Title: なだそうそう。
シンプルにシンプルに、よりシンプルに。
いつだって全力疾走できるくらいにシンプルに。
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人前で話をする時に一番大切だと思うのは、
理論的かどうかとか、筋が通ってるかとか、その内容よりも、やっぱり、目の前にいる人たちに切に何かを伝えたいと思うかであり、自分がその想いにどれだけ感情移入できてるかどうかだろうと思う。
すっとその気持ちに入れるか否か、ここに意識することと、ここにかかる切り替えの時間が早くなることが話がうまくなるということなんだろうと思う。
想いのないものはいくら名文でも伝わらない。
大事なのは熱量だ。
本質はすごくシンプルで、シンプルであることは複雑であることよりも難しいと思う。
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もう今回の選挙でいろいろおもうことはあるものの。
あ~あ幸せってなんだろね。
政治や選挙を見ていると、社会の縮図というか、幸せの価値観というか、人間ってば本当にどこまでも人間だなと感じる。
しかし、あまりにも外国人参政権については触れられな過ぎる気がする。なにか意図的なものが動いているんだろう。
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この間質問されて話したのだけれど。
仏教は悲しみや苦しみを消すことを説くのではないです。
なんか仏教を学ぶと、悲しんだり、苦しんだりすることがなくなるのかと思っていたり、悟りはそういう感情がなくなるのかと思っている人は多いかもしれない、自分もそう思っていたことがある。
でも仏教に触れるにつれ感じるのは、仏教は、悲しみを消したり、苦しみを魔法みたいに消したりはしないし、そんな呪文のようなものも持ち合わせてない。
仏教は、悲しみや苦しみに押しつぶされない方法を説くんだと思います。
だから泣きたいときには泣きたいだけ泣けばいいし、苦しい時にはそれを消し去ってくれる魔法なようなものにすがらずに、しっかりと苦しんで、それを糧にすればいい。
仏教は、そこで押しつぶされたり、自暴自棄にならない方法を説いてくれるわけで、それがあるかないかで、自分で立ち上がれるか上がれないかが変わるわけで、自分でなにくそっと思って立ちあがって、初めて見えるものがあるんだということを教えてくれるんだと思います。
占いだとか、スピリチュアルだとか、目先のわかりやすい解答で安心することは、自分で立ち上がっていることにはならないと思う、でもどうも人間は自分の頭でなんでも理解できると思っていて、自分の頭で理解できる明朗なものが、さも自分にぴったりなものであるように思いこむけど。
自分に矢印を向けて、自分の中に気づきを見つけるということは他人にはできないことなんだろうと思う。
鏡がないのに、化粧して、鏡がないのに着飾っているのに、もしかしたら自分が裸の王様かもしれないとすら疑えないから、凡夫なんだろうと思う。
仏教は鏡見たいだといった人がいたけど、今その言葉がすごく滲みる。
な~もなも。
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自分がどこに進めばいいかわからなかったら。
なにかを否定すればいい。
否定して否定して、ああはなりたくないと思うことで、
あぶり出されるものが、自分のなりたいもので。
あそこには行きたくないと思う場所をたくさん見つけることは、
同時に自分の行きたい場所を照らし出すことなのかもしれない。
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徳永さんの唄う、「時の流れに身をまかせ」いい曲だなぁ。
昭和の歌謡曲の歌詞はやっぱ深いな。今は作詞作曲を本人でする人が多いけど、作詞を生業として仕事にしていた人の生み出す言葉は、やっぱり深みがあるなぁと思うことがあります。
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おじさんは ちんぴらだったから うまくいかなくてよかったというような思ってもいないことを 僕が言うと
ローズはさっぱりしたような顔で ほんとよね と答えた
たくさんの折り重なった感情を表現するのにこの2行は十分すぎるくらいにシンプルだ。
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POSTED @ 2010.07.12 |
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