• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 曖昧な記憶とせんべい
2006.05.29


最近ふと思いついたこととか、これ書こうとか。これについて調べようって思ったことを携帯の保存メールに入れておく癖があって、時間があるときにその保存メールをふと見るんだけど、後から見たら・・なんのこっちゃ・・・って思うモノが多い・・・例えば。

「噴水酒の魚」

「基本鼻から抜く」

「極意は顎」

これだけしか書いてない保存メール。意味がわからないうえになんのことを書こうと思ってたのかすら思い出せない。

極意は顎って・・・

一体俺は何を鼻から抜こうとしたんだ・・・


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話は変わって、こないだお寺に来た人にもらったおせんべをなにげなくたべた瞬間に思わず声が出た。

「うまぁっ!」

絶妙の醤油加減と歯ごたえと堅さ。
そしてほんのりと薫るお米の残り香。
思わずばりばり何枚もいけそうだ・・・

ふと見ると箱に

第十八回全国菓子大博覧会技術優秀賞受賞
第十九回全国菓子大博覧会金賞受賞

とかいてある。
すげぇそんな大会があるんだ・・・

おれの知らないところで日々せんべいに情熱を燃やし、技術に腕を磨いてる人がいるんだ。

そしてそんな人たちが競い合う場があったんだ・・・
そしてこのせんべいは金賞なんだ・・・

「三笠米菓製造本舗」

というところで作られているようです。
これはうまいです。

たかがせんべいされどせんべい

あなどれない。。。

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Title: 歯医者へ向かうAVENSIS
2006.05.22


この世で嫌いな場所ベスト3に間違いなく歯医者は入る。

今日はその歯医者にいく・・・しばらくほっておいた右奥歯にぽっかり空いた穴をなんとかしに・・・実は妹が歯医者なので妹に見てもらうんだけど、昨日家に妹が居たので明日大丈夫?痛いのはイヤだからっていったら、大丈夫。まだ人間は削ったことはないけど図書館で本読んだから・・・って・・・不安だ。

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GW寝込みながらも買いに行った高い買い物が届いちゃいました。

その高い買い物とは・・・

TOYOTAのAVENSIS

いままでVWのベント~ゴルフ~ゴルフワゴンとドイツ車を乗り継いできたから今回もはじめはVWのパサードを考えてたんだけど、諸事情とTOYOTAのつくった欧州車のキャッチフレーズに惹かれついにTOYOTAデビュー

まだそんなに乗ってないけど、まず感じた印象としては欧州車を猛烈に研究して開発された車だなと感じた。乗れば乗るほどはまりそうな車だ。

そしていきなり笑わしてくれました。

この車オートワイパー機能がついてます。オートにしておくと雨が降ると自動的にワイパーが動く仕組みです。

ディーラの人いわく、基本的にオートで大丈夫です。というのでそのままにしておいたら、

ガソリンスタンドで店員さんがぬれたタオルでフロントガラスを拭いた瞬間にワイパーが動き出しました・・・

かなりあせりました・・・

店員さんはむっとした顔をしてました。

今度から気をつけよう・・・

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Title: 夜更けにつらつらと
2006.05.15


夜、外に出て寒くなくなるといよいよ夜の街を徘徊したりむだに首都高をぐるぐるまわったりしたい衝動がむくむくと沸いてくる。

今日も晩ご飯食べて家に買ってさて寝るかなんて思ってたときに急におもいたって吉祥寺まで届け物にいく。
ウルフルズをかるく絶叫にちかいテンションで歌いながら夜の山手通りを飛ばしてたら大声で歌いすぎてちょっとえづいた。

しかし夜のドライブは最近してなかったけど、やっぱりいい。なんとなく自由を感じられる瞬間。いま自分がここにいるってことを誰も知らない瞬間になんかえもいわれぬ開放感を感じるのは俺だけなんだろうか。

そしてビデオやにいったら「ゆきゆきて神軍」というDVDが目に付く。

自らを神軍平等兵と名乗り、天皇陛下にパチンコをうって懲役になった男。奥崎謙三という人のドキュメンタリーらしい。

マニアックすぎる・・・

それと・・・

今日はおれが生まれて9623日らしい。

1万日は2007年5月27日にくるらしい。

もし覚えてたら1万日を祝おう。
一生に一度しかない記念日。

最近夜更かしです。

GWからどうも夜更かし気味。体が睡眠をあまり欲さないみたいだ。完全に体が冬眠からさめつつある。まえにも書いたけど、おれの体は暖かくなるに比例して活動意欲とフットワークは鰻登りです。

もうすぐ梅雨がくる。

またあのしとしとじめじめした夏への布石みたいな時期が来る。

それが終わればいよいよおれの季節だ。

なんか去年屋久島の日記を書いてからそんなにたってないのにもうまた夏がくるんだ。いまから待ち遠しい。カルピスの解禁日はいつにしよう・・・

今年はどこにいこう。知床もいいな・・・でも日本の最西端もいきたいしな・・・沖縄もいったことないしな。勝手な持論だけど夏にする旅には目的が必要だと思う。

ちなみに一昨年の四国は、予讃線の下灘という駅の写真を撮るための旅。去年は屋久杉を目指して。

目的の規模じゃなくて、その目的でどれだけわくわくできるか。そんな目的をいまから探し始めよう・・・でもあまりに早まりすぎると7月を待たずして息切れしちゃうかもな・・・

最近1年がはやく感じてしょうがない。

それはいいことなんだろうか。

決して追われてる訳じゃないけどなんとなく足早に一ヶ月という単位がすぎていく気がする。

そんな足早な日々の中で「バカボンド」を久々に読み返した。

やっぱ面白いわ。面白いと書いてみて、面白いとかかくのはしのびないくらいあれは深いわ。原作読みたくなった。
しかし・・・気づいたら9巻だけありません。

もっていったひと返してください。心当たりは誰とはいいませんが、外人か名古屋にいる人があやしいです。しかも名古屋の人はあまり活字が得意でないのでこの日記をここまで読んでいるかどうか・・・

「井上雄彦」と「浦沢直樹」と「秋本治」と「藤子F不二雄」と「幸村誠」は最高です。

彼らに受けた影響は間違いなくおれの中もふかいところに根付いてます。

さいきん気を抜いたらつらつらとどこまででも書いてしまいそうな気がする。

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Title: ひさびさのこうしん
2006.05.12


ひさびさの更新だからめいっぱいにつらつらと思いついたことを書きつづろうと思う。いままでの日記の最長記録を塗り替えよう。どうぞ途中で投げ出してくださいw

しかし調子わるいGWだった。

初日のBBQで風邪ひいてそれから何食べても味がしないし、熱デルし、ひさびさになんか一日中が夢見心地みたいなふわふわした数日を過ごした。

具合がわるくなるといつも思う。

健康が一番。

でも同じことを繰り返す。

いつも人は失ってみるとあたりまえに感謝する。

ふとMIXIとかGREEに書く文章ってすごい特殊だなと思った。ただの日記なら自分の思うような言葉で感じたままの文章をかけばいい。サイトにのせる文章なら不特定多数の人だから少し考慮してかけば問題ないし、多くの場合、書き手に対するイメージは文章しかないわけだからある意味ニュートラルにはいっていけるし、共感できる部分に共感すればいいし、できなきゃそれでいい。

でもMIXIに書く文章をみる人は実際に近い距離で自分をみてる人がほとんどで、それぞれにその人に対するイメージがあって、文章よりも先に実際のイメージが先行する場合が多い。

文章よりもイメージが先行するところで文章をかかなきゃならいことって最近よくあるけど、でもそういうときの文章はすくなからずそのイメージの枠をはみ出せないことが多いし、言葉を選ぶことが多い。

少なからず人はそれぞれイメージを身にまとってるし、すくなからずその期待に応えたりはしてもここ一番のイメージだけは裏切らないように気を使うものだと思う。

男前で誠実な顔してる奴がほんとはすごいスケベなキャラなのに、そういうことしたらええ!意外!そんなことする人じゃないとおもってた~!とか言われたくないのと同じだ。なにも好きこのんで自分のイメージをぶちこわそうとする人は少ない。

ましてやMIXIの中には職場の人とか、友達とか、ちょっとした知り合いとか、中には気になる人とか、尊敬する人とかいるかもしれないし。たくさんの輪が増えてくれば多少なりの使い分けとか、それぞれのなかのイメージの誤差だってあるわけだ。

例えば、この人とは歴史について語れるけど、恋愛については語れないとか。男同士で盛り上がるような会話も女同士で盛り上がる会話とかもあるだろうし、ましてやいつもバカみたいにな~んも考えずにしゃべってる友達にいきなり靖国問題について質問したりしないし、

そういうものをひとまとめにして、すこしづつ枠を広げていけばいくほど、言葉を選んだり価値観をすりあわせていかないといけなくなる。

みんなでキャバクラに呑みにいってもりあがったとしても、友達とみんなで呑んだって書けばそれのほうがいいに決まってるしむしろそこにはあえて触れる必要もない。

例がよくないけど、あ、あの人とかにどうおもわれるかな・・って一瞬でもよぎるようなことは書かないに越したことはない。

ささいなことだけど、輪がふえれば気づかないそういう制約は積み重なって増えてくる。そのうちイメージに偏りもでるだろうし、それが均等ならなおさら難しい。だから書けることだけを書かなきゃいけなくなるわけだ。

きっと中にはそんなイメージとかじゃなくて、ありのまま思ったこととか日常にあったこととかをかけばそれでいいじゃん。イメージとか気にしないよ。っていう人もいると思うけど。

ありのまま思ったことをイメージとか考えないでここに書き続けるにはよっぽどドラマチックで劇的な日常を送ってるか、広いアンテナと感受性と、言葉を選べるだけの語彙とうまくニュアンスを形にできる文章力が必要だと思う。

そうじゃない形でイメージを変えないような文章を書き続けられるとしたらできるだけ自分の感情的な部分を表にださないような無難なものをかくしかないわけだ。

実際MIXIには何十万人?の人がいるんだろうけどアトランダムに日記を見てると経験したこととか買った物とか、行った場所とか、身の回りの出来事とかの日記が一番多い。自分の気持ちとか感情とか、自分がどう思ってるかとかなにを感じたかとか、自分の内側にある部分までちりばめて書いてる人ってなると極端にすくないんだなって感じた。

人間が一番恐れる行為は他者に自分の心をさらけだすということだ。といった心理学者がいたけど色んな人の日記をみていてなんとなくそんなことを思った。SNSは今の時代を反映してるなって思う。

そう考えるとバトンってのはSNSの理にかなってる。

話は飛んで

風邪ひいて寝てる間に色々本を読んだ。

主に「国家の品格」「あの戦争はなんだったのか」

内容に関してもいろいろあるけどなんか改めて、ほんとに改めてって感じでナショナリズムってなんなんだろうって考えさせられた。

そしたらいままでおれの思ってたナショナリズムってのはちょっと間違ってたかもなって思った。そもそもリベラルとか保守いう呼び方があるけど保守ってのはなにを保守してるんだろう。リベラルじゃない人間が保守なら彼らの守りたいモノはなんだ。その守りたいモノの中にナショナリズムがあるんだとしたら日本のナショナリズムの根本はどこなんだろう。

歴史問題や靖国問題の中にはたしかに国粋的な思想があるけど、それが日本のナショナリズムの原点だといわれれば漠然とそうなんだな。って思うけど。保守とか右だという点で一本ここ筋が通ってるかというと、焦点が絞りきれない気がする。そしたらきっと焦点をあてるべきは天皇だ。っていうかもしれないけど、そもそもいままであった天皇制のすぐれた点とか天皇制のもたらした日本の国粋的な思想ってのを明確に説明できるんだろうか。

海外では移民排斥という形で国粋的な思想掲げる右派もいるけど日本に移民の思想はない。

結局そうなると日本にある守るべきモノはなんですか。といわれたときに、伝統とかたとえば武士道とか、それこそ戦前戦後の日本人の心意気みたいな。抽象的な部分にまとを絞らざるをえなくなる。

もちろんおれじしんそういうモノは残すべきだし。忘れてはいけないと思うし、伝えなければならないと思う。そしてなによりもそういう文化や歴史に日本人として誇りをもっていたいし、やっぱり日本が一番だとおもってる。

そういう思想を芯として掲げてたら保守右派とかと呼ぶのが通例だけど。それを否定することを認められないのをすぐに右とか保守というのは間違ってる気がする。

歴史を重んじない革新なんておれは認めたくないけど、かといって革新もできない石頭にはなりたくない。

人は進歩することは必要だ。でも人として守るべきものを忘れてはいけないのも事実だ。合理化によって失う代償が保守の求めるものならそれは間違ってないけど、保守の求める国粋的な思想がかたくななナショナリズムを生み出すのならそれは間違ってると思う。人は自分とは違う他者と関わらないと絶対に進歩はしない。

なんか難しくかんがえるナショナリズムってのはホントにわからなくなるけど、ここまで書いてきてふと

そもそも根本にかえればナショナリズムってのは死に際になって思い出す土地だったり。故郷とか田舎の風景だったり。子守歌だったり、懐古される中に描かれる風景や空気だったり、そんな生まれながらに心に刻まれた記憶とか伝承だったりするのかもしれない。

そしてそれを純粋になくしたくない。守りたいって思う気持ちがナショナリズムへの口火みたいなもんなのかも。

それをみんなが持ち続けるだけでいい。それを誇るのもいいのに。あの国はこうだとか、あの国の文化はこうだとか、自分がもってるいい文化や価値観を人に押しつけて共有を求めようとするから話がややこしくなるんだろうなきっと。でもその気持ちは人間である以上否定もできない。

話が飛躍するけど、そう考えたら世界平和なんて絶対にありえない。それぞれの価値観をすりあわせるなんて無理だと思う。小さな世界ですらあの上司とは価値観が違うとか、あいつとは話があわないとか、思ってるような生き物が戦争なんてよくない!みんなで手をとりあおう!なんていって実現なんかできるわけがない。

なんか書き始めたらとまらなくなって話がどんどん飛躍しそうだからこのへんでやめよう。きっとここまで読んでるは2人くらいだろうw

やっぱりおれにとって書くことはある種の安定剤みたいなもんだ。最後の逃げ場所っていうか。これができなくなったらきっといろんな支障がでてくるだろうなと思った。

だから書かない時は心が平穏な証拠なんだと思う。

文字を書いたり文章を考える瞬間に安心できる時は、書いてないとなにかざわざわするからなんだと思う。




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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。