• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 霜降
2008.10.30


朝、顔を洗う水の温度があからさまに冷たくなって、家を出ると息が白くなってみて、ああ秋から冬になりはじめたなと思う。

あれだけ寒いのはいやだ、夏がいい夏がいいといっていたものの、今年は寒くなってみても全然いやじゃない。なぜかはわからない。

このなぜかはわからないということが人生の楽しみの一つなんだなと最近しみじみと感じる。世の中には分別も区別もできないことっていうのがたくさんある。それに無理に答えをつけるよりもそのままでいるほうがずっと魅力的なことがたくさんある。

わからないものをわかろうとすると苦しくなることがある。わからないものはわからない。それでいいじゃんってことで。

*

さて先に予定をいれるのが苦手なのに、どうしてもこの時期には先に先に予定が埋まっていく。先に予定を入れるのが苦手だというのは最近気づいたことなんだけど一種の職業病らしい。

お寺というところに育つと、自分の予定よりも優先しなきゃならないことがたくさんあるわけで、何か月も前から家族旅行を予定していてもその日にお通夜が入ればキャンセルですよ。そんなところで育つと、やりたいことのために時間をとるという習慣がなく。あいてる時間にあわせてしたいことをする。という世間とは少しずれた時間の感覚になるわけで、好んでそういう予定の立て方をしなくなるんです。

でもたいていの事態には対応できるように心の準備をしておく習慣ができるとたいていのことには動じなくなるというメリットもあるみたいです。

なので絶対にずらせない予定や楽しみな予定が先にあると、ちょっと落ち着かないんですよ。心の中でたのむからその日だけは誰も死なないでくださいと願うこともあります。

*

こう寒いとおいしいのが焼き芋です。

突如石焼き芋がしたくなって、ネットでぐぐりまくったあげく。ドラム缶を半分に切ったものを用意して、石を150キロほど買ってきて。朝から薪割りして、がんがん火を焚いて石を焼いて、すすだらけになり、煙に燻されながらも5時間くらいかけて焼き芋つくりました。

はっきりいって。

かなりうまいです。あの甘さは驚異的です。あんこみたいです。

ただ。これはものすごい作業です。疲労困憊です。でも沢庵和尚もいっていたように、最近おいしいものを食べるというにはシチュエーションというものがものすごく重要だということをまざまざと感じます。

買ってきてもきっとおんなじ味だと思うけど、ここまで真剣に手間をかけるいうことでそこに目に見えない旨味みたいなものがプラスされるわけですよ。

ただおならは止まりませんけど。

*

本当に大切なことを理解しようとするときは言葉や知識や経験にいかに頼らないで物事をみるかということが大切だと思う。それがなにかはわからないけどそのなにかがその人自身のような気がする。

*

しかしもう今年も残すところあと2か月。今年の目標はなんだったかと足元を確認。


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Title: F値
2008.10.17


昨日イモ掘りにいってきた。

幼稚園にいるとこうやって季節を肌で感じることができるからありがたい。

子どもたちの写真を撮っていて思ったこと。

感覚的な話だけど。

きっと子どもの視点や考え方や見えてる世界は写真でいえばF1とかF1,4みたいなもんじゃないかと思った。

深度は浅いかもしれないけどその分目のまえにあるものにしっかりとピントがあって鮮やかにみえてるんだろうと思う。

それが年を追うごとにF2、F2,8となっていって。きっと高校生ぐらいになってF5,6くらいになるんじゃないかと思う。

いまはきっとF11くらいかも。

深度は深いかもしれないけどきっとなにかが劇的に鮮やかにみえるというよりも全体をしっかりとらえてる感じ。いろんなことがはっきりみえてるのに子どもの時みたいにドラマチックには見えてないのかもしれない。

深度が深くないとわからないことがあるけど深度が浅くないと感じられないこともある。どっちがいいとかどっちがわるいじゃないけど。

なんとなく昨日1日子どもの写真を撮っていてそんなことを思った。

しかし今年の芋はものすごくでかいです。

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Title: 無宗教
2008.10.16

知らなくても生きていけるけどしってるとよりよく生きていけることっていうことはたくさんある。

ほんとにきっかけは些細なことで言葉にするとありきたりなものだけどその一瞬に気づけるかどうか。その些細なことを自分の中に落とせるかどうか。

そういう秘密みたいなものが人生にはたくさんある。

バレエで一番きつい姿勢は立つということだというけど、ただ立っているというだけで体にどれだけ負荷がかかっているかとか。なにごとも上り坂よりも下り坂よりも大変なんだとか。深く深呼吸すると普段の倍くらい肺が広がるんだとか。

どうでもいいの一言で片付けられるししらなくてもなんの問題もないようみえるこういうものに気づくとその小さな気づきが自分を劇的にかえることがある。

宗教も保育もそうだと思う。最後は知識じゃない。当たり前に自分の生活の中にあることに意識的になれるかということ。

自分が無宗教であるということをなんのはばかりもなく声を大にしていえるという事実が末法だなと思う。

サウジアラビアでは無宗教の人間は入国できないらしい。無宗教だなんてそんな奴はなにをするかわからないじゃないかという理論だそうだ。

宗教というのは一言でいえば、人が人間らしく生きるために必要なものっていうことなんだと思う。

道で苦しんでいる人がいたら声をかけられるとか。世の中には勉強よりも大切なことがあるとか。生きるとはどういうことかとか。価値観や情報に振り回されているということは気づかないうちに疲弊してるんですよとか。カリカリしなさんなゆったりとね。と声をかけてくれるものなんだと思う。

ある人の話の中で、数年前にほんの数分遅刻した子どもが、先生が勢いよくしめた鉄の門に挟まれ死亡する事故がありましたが、あれが人間らしく生きているということになるんですかね。

遅刻することはよくないかもしれないけども、遅刻することの以前に大切なことを教えるものが宗教であると言っていました。

合理的じゃなくて理論的じゃないし、競争社会じゃ生き残れないかもしれないし、時代錯誤だと感じるかもしれないけど、それでいいんだと思えるかどうかなんだろうと思う。

インドで自分の父親が病気になった人がいた、その人は会社を6か月休んで父を看病した。そして父は半年後に亡くなった。その間に医者は2回しか来なかったという。最後まで病名もわからなかったという。

日本ならまず6か月も会社を休めるわけがない。まず病院に入院する。そして癌ですといわれて放射線治療でもするんだろう。毎日お医者さんは診察をしてくれる、でもその反面もしかしたら半年で息子が見舞いに来れるのは2回かもしれない。そしてそのまま1年は生きられるかもしれない。

どっちが人間らしいんだろうか。

どっちが幸せなんだろうか。。

それを教えてくれるのが宗教なわけで、無宗教ですと声を大にしていくということは、そういうことには全く興味もなければ関係ないですよ。インド人はかわいそうだなちゃんとした医療制度がなくて。半年でも長く生きられたほうがいいじゃないかと声を大にしていうのとおんなじなんじゃないかと思う。

そういうことに気づけるきっかけが宗教なんだと思う。

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Title: カゼ
2008.10.13


風邪ひいた。

毎年毎年なんでこうもおんなじ時期に風邪をひくんだろうか。全く学習しない自分。腰だけはなんとか気をつけ気をつけて持ちこたえたのに。。

そしておんなじ台詞。

健康が一番だなぁ。

しかも風邪ひくとなぜか太る。

いくら体調が悪くても食欲が落ちることはない上にそういうときは焼き肉やニンニク(餃子)やショウガ(豚の生姜焼き)なんていう、エネルギー食を食べることで治そうとする上に、たべてはごろごろしてるからしょうがない。

右の鼻がつまるから右の鼻を通そうとすると次は左の鼻がつまる・・・ここ2日くらい一日中その繰り返しです。一日それと腹式呼吸ばっかりやってます。なぜなら「息の発見」という本を読んだからです。お尻を引き締めて丹田に力こめてます。きっとあと数時間もすれば風邪もどこかへいくでしょう。

毎日毎日くだらないことをやってはいつでもどこでもはしゃいでた。ここのところなかなか会えなくなったけどみんな元気でやっているのかな。今日は昨日の悲しみも明日への不安もすべてしまって夢見てわらっていようよ。何もわからなかったあの頃のように涙が出るくらい朝までわらっていようよ。

しかしゆずはいい歌うたうなぁ。


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Title: 無常
2008.10.12

前置きもなく唐突に書き始めますが。

普段日常の中で生きてると自分がいつか死ぬとか。ましてや病気で満足に動けなくなるなんてことは考えない。

そんなことよりも今度の休みにはなにをしようかとか。

夜は何を食べようとか。

彼氏や彼女がほしいとか。

結婚したいとか。

おっぱいがさわりたいとか。

転職しようかなとか。

ああ自分の人生はこんなんじゃだめだとか。

そんなことを考えて暮らしてるわけですよ。

生きるとか死ぬとか。そんなことにいちいちとらわれてたら生きていけないし。むしろそんなこと考えて、世の中はああ無常だ。なんていってるとニートになっちゃうし。そんなやつは社会不適合のレッテルはられますよ。

だからそんなことをいつも考えていきていく必要はないしむしろそんなことにとらわれないで生きていくんでいいんだと思う。

でも最近どうも頭とは違うところで。

体や心は生きるとか死ぬとかそういうことを、自分が考えるよりもずっとちゃんとわかってるんじゃないかと感じることがある。

そんでそういうことに目を向けずに生活してる日常の意識に突然に訴えかけてくることがあるんですよ。

ほれ体が前みたいにうごかなくなっただろ。

ほれ昔書いたものをよんでちょっと心の奥底にず~んときただろう。

髪とかだんだんうすくなっちゃうぜ。

うっかり高校生をみて若いなぁとかおもっただろ。

自分の親を見て年取ったなぁって感じただろ。

確実に時間は進んでるんだぜ。

いつかお前もよぼよぼでしわくちゃになって。

もしかしたらこないだあったおばあさんみたいにぼけちゃうかもしれないぜ。

そんであと50年ぐらいで死ぬんだよ。

世の中は無常だぜって。


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Title: さんてぐじゅぺり
2008.10.10


自分の書いたものを読み返して思った。

10年前の自分はきっといまよりも強かった。立ち向かう勇気も勢いもその瞬間にかけられる気持ちの重さは尋常じゃなかったと思う。

でも10年前の自分はきっと今の自分には勝てないと思う。強さとはしなやかさみたいなものできっと力ではない。

名人と達人の違いを考えながらふとそんなことを思った。

バガボンドの中にある言葉

「天下無双とはただの言葉だ」

なるほどね。

武蔵が名人だとしたら石舟斎は達人だということか。

目を凝らせば凝らすほど見えなくなるという感覚が最近やっと自分の中に落ちた気がする。大切なものほど目には見えないんだと星の王子様もいってたし

豪雨の中に静寂を感じるこころ、真っ暗な部屋で明るさを感じるこころ。

こだわらないとらわれない。ぼんやりと。

最近身近で「感覚で息してるみたいなもの」といった人がいた。そういう言葉を普通に使えるということがすごいなと思った。

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Title: 私欲
2008.10.09


2週間パソコンからはなれてみて改めて感じたこと。

正直これだけまったくパソコンをいじらなかったのは久しぶりで、なにがつらいって思いついたことや疑問に思ったことを調べられないままもんもんとしてなきゃいけないということ。知識欲と言えば聞こえがいいかもしれないけどただ単に好奇心が満たされないということが自分にとってものすごいストレスになるということをいやというほど思い知らされた。

わからないものをわからないままにしてあるという宙ぶらりんな状態に自分の心は脆く耐えがたいということです。自分の中の順位付けで「知りたい欲」というのはなににも勝るみたいです。

その反動からか一昨日くらいからネット漬けです。記事という記事ブログというブログ文字という文字を読み漁ってます。もんのすごい落ち着きます。やっと心に平穏がおとづれてます。

名人と達人の違いという点から日本人の中にある深層心理を狂言や落語または茶の湯を通して考察するという話でいっぱい飲みたい気分です。

しかし人間の進化は終わったという意見があるそうですが、パソコンという機器は人間を進化させるに足りるだけのものを与えてくれるんじゃないかとすら思う。なにをもって進化いうかですが、外的な部分だけが進化ではないと思うので。

さいきん目に見えないものというものの素晴らしさに感動します。

本当に素晴らしいもの、本当にあたたかいもの、本当に大切なものは、絶対に目に見えるものの中にはないんじゃないかと思います。

わびさびとか。

能動的であるということは同時に受動的であるという言葉がほんとうにいたいほど身に沁みます。

なにかを発すると、同じ分野やそれに興味のある人からフィードバックをもらえます。そのフィードバックで自分の中の蓄積が増えます。それを発するとまた誰かからフィードバックをもらえます。それを繰り返して自分の中にあるものをコツコツを深くしていくという作業が大切だと思います。

ひとりでさきに進めるならいいけどある程度まででそれは限界がくる。発するということはそこから次の段階へ進む大事なプロセスだと思います。

そこにおいしいお酒とおいしいご飯があればなおさら最高です。最近はおいしいお酒や美味しいご飯は何を食べるではなくて、誰と食べるかということが大事だと痛感します。さらにいえばどんな会話を肴するかというかも重要です。

心地のいい会話は一種の嗜好品だと思います。たばこやコーヒーと同じだと思います。一種の中毒性があります。そんな嗜好品のような会話ができる人間になりたい。

やっぱり自分は書くこととと読むことと知ることという軸のバランスを崩すとこころがもやもやする。自分のためにしてるんだから続くわけだ。完全に自慰だわこれは。人間を動かす根源はやっぱり私欲でしかないんだよね。

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Title: 拝啓SONY様
2008.10.08

知ってる人は知ってるでしょうが。自分はSONYが大好きです。

家電はもちろんほしいものがSONYから出ていれば迷わずSONYを買います。お店の人にどれだけパイオニアや松下を進められても迷わずSONY以外は選択肢にありませんと言ってきました。

いつからそんなに好きなのか、なんでそんなに好きになったのかというのは、今となってはもう定かじゃないですが、出井前社長の言葉を借りるなら自由闊達なSONYのDNAが好きです。

myloやAIBOやRollyなど自由闊達という言葉の通り、商業ベースだけではなくいつもないものをつくりあげようというチャレンジ精神や楽しさや感動を追求するような姿勢が好きです。世界に誇る日本の企業だと思うし、日本人としても応援したい気持ちもあるし、損得ではなく小さな力かもしれないけど自分はそんなDNAをを支えていきたいなと思える唯一の企業です。いいはじめたらきりがないけど、たとえなにか失敗をしてもそれをおちゃめだなと思ってしまうくらい自分の中でSONYの存在は大きい。

最近はそういう精神が薄れてきたといわれることが多いけど、たくさんの技術者の中でそういう気持ちが消えてないということを信じてる。

だからこそいいたい。

今回2,3か月の間に2回もパソコンが壊れたのはいいんだ。壊れないに越したことはないけど、機械である以上壊れることもある。でもそこで大切なのはその後のケアでしょう。今回はサポートセンターの対応はあまりにも悪かった。1週間以内で返すといったのに約2週間もかかったし、専門的な対処方法を聞いてもオペレーターには全然伝わらないし、挙句の果てに文句をいったら2日で直してきた。できるならはじめからやってほしかった。

自分のようにSONYを好きでいる人は差し引きをしても大きな目で見られるかもしれないけど、海外のメーカーからも安くて性能のいいパソコンが入ってきて、国内でも多くのメーカがしのぎを削るパソコン商戦の中で、たくさんの中からたとえば初めてVAIOを選んで買ってくれた人があの対応をされたらきっと、ほかのメーカにすればよかったと思ってしまうと思う。

どんなに強い理念や素晴らしい方向性を掲げていてもその気持ちが末端までいきわたっていなければ意味がない。多くの消費者は大きな目で企業理念をみて会社を選んでくれるほど甘くない。

ましてや直接選んでくれた人と触れ合う部分というのは、大きな組織からしたら末端なのかもしれないけどでも、一番力を入れるべきところじゃないかと思うし、企業の顔だといっても過言じゃない。

事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きているんだ。といいたい。

友達からはまるでだめな女にはまる典型的なだめ男のようだといわれますが。でも一度自分の内側にいれたものはちょっとやそっとで嫌いになんてなれないし、そっぽをむくことなんてできないんだなこれがこればっかりはしょうがない。

好きなものはぜんぶひっくるめて好きなんだ。

という感じで落ち着きました。でたでた。ほらねいわんこっちゃない。別れる別れると騒いですぐによりを戻すカップルのようだといわれてもいいです。

こうなったらとことんSONYですよ。

書きたいことはたくさんたまりにたまってるのにまずはどうしてもこれだけいいたかった。SONY関係者の人が万が一これを読んだらお願いします。ハワードか中鉢さんに伝えてください。こういうたくさんの深い愛情をもった人に支えられてる会社なんですよSONYは、だからその人たちと直接接するところを大切にしてくださいと。

敬具


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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。