Title: 羊雲
高高度を飛ぶB29が爆撃にきて、それを飛燕が迎撃にでるんだけど、B29の高度まで飛燕が届かなくて、あと一歩のところでストールして苦戦しているのを何度もみて、口にはださなかったけど、この頃からこの戦いに疑問を覚えるようになった。
B29がサイパンから本土まで航行してきて、攻撃をしてサイパンに戻れるだけの航続距離をもっていたにもかかわらず、日本は、浜松から一度、硫黄島まで飛んで、そこで燃料を補給しなければ、サイパンには航行できなかった。だから硫黄島が落ちた時点で、日本にはなすすべがなかったんだ。
せめてそこで、海軍力があれば、水際でも艦載機で、飛行場の攻撃を未然に防げる可能性もあったし、なによりも艦載の航空母艦が日本近海を航行するのを防げればもうすこし戦果にも影響はあったかもしれない。
でも沖縄を失った後は、制空権も制海権も失った軍にはなすすべはもうなかった。
本土に手がかかった時に、そこになすすべがないことは、兵器の整備をしていた人間にはよくわかるし、その性能の差を歴然にわかるから、B29に対抗できる兵力が、当時本土にほとんど残っていなかったことも、テスト機までが主力として配備されていたことも目の当たりにしていた。
しかも、本土決戦に向けて、軍用機の温存のために内地の基地に軍用機が集められるのを目の当たりにしていたら、前線でこれだけの軍用機を温存されたらどうんるんだろうと心を痛めた。
まだ若かった自分が、本当にこれで本土決戦は大丈夫なんですか?と上官に訴えたら、上官が一言、
「やるだけやるさ」
と言って、そのさみしそうな顔が印象的だったという。
戦争を体験したおじいさんの記憶がここまで鮮明でいて、なおかつ1つ1つの記憶を確認するみたいにしぼりだしながら語る様に、時代というのはなんなんだろうと思ったし、国ってなんだろうと思った。
その時代と今の時代を比べて、もちろん世界は平和の方がいい。
でも戦争も平和もそれは状態を指すものであって、そこには一様にメリットとデメリットがバランスをとっていると思った。
自分の中で、まだ整理をするのに時間がかかりそうだけど、
最後にそのおじいさんが
「必勝という観点において、大胆ないい方だけど、老人の経験と青年の情熱は相等しい」
といった。
その言葉に実感をもって感じることは今はできないけど、それがストンと落ちるところまで、もう少し反芻してみようと思った。
POSTED @ 2010.07.26 |
Comment (0) |
Trackback (0)