Title: ハナタレ。
一言でいえば、うわずった瞬間に負けなんだろうと思う。
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旬のものがそこにあったとして。
どこで、だれと、いかにしてたべるか。
食材の旨さだけに胡坐をかくのではなく、それをどういう状況で、どうやって食べたら一番おいしいのかって、想いを巡らせて、考えて、醸し出した空気とともに、なにかを食べることで、その食材の魅力は何十倍にもなる。
なんか茶事の本を読んでると、利休も同じようなこと考えてたんだろうなと思う。おもてなしってのは空気までもふくまれてるわけで。その空気を醸すために、神経を研ぎ澄ます。そしていかにわざとらしくならずにその空気を醸せるかどうか。利休という人はそういうことを悶々と考えてたんだろうな。
手を抜くのは簡単で。
意識しないのは簡単で。
なんとかなるよというのは簡単なんだ。
でも普通は気にとめないようなところに、神経と、想いをのせていけるかどうか。
これをおもてなしと呼ぶわけで。
日本人の大事な心意気の1つなんだろうと思う。
突き詰めていけば、企画だってイベントだって。根本にそういう気持ちを持っているかが大事で。もっといえば、日常、自分の生活にそれが習慣になっているかどうかということが一番重要なんだと思う。
常にその先にいるであろう人を見据えて行動できる自分であるかどうか。
なにがいいたいかって、また理屈っぽくなったけど。
スキヤキがおいしかったってこと。
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ノストラダムスは嘘つきじゃなかったのかもとか思って。ノストラダムスは、嘘つきを自分からかってでたんじゃないか・・・とか思って。なんでかって、そうすることに意味があったからなんだ。
な~んて脈絡もないこんなあほなことを思いついて、まぁ鼻息荒くして、自分の思いついた、この考えをいろんな人に、話してるんだけど、いまいちみんなピンとこないことこないこと・・・すごいこと思いついたと思ったんだけどなぁ。
伝える力の問題か。
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脚光をあびたいとか。
目立ちたいとか。
認めてほしいとか。
そういう根源的な欲求はだれにでもあるんだろうけど。でも、器もないのに担ぎあげられて、脚光をあびることほどみじめな結果を生むことはない。
引き出されるということは、なにかを引き換えにそこに立つわけで、そこに耐えうる自分があるという自負があるからできることで、それがないのに、そんなところに立たされることがどういうことか、そのリスクも予想できない人がただ口をそろえて認められたいという。
そんでそういう人に限って、そこに立っても同じように認められるのも苦しいねなんていって傷をなめあうんだ。
長く助走をとったほうがより遠くへ飛べるっていってたもんね。
逆を返せば、長く助走をとらなきゃ高く遠くへはは飛べないってことなのかもしれない。
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あたりまえのことなんだけど。
あたりまえのことがあたりまえにできないのが現実で。
自分に自信がないのに、だれかに自信を持てよとか。
自分が大丈夫じゃないのに、だれかに大丈夫だよとか。
相手のことをちゃんと見てないのに、自分をちゃんと見てとか。
核兵器を両手に抱えながら、核のない世界をとか。
なにかを変えようと思ったら、変えるべきはまず自分からで。
それもできない奴がなにかなんて変えられるわけなんかない。
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だれかに向けて書くことでは、すべての人には伝わらないかもしれないけど、だれかに向けて書かなかったらだれにも伝わらない気がする。
つまるところ、なにもイメージしないでする行動は誰にも響かないような気がするわけです。
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年を追うごとに、1つの言葉の持つ深さとか、意味とか、当たり前に使う言葉の中にある重みを、ず~んと感じることがある。その言葉の意味を腹で感じて、昔を振り返ってみると、
ありがとうとか。
ごめんねとか。
またねとか。
そこには、その時には気づけなかった想いがあったり、相手をちゃんとおもいやれなかったり、そんなことに何年もして気がついて、その言葉に時間軸をこえて返事をしたりする。でもその返事はあの時には届かないから、せめてその返事になるような自分になろうと思う。
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どこぞの首相も。どこぞの大統領も。だれかの書いたシナリオの上の歯車で。それがここのところ、いろんなところでかみ合って回り始めてる気がする。予定通りの方向へ。
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心に行動は伴ってて、行動に心は伴ってるわけで、どっちかじゃなくてどっちも大事なんだろう。
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すごいなぁと思う社長に太ってる人ってあんまりいないなぁと思って。
っていうことは太ってない方がいいなにか理由があるかもしれないなと思って。
その理由が明確にわかるかどうかというのが、なにかを判断する時に大事なことなんだろうと思った。
わびさびみたいなもんなんだろうとおもう。
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ばらばらに思いついて書いてることが根っこでは全部おんなじことを言ってるなって思ったら。自分の中で大事にしたいことはそこなのかと気づかされるわけで。
それが自分がアウトプットすることの一番大きな意味で、やめない理由なんだろうと思う。
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あなたの説教くささはいつも身に滲みます。とかいわれて。
ほめられてるのかそうじゃないのかはわかんないけど、悪い気はしない単純な自分。
そんな小さな一言や、小さな出来事や、意識もしないような小さな粒みたいなものが蓄積してできあがっていくのが自分という人格なんだろうと思う。
POSTED @ 2009.12.14 |
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