Title: だんぼーる。
仏教は必要か必要じゃないか。
もっといえば宗教は必要か必要じゃないか。
なんて議論をしている人がいる。
でも思うに、それは自分の胸に聞くことじゃないかと思う。自分が必要ないと思えば、それは必要ない。誰かにとって必要かどうかは議論してもしかたないと思う。
宗教は誰かのためにあるのではなく、それぞれが自分のためにあるものだと思う。そもそも、なにかソフトウェアみたいなものじゃないし。
ただ、自分は布教や教化をしていく立場なんで、そういうこというと怒られるけど、真宗いいよ~みんなもレッツ真宗!とかいうのは苦手だし、そんなつもりもさらさらない。
じゃあ自分にできることはなにかといえば、自分が真宗の中に味わいをみつけて、楽しみをみつけて、感動をみつけて、救いをみつけることで、その1つ1つに満足して生きていくことだと思う。安穏としていることだと思う。自分のお腹に味わっておとしながら。
そんでその姿をさらすことが、自分のできることだと思う。
迷ってることも苦しんでることも、ぜんぶさらけ出すことだと思う。
そんで理想形は、のうのうとしやがってとか、悩みなさそうだよねとか、いいよね苦労してなくてとか、いつもへらへらしてるねとか、ほんとなんも考えてないよねとか言われ続けることなんだろうと思う。
親鸞一人がためなりけり。
唯円の心にのこったこの言葉の意味は、そのまんま自分の心にのこった言葉でもあることに、妙にうれしかったりする。いやというほど読み込んだつもりの歎異抄なのに、読んでも読んでも、わかってなかったなと思うことばかりだ。
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脳みそと意識は、向き合ったら向き合っただけ答えてくれるなと思う。
なにかにとらわれてるとき、もやもやしてる時、その状況をしっかりと受け止めて、それをどうしたら払しょくできるのか考える、意識をいろんなところへ動かしてみる、脳みその力をふっと抜くみたいに。そんなことを繰り返してると、ある時カチッと鍵が開くみたいに、ふわっと力が抜けるときがある。面白いように脳みそと意識は答えてくれるなと思う。
目に見えるものすべて、それは自分を変えてくれないし、自分もそれを変えることはできないし、自分を根っこで支えてて、変えられるのは自分だけなんだと思う。
POSTED @ 2009.10.20 |
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