Title: 初春の雑想
最近毎朝5時半に起きて6時に家を出る。この時間だとすこしまえまで真っ暗だったんだけど、最近あきらかに明るくなってきてるし、なによりも朝の温度が全然違う。布団からはい出す時間も短縮されるともうそろそろ春がくるなと感じる。
暑さ寒さも彼岸まで。毎年のことだけど昔の人は旨いこというなと思う。
はやく春になれ。
そういえば去年の暮れに寺の庭に桜を植えた。
ずっと言ってたんだけど、桜は管理が大変だということでなかなか後回しにされてきてたんだけど去年ついに念願の桜を植えることができた。
植木やさんの話しだと初めの年は8分くらいだろうけどきっと咲くとおもうとの事だった。
いまから待ち遠しい。
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幼稚園はもう今学期も残すところあと17日、3年間過ごしてきた子ども達もいよいよ小学生になる。まえにも書いたけどこの時期の3年間はほんとにでかい。こんなに「みるみるうちに」っていう言葉を体感できる場所はなかなかないだろうな。こないだまでびーびー泣いてたあの子ももう小学生か・・・
なんて感傷的になりつつも年度末の急がしさは師走に匹敵する。来年のことをいうと鬼が笑うというけれど、この業界いまが師走、来年度の計画と今年度の総決算でで頭はかるく飽和状態だ。
分野の違う脳みそをフル回転させてる気がする。
そして学校関係には「謝恩会」というものがある。幼稚園でも例外でなくこの時期には謝恩会が行われる。
なぜかそこで今年平井堅の「POP STAR」を歌わされることになった・・・謝恩会ってのはたしか先生に感謝をしようという日ではなかっただろうか・・・どうしておれがアフロを被ってPOP STAR?
「?」を抱えながらもやるからには中途半端な笑いはいらない。とことんやってやる。
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「新聞」について。うちは昔からほとんどの新聞を取っている。朝日・読売・日本経済・産経・・・・
でもまぁみんなうすうす気づいてはいると思うけどおれは読売新聞が好きだった。思想の問題もしかり、実際にほとんどの新聞を読み比べてみて書いてあることに一番共感できたのが読売だったから。
でもなんか最近突然読売が変わった気がする。いきなりいままで言ってたことをひるがえしたり、なによりも日本のナショナリズムを推し進めてきた方針からそれに相反する記事を掲載することが多くなってきた気がする。とくに去年の6月頃に出た記事にはまじで衝撃をうけた。
なにかがおかしい。
と感じているのはおれだけなんだろうか。
一方
朝日がのジャーナリズム宣言と題して下記のようなCMを流し始めた。
言葉は
感情的で
残酷で
時に無力だ。
それでも信じてる
言葉の力を。
凄惨な事件やなんとなく暗い世論や人々の心を変えられるのは言葉であったり文字であったり。そういうものを喚起することでなにかが動きはじめるかもしれないって、期待をしてしまう。
なによりも俺自身がそう信じてるからこの一文にはすごく共感できた。そしてCMでは朝日の日という文字が赤くなるんだけど、なんとなく日本を連想させるイメージだ。
なんか各紙方向転換なのかな。
今後の動向がきになる。
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文字をかくということは、漠然としたものをはっきりさせることができる。自分の中にあるモヤモヤしたものや抱えてるモノ、そういうものがなんとなくでも形になる。逆に人の文章を読んでいるときに、この人の中には、きっとこういう漠然としたものを抱えてるんだろうなって感じることがある。
そして時に人の書いた文章に自分のなかにあったモヤモヤがきれいにされることがある。だからきっと活字が好きなんだと思う。
人に好きな本は何ですか?ってきくといろんな本が挙げられるけどきっとその中にはその人が抱えてたもやもやがすっとする一文があったんだと思う。だからきっと印象にもつよく残るんだと思う。
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POSTED @ 2006.03.02 |
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