Title: 鋳んが。
つくづく、人を作るのは環境だと思う。
最近それを痛いほど感じる。
人の中に含まれる個性というのは、結局は思考や、行動理論や、動機づけを指すわけで、そのどれもが、環境によっていくらでも変化するし、Aだったものが、環境変われば簡単にBにもなる。
全く同じ環境、境遇、同じ経験をしてきたの人間なんてのは一人もいないのに、個性はそのすべてで培われるから、だからこそ人は一人ぼっちなのだと思うし、ここ一番で分かり合うことなんてのはできないんだろうと思う。
「だからこそ人はどこまでも自由になれるし、どこまでも安穏と生きられるんだろうと思う。否定的な言葉を無条件に避けずにみれば、そこには多くの事実と真実があるなと思う。言葉というのは、便利だけど、時に大事なものを覆い隠すことがある」
きっとその中でも、自分の環境や境遇や経験と近いものを持つ人というのが、馬が合うということであって、人と人が信頼関係を結ぶうえで大事なんだろうと思う。
一見交わらないような境遇の2人でも、同じようなところに悲しい思いをしたりうれしい思いをしているなんてこともあるわけで。
結局因果というのは、そういうことなのかもしれない。
一つの事実にすべて同じ因果を持ち合わせてるものなんてない。だから因果だといわれちゃったら、もうどうしょうもないんだわというところにいきついて、そこで初めて中道に至るのだろうか。
とにもかくにも自分の身の置き方は大切なんだと思う。
よく見なきゃいけないと思う、自分の立っている場所を。
知恵ではなく智慧の目で。
いつだって自分は自分をごまかすのがうまい。
自分は巧みで狡猾に自分の大事な部分を奥へ奥へおいやって、うまいことごまかしてとりつくろうものだ。
でもそれがいつまでもうまくいくと思ったら大間違いだ。と思うことが多い。
なんかとっちらかった文章だけど備忘のために。
POSTED @ 2010.08.18 |
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