• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: なんでだか。

正義はそれぞれの中にあればいい。

正義なんてものは価値観の中の1つであって、あくまで流動的であって、単体で存在するものではないわけで、そもそも平和も、恋だの愛も、流動的な感情の一時的な抑揚の中から先走ってこぼれでてしまったカウパー液みたいなもんなのかもしれない。

自分の中に流れ込んできたものが、少しづつ嵩を増してきて、表面張力の働いているぎりぎりのところで自分を保とうとすると、内と外の境界がなくなって、どこまでもすべての事柄はつながっているんだと思う。結び付けられないことがないってくらいに。

そこにぷかぷか浮いてると失うものはなんにもないなとか思う。

あの発言もこの事実も、とりまく状況も環境も、全部が全部密接につながっていて、糸口なんてものはそこらじゅうにあって、どこから辿って行ったって同じところにいきつくんだと思う。

それはどこで、そこにはなにがあるのかなんてことを、考えてしまうこと自体が、その糸口に気づいていないってことなんだろうと思う。一端さえつかめば、答えはさほど大きな問題ではない。

問題は答えを出すことでしか価値を見出せないものじゃない。

問題は問題だけで十分に価値があるし、問題を自分の中に紡げるということは、そこに答えを出すことよりも大切なことだと思う。

むしろ答えなんかない方がいい。

その方がよほど潔くて痛々しくない。

ぷかぷかと流れる雲を眺めながら、いろんなことを考えた。

自分のこととか、人生のこととか、これからのこととか、自分のしたいこととか。

別に考えても考えなくても、人生の長さが変わるわけでもなければ、どちらにしても、長くともあと50数年のあたえられた寿命をまっとうすることになんのかわりはない。

それなのに、多くを考えてしまうことは、人間であることのデメリットの1つなのかもしれない。

なんか、きっと部屋の中で考えていたら、いろんなことが、複雑に絡み合ってて、どこからほどいたらいいかわかんなくなって、もちゃもちゃと煮詰まっちゃうようなところに落ち込んでいたかもしれないけど、顔に当たる風とか光とか、匂いとか、音とか、外からたくさんの要素が流れ込んでくると、ふわりとこんがらがった部分を自然に解きほぐしてくれるということはあるなと思ってたら、

「自分の部屋で、人生なんて考えられるか」

昔、駅で見かけた18切符のポスターの写真と、そのフレーズをおもいだした。

自分をつくる要素の中に、しっかりとこびりついている言葉だなと思った。

きっと自分の中には、そういう粒みたいな言葉とか出来事とか、思い出とか、出会いとか、そういうものがうまい具合に作用し合って絡み合っていて、どこかが1つでもなくなったら、音をたてて崩れていくみたいに絶妙に自分を形作っているんだろうと思う。いままでもこれからも、そうやって自分はできていくんだろうと思う。

だから、無駄なことは1つもないんだきっと。

それと、やっぱり。

自信のない人が、自信を持つということは大変だと思う。

いま自分に自信がないのは、自分を取り巻くたくさんの要素の結果であって、意識や気の持ちようだけで、自力でそれを覆すというのは、左手一本で応援旗を持ちあげるくらい大変なことだと思う。

そこで腰を落として、右手を添えて、身体全体を効率よく使って、力を効率よく伝えて、持ちあげればいいんだという発想の転換が必要なんだと思う。

左手一本ではなくて、全部をつかわないと、あがるものもあがらない。

抽象的だけど。

でも自分が思っているよりも、物事はたくさんの要素で成り立っているから、それをまずはしっかりと洗い出すことがだいじなんじゃないかと思う。まずは自分がいまどういう身体の使い方をしてるか知ることが大事なんだと思う。

そんで、最後の最後は、旗をあげることに何が意味あるのさ。なんてことをさも正論みたいに掲げて、あげるのをあきらめないで、それができるようになった自分に満足して死んでいけばいいんだと思う。

自分が自分に満足できなければ、だれかに何かを伝えるなんてことはできないし、小手先だけの言葉や表現で伝えられることには限界がある。

旗をあげたやつにしかわかんない、苦しみとか、嬉しさとか、そういうものが、ここ一番で感情に直結する大切な要素なんだろうと思う。

もう一歩突き抜けるのに必要なのは、やっぱり自己満足を恐れないことであり、そこに意識的にいることでもあるのかもしれない。

自己満足とはよくよく味わえば、自己を満足させると書くわけで、自己を満足させることで生まれてくるパワーに勝るものは他にないんじゃないかと思うし、そういう経験をたくさん持っているか否かというのは、そのまま自己反映されると思う。

もちろんそのメリットと対比して生じる、利己的で無自覚に陥りやすいというデメリットをしっかりと自分の中で気づいていることが大切なんだろうと思う。

なんかもっとさわやかに旅の話を書きたいのに、浮かんでくるのはこんな理屈っぽいことばかりだ。

なんでだか。

POSTED @ 2010.08.06 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。