Title: 天高く馬肥ゆる
■感覚の再構築
楽しいとか。癒されるとか。好きとか。嫌いとか。気持ちいいとか。会いたいとか。愛おしいとか。
とりあえず27年で当たり前にあった感覚が突然違うものみたいに、新しい感覚みたいなることがある。
ああ。なるほど。いままでこれを好きとか思ってたけどいままでのはそうでもなかったなとか。ああ。気持ちいいってことはこういうことかとか。
たかが27年で得たものがそれで正しいなんてことはないんだと思った。
頭じゃないんだね最後は。
心や想いがのってはじめてわかることがまだまだたくさんある。
おれの中に完成されたものは何一つない。ぜんぶ疑わしいものだらけだ。
おれ全部疑わしい。ぜんぶしったかぶり。目の鱗がなくなりそう。
■蕎麦屋のお子様
こないだ蕎麦屋でとなりにいたとてもお上品で頭のよさそうなお子様とそのまたお上品なお母さんの会話。
子「こないだどっかで日本人が殺されたんでしょ」
母「ミャンマーだよね」
子「それどこ」
母「どこだろうね」
子「でもひどい国だよね。国際裁判所に訴えるいかないよねそういうのは」
母「ほんとひどいね」
これだけ隣で聞いていて思った。
きっと国際裁判所のことを学校でならったんだろう。
それは間違っちゃいない。
でもお母さん。
ひどいね。で片付けておわりですか。
なんかいやだなぁそういうの。
おれはそうはなりたくないなぁ。
歴史の話を懇々と話す気はないけど、
せめて子どもには水島上等兵の話と埴生の宿を合唱するシーンの話をしてあげようと思う。
■基礎ができてから
文章も。書道も。絵も。ファッションでもなんでもそうだけど。
基礎ができてはじめて崩せるんだと思う。
特に芸術ってのは基礎ができてはじめて遊べるし基礎がわかってはじめてその感覚の世界のすごさがわかるんだと思う。
ピカソの絵だって基礎ができてる人がみたらきっとそのときにはじめてそのすごさがわかるんだと思う。
文章も、韻文でも散文でも。
やっぱり基礎ができて初めて深みが出るんだと思う。
深みというのはユーモアだったり、余裕だったり、粋だったり。結局は感覚的な遊びなんだと思う。
遊びってのはなにかとちゃんと向き合ってはじめて意味を成すのかもしれない。
いきなり崩そうとしてもそれはただのぐちゃぐちゃなんだよきっと。
■脳みそ
たまに脳の話を書くことがあるけど。脳ってのはおもしろい。
たとえば。ああのどが渇いたな水がほしいなと思って水を飲みに行くときに、人間は自分が水が飲みたいと思ったから水を飲むと思ってるけど。
それは間違いで。
脳が先に身体の状態を見てそろそろ水分が必要だなこいつに水を飲みたいと思わせなきゃ。と判断して指令を出すそうです。
人は脳に支配されてるんだね。
感情が先だとおもったら大間違い。
脳が先でそこから感情を呼び起こすらしいです。
その話を聞いて。
それならばおれの感じるすべてのことは、きっと身体が機能を維持するために必要としてるって事で、おれの感じることは全部自分にとって意味のあることになる。
意味のない感情なんて一つもないんだ。
なんかすこし気が楽になった。
ぜんぶ自分のためなんだね。
脳様様だな。
■朝の女の人
朝はやく家をでると思うこと。
なんか朝一で6時とか7時とかにすれ違う通勤途中の女の人はまだ生活臭さがのこってる気がする。
なんというか作りきれていない顔の人が多い。顔にものすごい感情がでてるし、切り替えが終わってない感じがものすごいする。
きっとそれは時間がたつごとに消えてしまって、もう午前中にはつくり笑顔も様になって仕事モードになるんだろうけど。
そういう素の部分にこそ人がでるよね。
気になる人がいたら朝一で待ち合わせしたらその人の素がみえるかもしれないなと思った。
■失う
人は失って初めて気がつくといううたい文句がありますが。
思うに失わないと気づけないのが人間なんじゃないでしょうか。
■ビエラ
新しいビエラのCMものすごいいい。
たぶんチベットだと思われる映像がながれててちょっといきたくなった。
もう一回みたいのになかなか流れないんだなこれが。
■金八先生
やっぱ最高です。
金八先生を見て教師を志す人がひとりでも増えてくれたらいいと思う。
金八先生は偉大です。
あと福丸大吉も最高です。
人間くさいのが最近はやってるみたいですが。
こうやって時代は回っていくんだとつくづく実感します。
きっと人間くさい世界になると今度はそうじゃない世界がもてはやされるんだと思います。
回る回るよ時代は回る。
■芋
芋食べ過ぎるとおなかが張ります。
POSTED @ 2007.10.16 |
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