Title: 26年生きた。
毎年この日はおれの中で大切な意味を持つ。
26歳の最後の日。
もう26年も生きたんだなぁとおもいつつ、まだ26年かとも思う。
人生は間違いなく前に進んでいる。
去年見えなかったことが見えるようになり、いままで感じなかったことを感じられるようになる。365日という時間の中で経験した1つ1つの出来事が確実に自分の中に刻み込まれていく。
この1年で経験したことに1つも無駄なことなんてなかった。
おれはほんとについてる。
おれならなんとかできるって自分の力でなんとかきりぬけようとするか。
世の中にはどうにもならないことがあるってあきらめるか。
きっといままでのおれはどちらかに偏ってたんだと思う。
でも抗うでもあきらめるでもなくて。
受け入れるっていうことができるようになったと思う。
自分の身に起きるすべてを無条件でうけいれる。
幸福があるから不幸があって
喜びがあるから悲しみがある。
それでいい。
不幸や悲しみが訪れるたびになにかにすがっていこうと思うなら
これから何百回何千回おれはなにかにすがらなきゃならない。
悲しみも不幸も自分の一部で
光があるから影があって
影があるから光がある
これは両極端じゃなくて
2つで初めて1つなんだ
抗ってもあきらめてもおなじことの繰り返しだ。
どちらかだけを受け入れるなんてことはできない。
だからこれでいい。
きっと受け入れるってことが
生きていくってことなんだと思う。
きっと西洋の人間にはわかりづらいかもしれない。
受け入れることを文化的に感じられる国に生まれてよかった。
その瞬間瞬間に自分はどういう反応をして
どんなことを感じてどんなことを言って
どんなものがみえるようになるんだろう。
その時に感じた自分を信じればいいだけ。
あれこれ根回しもいらないし、
理論武装も必要ない。
張りぼてもいらない。
そうおもったらすごく楽になった。
なんかわかりにくい例えだけど
今までは刀を研いで、刀を振って、いつも気を張って、いつだって柄に手をかけながら、少しでも大きく強くみせようと肩で風きって歩いて、いつ斬りかかられても大丈夫なようにしなきゃって思いながらも、刀を持った人が怖くて怖くてしょうがなかった。
でも最近は、根拠がないんだけど刀を持ってる相手に丸腰で対峙しても多少斬られたって最後に立ってるのはきっと自分だとなぜかそう思う。
1年ですこし強くなったかもしれない。
おれにおきたすべてのことに。
出逢ったすべての人に
ほんとにありがとう。
POSTED @ 2007.01.08 |
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