Title: 私欲
2週間パソコンからはなれてみて改めて感じたこと。
正直これだけまったくパソコンをいじらなかったのは久しぶりで、なにがつらいって思いついたことや疑問に思ったことを調べられないままもんもんとしてなきゃいけないということ。知識欲と言えば聞こえがいいかもしれないけどただ単に好奇心が満たされないということが自分にとってものすごいストレスになるということをいやというほど思い知らされた。
わからないものをわからないままにしてあるという宙ぶらりんな状態に自分の心は脆く耐えがたいということです。自分の中の順位付けで「知りたい欲」というのはなににも勝るみたいです。
その反動からか一昨日くらいからネット漬けです。記事という記事ブログというブログ文字という文字を読み漁ってます。もんのすごい落ち着きます。やっと心に平穏がおとづれてます。
名人と達人の違いという点から日本人の中にある深層心理を狂言や落語または茶の湯を通して考察するという話でいっぱい飲みたい気分です。
しかし人間の進化は終わったという意見があるそうですが、パソコンという機器は人間を進化させるに足りるだけのものを与えてくれるんじゃないかとすら思う。なにをもって進化いうかですが、外的な部分だけが進化ではないと思うので。
さいきん目に見えないものというものの素晴らしさに感動します。
本当に素晴らしいもの、本当にあたたかいもの、本当に大切なものは、絶対に目に見えるものの中にはないんじゃないかと思います。
わびさびとか。
能動的であるということは同時に受動的であるという言葉がほんとうにいたいほど身に沁みます。
なにかを発すると、同じ分野やそれに興味のある人からフィードバックをもらえます。そのフィードバックで自分の中の蓄積が増えます。それを発するとまた誰かからフィードバックをもらえます。それを繰り返して自分の中にあるものをコツコツを深くしていくという作業が大切だと思います。
ひとりでさきに進めるならいいけどある程度まででそれは限界がくる。発するということはそこから次の段階へ進む大事なプロセスだと思います。
そこにおいしいお酒とおいしいご飯があればなおさら最高です。最近はおいしいお酒や美味しいご飯は何を食べるではなくて、誰と食べるかということが大事だと痛感します。さらにいえばどんな会話を肴するかというかも重要です。
心地のいい会話は一種の嗜好品だと思います。たばこやコーヒーと同じだと思います。一種の中毒性があります。そんな嗜好品のような会話ができる人間になりたい。
やっぱり自分は書くこととと読むことと知ることという軸のバランスを崩すとこころがもやもやする。自分のためにしてるんだから続くわけだ。完全に自慰だわこれは。人間を動かす根源はやっぱり私欲でしかないんだよね。
POSTED @ 2008.10.09 |
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