• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 原点に戻ること


今日は仕事の後に高校の時からの友達とお茶の水で飲んで
いろんなことほんとにいろんなことを話した。
その後にこれまた中学から友達と
そいつの好きな女の子と3人で話をして
ナイスアシストを連発する。

夜の空気に久々にふれたせいなのか
飲み過ぎただけなのかまっすぐ電車に乗ってかえるのが
いやで久しぶりにあるいて水道橋に向かった。

交番のまえの路地を水道橋に進む。

ここはリアルに昔を思い出す。

昔からこの道が好きで、なんどもなんども通った道
いろんなことを考えてた道

なんか涙がでそうになるくらいここの空気が
いまの自分には心地よかった。

なんかふとああまた来週から学校だって
錯覚するぐらいここは時間の流れを狂わせるような感覚がする。

線路にぶつかって
途中のフェンスのとぎれたところに小さなベンチがあって
すこし高台で水道橋が一望できるところ。

ここでもう最終近い電車を何本か眺めながら
ここからみる景色も変わったなって思った。

あのときの自分がいたこと
あのときの自分に関わった人
あのときの自分の思ったこと

そんなことを思い出してたら

あの頃から少しづつ
しらない間に自分の周りにできた
殻みたいな膜みたいな
自分で作り上げてきた俺という人間の表面が
音をたてて割れて
なかからむきたまごみたいにつるんとした
小さくて発展途上だった
あの頃の自分がでてくる気がした。

単純にあの頃がよかったなんていう気持ちとかじゃないし
あの頃のおれに戻りたいとも思わないけど

ああおれはここにいる
間違いなくおれはここにいる
ここで生きてるんだって。

自分で自分をただの人として認識できた。

なんかあの頃はいまよりも生きることとか死ぬことが
近かった気がする。そういうことに一杯目を向けてた気がする。

自由をはき違えてがむしゃらにつっぱして
でも今よりも確実に強かった自分は
怖い物なんか全然なくて
明日死んでもいいって
いつも思ってた。

いまは自分の内側に
目をむける余裕とか
生きてることを疑問に思ったりしなくて
生きることに必死な時こそ
生きてることが見えにくくなるんだなって思った。
ベトナムのフォンが教えてくれた
ベトナム語に自殺という言葉がないというのを思い出した。

久々に月をみあげながら水道橋まで降りて

噴水の通りを抜けて
人気のないラクーアと横切って
家に向かう。

胸の中をずっとぎゅっとつかまれてるような感覚がした。

そして家に着きいまこの文章を書く。

いまの気持ちは
いつの間にか眠っちゃってふと目が覚めたらまだ暗くて
何時かわかんないのにすっごくよく寝た感じ

原点はここだ。
おれはおれだ。

誰になんて言われようと
おれは涙が出るくらいおれだ。

POSTED @ 2005.04.23 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。