Title: 年の瀬
時代や社会の思惑からドロップアウトした人や言い方は悪いけどそういう求められているものに矛盾やずれを感じて、そして社会に不適合といわれはみだしものみたいな扱いをされる人がたくさんいる。いつの時代にもそういう人はいる。
天皇陛下万歳の時代にこんなことをして日本が勝てるかと叫んだ人や、エコノミックアニマルになれなかった団塊の世代やひきこもりも登校拒否もホームレスも。
そういう人に時代や社会や常識はそういう人には価値がなくてそうじゃないことの方がいいことなんだと口々に言う。それを聞いてみんなああはなるまいと必死に社会や規範や常識にしがみつこうとする。あれはだめなやつだ。ああなったら終わりだと必死に食らいつこうとする。
今年1年を振りかえって感じるのは、みんなそうやって食らいついて、社会や規範についていこうと頑張ってきた人たちに限界がきたみたいだ。今年1年でアメリカのテロの犠牲者の10倍以上もの人が自殺してる国がまともなわけがない。
きっと日本人はがんばりすぎたのかもしれない。がんばって歯を食いしばりすぎたのかもしれない。耐え忍ぶことは日本人の誇りなのかもしれないし、民族性なのかもしれないけど。人一人の心が耐えうることのできる現実を超えたのかもしれない。
思うに、がんばってがんばってもどうにもならないことがあるってことや、自分の力でいくら抗おうとしても変えられないことがあるということをしっかり認識することは大事だと思う。実際よく考えればすべてが思い通りになって今がある人なんていないはずだし。でもその現実を悲観してあきらめるのではなく、そんなどうしょうもない自分をしっかり認めてこの社会には適合できないなぁってしっかり理解しればいいんだと思う。
あらがってもあらがわなくても、目の前にはいいことも悪いことも普通に起きる。考えても考えなくても自分の目の前に起きることはいいことばかりではない。考えたらすこしでもいい方向に進むかといえば必ずしもそうじゃない。
人生は思い通りにいかないことのほうが自然なんだということを知った時にはじめて、自分はいろんなものから解放されるんじゃないかと思う。おもうにそこではじめて自分は無限で自由でなににもしばられないんだって心から思えるんじゃないかと思う。
安穏で平穏であるということは、手を離すってことだと思う。戦わないということだと思う。
そう思ってるのにそんなことしてたら飢え死にしちゃうぜ。社会不適合では飯は食えないぜ。そんなこといっても家族や恋人はどうすんだってきれいごとじゃ生きてはいけないぜ。
ってすぐにいろんなものが自分にのしかかってくる。
でも究極そうやって生きていこうと思って生きること、先とか後とかに意識をおかずに今をしっかりみつめて今できることだけをしていく、もしそれで失うものがあるとしたら、きっとそれはいつか自分を苦しめる一つの要因なんじゃないかと思う。
必死にがんばっていなきゃ手におさめておけないものは手放してもいいんじゃないかと思う。
きっとたくさんのものを失っても、なんにもなくなっても、周りからなんていわれようと、誰よりも安らかで誰よりも安穏で平穏で幸せなんじゃないかと思う。
頭であれを失ったらああなってこうなって、きっとみじめで周りからああ思われちゃう。なんてことはただの妄想の一つでしかない、妄想にとりつかれて物事を正しい目で見れないのが人間。
そんな自分に気づけるかどうか。
POSTED @ 2008.12.24 |
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