• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: ばらばら。

誰かの言葉を聞いていたり、声を聞いている時に、

ああ溶けそうだなと思うことがある。

そこから発される言葉とその声がうまいぐあいに絡み合っていて、

頭の芯がぐにゃりとなりそうになる。

絶妙にいろんなものがかみ合った瞬間のここちよさ。

そうそうあるものじゃないし、いつもそういう体感ができるわけでもないから、そういう瞬間にすごく幸せを感じるわけです。

言葉に声や間や空気を意識的に、絶妙にかみ合わせるのにはまだまだ自分には力が足りない。

*

幸せとはなにかを考える時に。

なにがあれば幸せかじゃなくて、何がなくなったら幸せじゃないかを考える。そしたらいま自分が大切にすべきものがわかる気がする。

それをなくさないために必要なものが自分も守りたいものなんだろうと思う。

*

アコーステックから弾かれた1つ1つの音がばらばらになって、ずずっと自分の中に入ってくる。

*

境目は曖昧な方がいいと思うことが多い。

人間関係でも住環境でも、仕事に対するスタンスでも、なんでもいい。

住環境でいえば、外と内の境界のないところで育ったせいもあるかもしれないけど、マンションとかにいると、個は守られるけど、でも外と内の境がはっきりしすぎていて、自分はどうにもその境をはっきりすることに居心地の悪さを感じるのだと思った。

いつでも他人に手が届くくらいの曖昧さが心地いい。

人間関係にしてもそうだ。

人は、自分がしっくりくる居場所に居心地のよさを感じるのかもしれないけど、そんな場所は本当はなくて、事象はつねに変わり続けるのだから、その時、その場所にぴたっときても、それはまた窮屈にもぶかぶかにもなる、そんでヤドカリみたいに次の殻を探すのかもしれない。

でもそれを繰り返してても結果しっくりくる居場所はみつかんないんだろうと思う。

曖昧とかグレーな部分に、人は白黒とか1とか0とか、わかりやすい説明とか、自分の中で落とし所をさがすことで、それを自分の居心地の良い場所に変えようとするけど。

それをそのまま許容するということがやっぱり大事で。

それをお互いが提供し合えるということが居心地のよさであり、癒しっていうのは、きっとそういう感じのところにあるものなんじゃないかと思う。

*

はいはいといわれそうだけどね。昔ね。

mixiが初めてできた時に、おお、これとおんなじことおれ思いついてたのになと思ったことがある。他にもこんなのあったらいいなとか、これをこうしたら面白いだろうなとか、自分の思いついたアイディアが実際にどこかで誰かが形にするたびに、ああこれ思ってたわ~とか思って、ちぇっとか思ってた時がある。

でもあるとき思った。

アイディアは形にするところまでがアイディアで、思いついても形にできないのは自分の力不足なんだと、いくらいいこと思いついても、自分がそれを形にできなきゃ世界はなんもかわんないんだと。

そう思って、足を出そうとおもって少しづつだけど、アイディアを形にすることを心がけてここまできてみて、なにごとも動き出すと思いもよらない障害とか、思いもよらない横やりが入ったりすることも覚えて、その対処も学ぶ中で、1つのアイディアを形にするということは、そのアイディアを思いつくのの何十倍もの才能が必要で、それが伴っていかないと、きっと5年後も10年後も、ああこれがあったらいいのに。と言い続けてるんだろうと思う。

*

言葉が先に口をついてでて、それに遅れて、ああそうか自分はそうだったんだなと意識が追いつくことがある。

こないだ、お前は人に期待しすぎなんだよ。

といって気づいた。

きっと自分は誰かに期待をするのが苦手なんだろう。期待とは自分の願望だし、願望通りにいかない時にそれを誰かのせいにしたがる自分に気づくたびにしんどいし。

*

許容範囲が広がること。

許せる範囲と、無理をしない範囲と、笑っていられる範囲が広がることが年をとるということなんだろうと思う。なんでそういうことになるかといえば、それはそこに来るまでに、散々自分の力で道を切り開こうとして、もがき倒した結果なんだと思う。

世の中は自分の力で切り開けるほど単純でもなければ、人間の力は世の中を切り開けるほど卓越もしてない。

歴史は美談でもあるし、体裁と大義名分を整えたフィクションでもある。

きっと誰かが世の中を切り開いたとか、時代を動かしたというけれど、それはたまたまその人の行動が流れに乗ったにすぎない。遅かれ早かれほっておいても歴史は1つの方向に流れていく。

その人じゃなくても歴史は変わる、社会ははつねに反作用を生みだす。

それがメリットとデメリットだ。

いつでも自分の見えるものや感じるものは側面的だ。なのに世界は多面的に成り立っている。

人間が、たかが脳みそ一個でみえる世界なんてたかが知れていて、多面的に物事をとらえるには限界があるということは、いうまでもない事実で。

そのまぎれもない事実を事実として受け入れることと認めること。

どうしてもそこにジレンマや苦しみが生じるけど、それをいつか認めざるをえないところにくるんだろうと思う。

POSTED @ 2010.07.08 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。