんには学び続けてほしいということです。勉強は続けていただきたい。学ぶ情熱があるかぎり。

平賀キートンの言葉。

人間は知りたいという心がある限り、どんなところでも学ぶことができる。この言葉は今の自分にとってはすごい背中を押してくれる気がする。

いうなれば、学ぶということの原点は、どこまでも知りたいと思うものをみつけるってことなんだろうと思う。

喉の渇いてない馬を水飲み場に連れて行っても水はなまないというけど、じゃあ馬に水を飲ませるためにしなきゃいけないのは、喉を乾かせることであり、枯渇させることである。

育んでいくということは、そういうことに気づいて、次に足を出す場所を選んでいくことなんだろうと思う。

この一見難解だけど、本当はシンプルなパズルのルールが分かれば、世界はもっとぐっと鮮やかになるんだろうと思う。

なんか最近思うんだ。

なんでもそうだ。

誰かや何かの為と思った瞬間に、それはなにかから逃げてるんだろうって。

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Title: のう。
2010.03.03

脳みそというのは本当によくできているし、理にかなっている。人は脳みそに支配されてるなとつくづく思う。

自分と意見の違う人を嫌いになるのは、脳みその自己保存の働きによるもので、意見の合う人や、同じ趣味や、自分と同じような人を好きになるのは、統一・一貫性の働きによるものだそうだ。

なるほど。と思う。

でもそれがわかって、どうしたらいいかもわかってるのに、それにあらがわなきゃいけない時もあるのがしんどいわけで。

嫌いになられても、しなきゃならないことだってあるんだ。全部の人に統一・一貫性をもって接するなんてことはできないわけでとか思うんだけど。

でもつきつめていけば、すべての人に統一・一貫性のある行動や言葉というものもあると思うんだ。


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Title: 地球の中心はどこさ。
2010.03.01


言葉の1つ1つが、こぼれおちるみたいにわいてくることがある、その情景その光景が、活字になって、それぞれの意義を主張してきて、自分の中に押し寄せてくるみたいに。それを理論的に処理しようとする自分と、それを拒絶しようとする自分が、冷静に共存して、右目と左目が別のものをみてるみたいな気持ちになるときがある。

そんでそんな時にはいつも白も黒も裏も表もおんなじなんだと体感する。

自分の感じた感覚や、見たものや、感じたことや、伝えたいことも、笑った理由も、泣いた理由も、ほんとうはだれにもわからないのに、わかってもらいたいと思うことでなにかを守りたいんだろう。

本当は、自分は自分の為だけに笑って泣ける人になりたいのに。


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Title: 聖橋
2010.03.01


みとれるというのはこういうときにつかうんだろう。昨日の月を見ながら思った。雲ひとつない空に浮かんだ月を眺めながら夜道を歩いて帰る。

1つ1つの言葉や想いを反芻して、そこにこめられたものの気持ちに浮ついたり、ざわついたり、そんでそれを払しょくしようとしたり。ギャップを拾うのがうまくなっただけ、その処理能力もあげていかなきゃと思う。

どうすればいいか、頭ではわかってるのに思い通りに動かない頭も心も、体の1つ1つにもどかしくなって、そんな自分にあきれて、聖橋の上で、もうどうにでもなれとつぶやく。言葉遊びなんかくそくらえだ。

日常を生きていくということは、なんどもなんども、同じところで転んで、何度も同じところにあざを作って、それを癒してはまた青あざ作っていくようなもんなんだろうと思う。

でも前歯を折っても、鼻血たらしても、二カッっとわらって、うへへと笑えりゃいいか。

自分を過小評価も過大評価もしないことは、なんて難しいことか。かっこつけずに卑下もせず、自分の、歩いたところが道になればいい。

わかったかおするな、えらそうにりくつこねるな、たいしたことない自分。


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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。