Title: 源。
一日のうちに現実じゃない時間はどれだけあるんだろうか。
いろんなことの切り替えがうまくなってくると、いろんなことに苦しまないように日々を過ごそうと思うと、いままで気にとめていた部分や、深く掘り下げて考えていたところをいい意味で流してしまうという弊害があった。けどそれもうまく調整できるようになってきたと思う。
いままではストレスや負荷の中から生まれてくる言葉や考えとか、自分の中から飽和したように表現されたものはどちらかといえば負から生み出されたものが多かったと思う。負から生まれたものは、限りなく陽であって、いろんなものを払しょくしようとする力が込められていたんだと思う。
でもそうやって言葉や思考を深めていこうとすると、どこかにひずみが出るんだと思う。言葉も気づきも、そういうことが必ずしも体に負荷をかけていると思っていたし、実際にかかっていたから。そこで自己防衛的に、苦しむことをやめようとすると、いままでの自分はそこからなんにも生まれなかった。
でも言葉やいろんなことがおもいつかない自分が長く続くとそこにフラストレーションやジレンマが生まれる。そうやっていろんなバランスを保つためにいつも現実とそうじゃないところを行ったり来たりふらふらしてきたんじゃないかと思う。
でもいまはそれがうまい具合にバランスがとれるようになってきたし、なによりも言葉や考えの生まれてくる源が変わったと思う。おんなじ言葉や考えなのに生まれてくる場所が変わるだけでこんなにも違うものなのかと思う。微妙な表現だけど、違うんだあきらかに。負でも陽でもない。上でも下でも右でも左でもない。いうなればどこでもないところだ。
十年前の自分、去年の自分の自分といまの自分は思考の順序も、根本も、自分を支えるものも違う。いまのほうがずっとしなやかだと思う。
その違いはささいなことなのかもしれないけど、アームストロング船長の言葉を借りるなら、この一歩は小さな一歩だが、自分にとっては偉大な一歩だ。
POSTED @ 2009.05.20 |
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