• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 松尾芭蕉のすすめ
2005.07.25


閑かさや岩にしみいる蝉の声
夏草や兵どもが夢のあと
旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる
古池や蛙飛びこむ水の音

知っての通り松尾芭蕉の句

この上の句は本当にすごいと思う。
一句一句すべてに情景が浮かぶ。

たかだか10数文字の活字で
完璧に情景を浮かべることができる

とくに「閑かさや岩にしみいる蝉の声」

は思いっきり夏を感じることができるのですごく好きな一句。

密かにいつか奥の細道を旅してみたいと思ってる。
中でも上の句が詠まれたところは
是非この目で見てみたいと思ってる。

そんな松尾芭蕉の句に対して
おもしろい本があった。

古池に蛙は飛び込んだのか?

という本だ。

つまり松尾芭蕉はリアルに目の前で
蛙が古池に飛び込むのを見てこの句を詠んだのか。

それとも蛙が飛び込む音を聞いて
心の中に古池に飛び込むイメージを作り出したのだろうか。
というものだ。

こういう推察はすごく興味深い。

吉田兼好と松尾芭蕉は
密かにバイブルです。

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Title: 礼に始まって礼に終わる
2005.07.21

少し話は戻るがお盆期間中は一日100往復以上は頭を上げ下げする。
そんな時ふと思った。みんな自然に頭を下げるけどそういう習慣は
いつから染みついたんだろう。

うちはお寺だから小さいときからいやと言うほどたたき込まれたけど
普通に生きてきて初めて礼に出会うのは

起立 気をつけ 礼!

ここじゃないかな・・・

じゃ礼とはなんだ・・・

礼を学ばざれば、以って立つことなし
礼を知らざれば、以って立つことなし

孔子の言葉だ

「礼」とは「礼儀作法」

礼儀はマナーとかエチケット
作法はルールを指す。

こう書くとなにやら小難しい礼儀作法なのかと
感じるかもしれないけど簡単なことだと思う。

道理、筋を通すこと。
自分勝手にならないこと
そしてなによりも人を敬うことじゃないかと思う。

つまりだ頭を下げるのも相手を敬うという気持ちであり。
人と関わる上で共通のルールみたいなものだ。
学校で起立気をつけ礼をするのは学ぶ上でのマナーだ。

一人で生きてると思うとそういうモノに疎くなる

一人で生きてるんじゃないと感じれば
そういうモノの意味に気づくだろう。

親や兄弟、親戚はもちろん
近くに住む人だって、お店の店員だって、ホームレスだって。
全部自分と同じだ。

金を払ってるからとか。働いてるとか。
権利ばかりを主張してはだめだってことだと思う。

完全にアメリカナイズされた今の日本に決定的に欠けてる部分だと思う。

礼に非れば視ること勿れ、礼に非れば聴くこと勿れ、
礼に非れば言うこと勿れ、礼に非れば動くこと勿れ。
                           
                             孔子
「訳」

礼にかなっていなければ、それを見ようとするな。
礼にかなっていなければ、そんなものに耳を貸すな。
礼にかなっていなければ、そんなことに口を出すな。
礼にかなっていなければ、そんなことで行動するな。

いま礼にかなってる人がどれだけいるんだろう。

こないだテレビみてて思ったんだけど

個人的にあまり好きじゃないけど
細木和子の言うことは正論が多い。
間違いない当たり前のことを堂々という。
ただのその辺のうさんくさい占い師ではない。
まちがいなく礼儀作法に精通している。

それが指示される理由なんだろうけど
普通はお父さんやお母さんに言われるようなことばかりだ。
それをいわれて初めて目が覚めました!なるほど!って・・・・言う人をみると
なんでそんなあたりまえのことに気づかないのって思う。

だれかにきっぱり言われなきゃ
そんなことにも気づけない時代なのかもしれない。

礼に始まって礼に終わる。

すばらしい教えだ。


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Title: まにあっくなDVD
2005.07.20


日中戦争から太平洋戦争期にかけて
国民の戦意高揚を目的に作られた「国策映画」のうち
戦後所在が不明になっていた「幻のフィルム」が一度に3本見つかった。
国策映画は戦災や米軍の接収で散逸が激しく
専門家は「戦時下の国家によるプロパガンダの実態を伝える貴重な史料」
と話している。

それがDVDになって7月30日に発売になる。
内容がまた興味深い・・・
マニアックだからあまり指示はされないだろうけど

興味のある人はどうぞ→内容はこちら

買うか悩む・・・・
もうすぐ車検だしな・・・
スゴ録買っちゃったしな・・・

悩む。

全然関係ないけど

深津絵里のでてるドラマはついつい見てしまう。

そしていつも深津絵里の演じる女の子は
間違いなくタイプだ。

新月9のスローダンスの牧野衣咲は
いまのとこ、ほぼど真ん中にくるぐらいタイプだ。

ああいうタイプの女の子はいい!

このドラマなにげなく見始めたんだけど
所々にちりばめられた夢とか希望とか現実とか
そういうありきたりだけどだれにでも自然に入ってくるテーマに
まんまと引き込まれた。

しかも夢は映画監督・・・

熱い。

熱すぎる。

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Title: くだらないこだわり
2005.07.19


時間の過ごし方ってのはとても重要な要素だ。

おれの時間の過ごし方には点数がある。

例えば100点に近い時間の過ごし方の例をあげれば

昼下がりの暑い日に風鈴の音のなかで
カルピスを飲みながらワンダフルワールドを聴きながら
文章を書いたり、本を読んだりする。
このとき読む本はノンフィクションのほうが高い点数になる。

この時外で選挙カーの声が聞こえるとさらに点数は高くなる。

このまま夕方になり豆腐屋のラッパが聞こえると減点になるので
ラッパの聞こえる前に切り上げることが必須。

寒い朝で雨が降っていて10時頃目を覚まして
リビングに布団を持ち込んでひたすら映画をみる。
または本をよむ。この時はフィクションがいい。
外が完全に曇ってるよりはすこし明るい方が点数は高い
暖房をつけなきゃいけないほど寒いと減点になる。
そして飲み物はミロ。

または

ナショナルジオグラフィックチャンネルを見ながら
サンドイッチを食べる。この番組にはパン系が間違いない。
この時の内容がアフリカとかアラスカとかアマゾンとか
大自然の神秘とかだと点数は高くなるんだけど
まぁほぼこのチャンネルではずれはない。
このときの飲み物はリプトンのレモンティー(紙パック)

自転車で無計画に遠出する。
服装はハーフパンツに草履にTシャツとIpodとカメラ
できればこの日は平日の方が点数は高い。
雨上がりとかだとなおさら点数は高くなる。

ちなみに減点対象で一番厳しいのは
「笑っていいとも」と「みのもんた」だ。
この二つは、時と場合によりが大抵だいぶ減点になる。
まず加点にはなることはない。

「わらっていいとも」ほど見終わった後になにも覚えてない番組はない。
あれは見るモノじゃなくて眺めるモノだ。

ちなみにどうしても「笑っていいとも」を加点対象にするには

一人旅の最中にふらっと入った
横開きの扉の定食屋
の少し高いところにある写りの悪い
アンテナがのってる古びた赤いテレビで
流れていれば加点対象になる。

申し訳ないが俺の中でどう考えても
「みのもんた」が加点対象になる
シチュエーションが思いつかない。

おれにとっての幸せはそういう細かいこだわりに
にちりばめられている。

なんてくだらないこだわりなんだろう。

でも間違いなくそんなこだわりに幸せを感じてしまうおれ。

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Title: 屋久島行き決定
2005.07.18


今年の夏は屋久島行きます。飛行機で行けばいいモノの寝台なんぞ取ってみる。

東京(8月9日、19時46分発)→新幹線→福山<広島県>(23時31分着)

福山(23時40分発)→寝台なは号→熊本(8月10日、7時10分着)

熊本(7時22分発)→特急→新八代(7時43分着)

新八代(7時46分発)→九州新幹線→鹿児島中央(8時33分着)

なかなかハードなスケジュール。

きっぱりと片道切符だけを買う。

あとはなんとかなるさ。

帰りはヒッチか。

でも寝台は中国以来なんで楽しみ。
でも切符って以外に高いな。
18切符買えばよかったかな・・・でも時間がかかりすぎる。

日本語が通じる。それだけで安心感のある旅

旅に出れる幸せ

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Title: みたま祭り
2005.07.15


今日の読売新聞、さすが読売としかいえない。
見開き1ページの東京裁判の記事

まぁ内容は東京裁判の基礎がほとんどだけど

天皇の責任追及についてや関東軍の毒ガス細菌兵器の
開発実験についても追求されなかったことなど
なかなか細かいところまで書いてある。

一読の価値あり。是非一人でも多くの人に読んで欲しい。

このような特集を組むことがなにより必要だと思う。
見開きでこんな特集を組む読売はやっぱ好感が持てる。
朝日には絶対できない。

しかも今日は夕方からお盆の時期の楽しみの一つ
「みたま祭り」にいった。

去年は諸事情からこれなかったので一昨年ぶりのみたま祭り
山門のすぐ前でA級戦犯の分詞反対の署名をしていたので迷わず署名。

やっぱこの時期にはここに来ないとなんかしまらない。

大和国民の子孫であることに胸を張れTシャツを買いたかったが
ちょっとやりすぎのような気がして断念。

北の丸公園散歩して水飴たべて帰宅。

やっぱ祭りはいい!

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Title: 江國香織の書く文章
2005.07.03


「赤い長靴」を読み終わった。

江国香織の書く文章は本当にすごいと思う。
すごいと書くと安っぽいが。ほんとにすごい。

心の中にある小さなわだかまりの様な感情とか
なにげない心境の変化を
きっぱりと活字できるところがすごい。
曖昧で抽象的なものがはっきり輪郭を示していて
なおかつそれがどこにも違和感を感じさせずしっくりくる。

逍三や日和子を通して俺の中にある感情が
浮き彫りにされてこういうことなんだよって
言われたような気になる。

リアリティがちりばめられいるフィクション。
すごいリアリティがあるんだけどノンフィクションはありえない
フィクションでしか表現のできない間違いないリアル感

中でもこの一文

結局のところ言語は人格なのだし、
人格にない言葉を無理に発音したところで
それは音にすぎない。

この一文だけで感情がしっくりと了解できる。
間違いない。

きっと自己分析能力にすごく長けた人なんだと思う。
自分の内面や感情の変化を
つぶさに感じることのできる感性を持っていると思う。

この文章をどうやって書いたのか見当もつかない。

きっとおれには絶対にあの文章はかけない。
同じようなモノを書き始めたら
途中で自分の言いたいことと活字にずれが生じて
それを強引にねじ伏せようとしたり
無理矢理に活字をこねくり回して
収集のつかない状態になると思う。

きっともやもやしすぎて耐えられなくなると思う。

なんか3メートル四方のでっかい牛乳パズルを
ひたすら組み立てて行くような
途方もない作業のように感じる。

それともう一つ江国香織の使う日本語は本当にきれいだと思う。

たまに読めない漢字が出てくるのがくやしい。
まだまだ勉強不足だ。

江国香織の文章はきっとこれからいろんな経験や体験
人生のなかで誰もが通る行事をこなしていくと
さらにおもしろくなっていくような気がする。

色々な節目で感じた気持ちとか
あの時のもやもやはこういう事だったのかなって
体験して初めてしっくりくる部類の文章で
きっと先読みできない文章だなと思う。

江國香織は天才だと思う。

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Title: 子どもにだって色々あるんだ
2005.07.02


幼稚園にどろんこボディペインティングという行事がある。

毎年この行事を通して、大人と子どもの大きな違いの一つに
一線を越えられるかどうかというものあるな。ということを感じる。

つまり一線を越えるとは後先考えずにはしゃげるかどうかということだ。

どろんこ遊びをしていてもはじめから子ども達ははしゃいでるわけではない。
はじめはみんな遠慮しておそるおそる体に絵の具をつけたり、
泥を塗ってみたり・・・泥の中にお尻をつけようとしない子いる。
それがだんだんとテンションが上がり一線を越える・・・・

ふと見ていて思ったのが多くの子どもには共通して一線を越える瞬間がある。
その瞬間とは顔に水がかかった時が多い。
今日もいままでおそるおそる遊んでいた子の顔に
ホースの水や友達の水鉄砲がかかった瞬間に
一線をこえ満面の笑顔ではしゃぎだす。
と言う光景をしばしば目撃した。

そんな風に一線を越えることで、
はじめて遊びにどっぷりつかり、
子ども達は心から楽しそうな笑顔を見せてくれるように思う。

どろんこをしている最中にこんな会話があった。

俺 「どろんこおもしろいね。でも公園とかでやった
   らお母さんびっくりするから気をつけてね」

子ども1 「そうだね。公園でやったらきっと怒られるね」

こども2 「うん。幼稚園でしかできないね・・・」

なるほど。子どもも色々考えているんだな・・・
よし。幼稚園では羽目をはずして思いっきりはしゃごうじゃないか。
おれもつきあうさ!
というわけで子ども達と一緒に
頭の先から足の先まで泥と絵の具にまみれておもいっきり遊んだ。

大人になるとはしゃぐと言う言葉はあまりいい意味で使われることがなくなるけど、
おもいっきりはしゃいで初めて心から楽しめる。
そのなかで遊びというもの、
友達と関わると言うこと、
夏という季節を感じることをどんどん好きになっていくんじゃないかな。

だから子どもには普段外ではできない体験をたくさんしてほしいと思う。
思いっきりはしゃいでもいいんだよ。
思いっきり楽しんでいいんだよ。
といつでも言ってあげられるような自分でいたい。

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Title: コーヒーがかっこよくてもいいじゃないか。
2005.07.01


まずはじめにここでカミングアウトすると
おれはコーヒーが嫌いだ。

というよりも飲めない。
というよりも美味しいと思わない。

それなのに困ったことに
あの飲み物をさらっと飲む人を見ると
かっこいいと思う。

だから自分もいつか
コーヒーを飲めるようになりたいと思ってる。

一種のあこがれ的な感覚だ。

誰かとデートをしたとしよう。

美味しい食事をたべて
美味しいお酒を飲んで

食後になにかお持ちしますか?
と言われてだ。

さらっと

コーヒーブラックで。

完璧だ・・・・

この一言を言ってみたい。

今の俺は間違いなく
お茶下さいと言う。

ちなみにほうじ茶なら最高だ。

この話をコーヒーの飲める人に言うと
多くの人は口をそろえてこういう。

別にかっこよくないから!
おまえは子どもだな。
そういうこだわりで
コーヒーをのむ必要はないと・・・・

それでもおれはかっこいいと思う。
俺の中でコーヒーはトップかっこいいだ。

かっこいい順に並べたらこうだ

コーヒーブラック>コーヒー砂糖>コーヒーミルクと砂糖

俺はまだまだ足下にも及んでない。

ちなみにこの下は

>紅茶>お茶>オレンジジュース

となっている。

コーヒーだけじゃない
実はおれのなかで密かに、
いつかやってみたいと思うかっこよさはたくさんある。

葉巻もその一つだ。

シガーケースから葉巻を取り出す。
シガーカッターでおもむろに葉巻を切り
マッチであぶるように火をつけ
煙を燻らせる。

渋すぎる。

合わせ技もある。

例えばだこないだダーツをやってるときに
なにを飲もうか悩んだ。
この場合かっこよさで言えば
迷わずコロナだ。

ダーツやビリヤードには
コロナだ。

ライムを瓶の中に押し込んで
三本の指で瓶の口をつまみ上げて片手間に飲む。

かっこいいじゃんか!

ちなみに居酒屋でこれをやったらさぶい。

これは俺なりのTPOだ。

これも友達に話したら
べつにかっこよくないから!
おまえはバカだな
というよりガキだな。
まったく理解できないといわれた。

おれはそれが理解できない。

かっこいいじゃんか!

そういうこだわりがおれの中には山ほどある。

なんでもいい。
どんなことでもいい。
こだわりこそ男のかっこよさの原点じゃないか。

こだわりを忘れた男には魅力はないと

それがおれの持論だ

子どもだガキだといわれても

かっこいいとおもっちゃうんだから

こればっかりはしょうがない。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。