• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 頭をがつんとたたかれてもすぐに目覚められない時もある。
2006.10.31

先日うちの寺で講演会があった。NHKや大学などでも講演をしている有名な仏教学者であり心理学者でもある先生のお話だった。

1時間半にも渡る講演を最後まで飽きることなく聴けたということはやっぱりその人の何かを伝えようという気持ちと聴く側の求めてるモノがしっかりとあってたからだと思う。すべてが響くのではなく、ポイントポイントですっとはいってくる言葉があるのは自分がまだ行き着いていないところから感じた言葉がたくさんあるんだと思った。

とまぁここまではいつものことで毎年ある講演会の話しってことで終わりなんだけど、そのあと近くに泊まるところがあるのでというので、おれがそこまで送っていくことになった。

車の中でその先生は自分の母校である大学を通りがかった時に自分が仏教と出会った原点の話しをしてくれた。

自分が戦時中特攻隊の基地でパイロットをしていたこと、飛行機はなんで飛ぶかとか、編隊を組んで飛ぶことの難しさや特攻に行くための訓練の話や、仲間の話、中でも特攻隊の編成式での一幕の話は心に残ったのでかいつまんで紹介すると。

いよいよ先生のいた基地でも特攻隊が編成されることになって、部隊の人間がみんな集められて、担当の鬼教官がみんなの前で特攻隊の説明をした。みんなはその一言一言をしっかりとかみしめて、いよいよかと真剣なまなざしで話を聞いてると、突然その普段無口で鬼の様な教官が真っ赤な顔をして震えながら「こんなことをして日本が勝てるか!」と涙しながら叫んだという。

その時代に教官クラスの人間がそれを叫ぶことがどれだけのことかそこにいるすべての人が知っていたし、それを聞いた隊員達のほうがびっくりして言葉を失ったという。でもその時に同時に、ああ教官は自分たちに心から死んでほしくないと思ってくれているんだと実感できたという。

そして次の日にはたくさんの仲間が特攻隊として飛び立って行ったという。

先生は本土決戦に備え内地の基地へ配属になりそこで終戦を迎える。

そして戦後日本が復興に向かおうとするまっただ中、材木屋だった家には戻らず仏教の道に進もうと決意したという。戦争という体験、そして自分が生き残っているということが時に自分を苦しめて追いつめてきたという。しかしその体験こそが仏教に出会わせてくれたという。

84歳の人が、しかも有名な仏教学者でもある先生が、こんな若造に真剣に向き合って話しをしてくれた。その姿勢にまず正直はじめは話をあわせておけばいいやっておもっていた自分が恥ずかしくなったし、自分の小ささを感じたし、頭をがつんとたたかれたような気がした。

そんな話しをしながらもうとっくに先生の泊まるところについているのに、下に車をとめて、それから車の中で40分ほどいろんな話をした。マニアックだけどサンスクリット語の原文の話や阿弥陀経の訳の話、一つ一つの話しが自分の中に確実に刻まれたと思う。

中でも阿弥陀経の一節にある箇所を抜き出して

光と影は表裏一体って簡単にいうけど裏とか表とかそういうくくりではなくて、光影ってのはそれで一つの単語であって、たくさんの光があってたくさんの影がある。光がなければ影はなくて影があるのに光がないわけない。

つまりは人間はそういうひとくくりの中で生きていて、それを切り離したり分けて考えようとするとそれが苦しみになる。ありのまま当然の姿をすべてまるごと受け入れることが大切なんじゃないかと思う。影はいつだって裏じゃない。

それがここに書かれているってことで私は本当に救われた。
私はこの影っていう言葉が好きなんだよ。

っていった言葉が妙に心に焼き付いた。

深い。

そんな話をききながらなんでおれにここまで真剣に話をしてくれるのか理解できなかったんだけど、車を降りるときに先生はこういった。

自分の寿命がもう少ないことを最近自分で感じるから、だからいままで私が気づいたこと、そして感じたことの種をすこしでも残しておきたいと思うし、ましてやこれから仏教者として歩んでいく人にこの種を残せることがなによりも嬉しいと言った。

重い言葉だった。

改めて自分にはなにができるんだろうとか、改めて自分はなにをすべきなんだろうとか。とにかく頭をがつんとたたかれてめまいがするような感覚がした。

しかしいつどこでどんな出会いがあるかわかんないもんだ。これがホントにおれの一生になにかを残す言葉になるかもしれないわけだし。そう考えたら生きてるってことはやっぱりものすごいことだと痛感した。

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Title: ただの休日の話
2006.10.28

ひさびさにゆったりとした休み。

朝はゆっくり寝てやるぞ。と意気込んだものの9時にはもう起き出すと休みの日には定番のレトルトのカレーを食べながらビデオに貯めておいた「リンカーン」「世界仰天ニュース」「アンビリーバボー」を立て続けに観る。

そしてほとぼりさめた頃にこれまた休みの日には定番のヨドバシカメラへ。

衛星放送見たさについに光回線の申し込みをした。

これでついに、「ナショナルジオグラフィックチャンネル」と「ディスカバリーチャンネル」がみれる!!いつでも家でこの2チャンネルがみれるなんてほんと夢のようだ。すげー楽しみ。「ミステリーチャンネル」がみれないのが若干の心残りだ。

そしてその勢いで携帯の機種を変えようと携帯売り場へ行くとsoftbankの売り場がものすごいことに・・・機種変更に5時間待ち・・・一方docomoはがらがら・・・勝負あったかポータビリティ制度・・・そういう自分もdocomoからの乗換組になりそう。いまねらってるのはSoftBankのX01HT

Word、Excelの閲覧や編集ができて。PowerPoint®、PDFの閲覧もできるなんてものすごい機能だ。

番号ポータビリティの波に乗ってやる。

しかし休日の秋葉原はすごい。色んな人がいる。
ヲタ芸師みたいな人もいるし、萌系漫画の作者(おっさん)のサイン会にものすごい並んでるし・・・なんか明らかに子どもみたいな萌系アイドルにものすごい興奮していらっしゃる方々がいるし。ビバ秋葉原。

最後に「クロマニヨンズ」のアルバムを買ってヨドバシを後にする。

それから池袋にいってふらふら買い物してひさびさに一目惚れ買いをした。a60 ADERIAの限定グラス。ものすごいキレイで重厚感があってこれで芋焼酎なんて最高だな。江戸切り子についで2番手のお気に入りグラスになること間違いない。

写真に撮ろうと思ったんだけどうまくとれないのが残念。

なにをするわけでもなく、なにをかんがえるわけでもなく一人でぶらぶら徘徊して定食屋で定食食べて、好きなものみて、好きな物買って好きな音楽聴いて。

こんな何気ない一日がものすごい重要だと感じるようになったのは成長したのかそれともなにかを失った結果なのか。

なにはともあれ貴重な休日にゆったりと切り替えができた。

そんな休日の締めくくりに今夜はいまから昨日amazonから届いた映画「イノセントボイス」を買ってきたグラスで芋焼酎を片手にでじっくり観よう。

ただの休みの話なんだけど。
ものすごく大切で幸せな時間の話。


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Title: 千差万別十人十色
2006.10.25


最近気づくと口癖のように「いやぁ世の中ほんといろんな人がいるわ」と言っている。

本当に世の中にはいろんな人がいる。

自分には想像もできない突飛なことをする人もいるかと思えば、俺には無理だぁ!って思ったことも軽々こなす人もいるし、なんでこれができないの。と思うようなことがいつまでたってもできない人もいる。

自分と同じモノをみて同じように感動できる人もいれば、自分とは全然違うところで涙を流す人もいる。何気ないことに怒る人もいれば、おれの怒るところを温かい目で見れる人もいる。

そういう場面に出くわすたびに、ああ自分はまだまだだとか、この人がこれでこの立場ならおれはもっといけるんじゃないかとか思ってしまったりする。その度に「ああやっぱり世の中にはいろんなひとがいるな」と実感する。と同時によくもわるくも自分には理解できない思考回路を目の当たりにする度に本当に人ってのは興味深いなぁと思う。理解できないことを知るのがなによりも一番おもしろいし、そういう出来事が自分の視野を大きく広げてくれるんだと思う。

ただついつい自分と違うとあの人かわってるなぁとか思ってしまうし、あいつほんとに意味わかんない!ほんといろんな人がいるわ。って半ばあきらめを込めて自分だけの物差しで人をはかって、それで片づけてしまいがちなる。

そうすると結局「ほんと世の中いろんな人がいるなぁ」の中に「あの人かわってて自分とは違うなぁ」が込められて自分と切り離して終わってしまう。でもどんなことでも自分と切り離してとらえてたら前にはでれないし何も得られないんだと思う。なんでもそうだけど、自分に関係ない事なんて何一つ無いから手放して目を背けたらそれっきりなんだと思う。

だれだって未完成なんだからきっといまの自分にはその部分は理解できないだけかもしれないし、状況や時間や環境が変わったり、同じような育ち方をしてたら自分だって同じような判断をするかもしれないくらい自分のものさしなんていつだって当てになんてならないんじゃないかと思う。

手探りで目の前の相手を知ることがなによりも自分を知ることで、自分を知ることが何よりも人ってものを知ることなんだと思う。

そう思うことで自分を納得させつつも本当に理解不能な人が多くてこまる今日この頃・・・ああまだまだだ・・・

まえにまえに

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Title: 秋空にバランスをとる。
2006.10.19


この時期は年間で自殺者の数が減る時期だという。秋空の青は人間の心を穏やかにする効果があるそうだ。たしかに朝起きてすっきりとはれた秋空をみながらすこし冷たい空気を吸い込むと、よし今日もがんばろうという気にもなる。

人間は追いつめられてるときこそ成長できるんだなぁと実感する。ものすごい仕事に追われてるときほど気持ちの切り替えがうまくなるしものすごい疲れてるときほど素直に自分を表現できてたりする。よけいな思考がそぎ落とされるからだと思う。同時にそういうときこそ本当に自分の反省すべき点が浮き彫りになる。余裕があるとどうにもよけいなことが先に来るし、なにかを取り繕うというところに頭が回るから反省すべき自分にいきつかないし、そこにいきつくまでにうまいこと自分をまもる考えが思いついてしまう。

自分の性格上そうやってぎりぎりまでいってみないと何かを得られないのは重々承知してるけど、ふと気づくとどこかに余力を残そうという考えが頭をよぎってそこにいきつくまえに自分を守ろうとする癖がつく。

仕事上せっぱつまってたら絶対にできない判断も多いし、余裕をもってなきゃみえないこともたくさんあるのは間違いないから、いつもおいつめられてるわけにもいかないんだけど、やっぱりそういう状態でいることに慣れすぎるとどんどん偏って、その世界から抜け出せなくなって気づいたら頭でっかちで視野は狭くなってる。

むずかしい。

何事もバランスが大事だな。

生きていくってのはなんでも論理的に進んでいけるほど単純じゃなければ、勢いだけで乗り切れるほど甘くはないってことか、微妙で複雑で時にこうやって矛盾してるのにそれが共存してて、考えれば考えるほど生きていくっていう作業はよくできてるしおもしろい。



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Title: しゃらくさい
2006.10.15

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最近グーグルが買収して話題になったYouTube、最近暇なときによくみるんだけど、朝なにげなく色々みてたら、ドラえもんのページで「おばあちゃんの思い出」というのを見つけた。前に映画でやったおまけな作品みたいなんだけど、これは泣けます。そんなに長くないので時間のある人とドラえもん好きは是非。

http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93

おれらはおれらが思うほど大人になったわけでもないし、おれらが思うほどなんにもかわってない。自分で思ってるよりも時間の流れってのは穏やかなのかもしれない。あの写真なんてみんなそのまんまじゃん。

最近恒例のチベ呑み、今回は新宿の路地裏、うっかりしたら見落とすような小さな店「上海好吃」にて開催。映画「不夜城」のロケ地にもなったらしいんだけど、そこだけ完全に日本から切り離されたみたいで、映画で言えば「yentown」に出てきそうな雰囲気を醸し出してて最高。最近旅に出られないアジアが好きな旅人には絶対お勧め。火鍋もかなり本格的でホント美味しい。具材もかなりバラエティにとんでるし種類もかなりあるのが嬉しい。中にはカエルとかスッポンも・・・ほんとに一瞬このまま宿にもどって寝るかなって錯覚できるくらい日本であることを忘れた。また2件目の店では水煙草を初体験。煙を吸いながらまったりと流れる時間にほんとリフレッシュしたのと同時にあんな旅がまたしたいと強く思った。

いつかまたリュック一つでああいう旅に出よう。

前の日の二日酔いが抜けず酒をあまり呑めなかったのが若干の心残りだけど、しかしAクツさんハードルあげたなぁ。

日記の添付写真は「上海好吃」の路地

いい大人なんだからなんてしゃらくさい。

夢見たり、むちゃしたり、なにかを追いかけたっていいじゃないか。偉そうに腕くんで指くわえて傍観するのなんてごめんだ。

しかし新しいポカリスエットのCMの綾瀬はるかかわいい。

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Title: 日本の音
2006.10.08


映画「蝉しぐれ」のサウンドトラックに完全にどっぷりつかってます。これはいい。日本の風景と歴史と時間、日本というものを形容するに十分な音が詰め込まれてる。

この音にどっぷり浸かりながら思うのは、日本の音っていうのは、本当に穏やかで、重々しくて、そして趣とか情緒がある。まさに「わびさび」としか表現できない奥行きがある。

国歌というとまた右だとか言われそうだけど、そうじゃなくて純粋に日本の国歌ってのは素晴らしいと思う。歌詞も音も。あんなに穏やかでいて重々しさも感じさせるだけじゃなくて、本当に日本独特の文化をうまく表現してるとおもう。「さざれ石の巌となりて」とか「こけのむすまで」とか長い時間の中でしか培われない感性だと思う。そしてなによりも平和的だ。

他国の国歌というのは、戦いの歌であったり、戦意高揚のための歌詞が多いし、実際一部抜粋だけど、

アメリカ国歌

戦争による破壊と混乱を
自慢げに断言した奴等は何処へ
家も国もこれ以上我々を見捨てはしない
彼等の邪悪な足跡は
彼等自らの血で贖われたのだ

中国国歌

万人が心を一つにし
敵の砲火に立ち向かうのだ!
敵の砲火に立ち向かうのだ!
進め!進め!進め!

イギリス国歌

おお主よ、我等が神は立ち上がり
敵を蹴散らし、潰走させ、
姑息な罠をも打ち破りたもうた
我等の望みは汝にあり
神よ我らを守りたまえ

イタリア国歌

主が創りたもうたローマの僕(しもべ)
我がイタリア その美しい髪を捧げよ
さあ隊列を組め、我等は死をも恐れない
イタリアが呼んでいる、そうだ!

こんな歌詞のなかで

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで

陸続きでない国であることに大きな要因があるのもたしかだけどこれが日本を象徴する歌ってのはすごく意味がある思う。

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Title: キムチ鍋は最近胃にくる
2006.10.06


昨日のひさびさにおじいちゃんが夢に出てきて、何かを話していた。夢の中で冷静にああやっぱりこういうことを言ってくれる人がいると心から安心する。って思ったんだけど、朝起きたらそれが何だったのか思い出せない。すごく大切なことだったような気がする。もうすぐ7回忌だしなにかを伝えに夢枕か。もう7回忌なんだと思うと当たり前のようにあった景色が少しづつ変わっていき今ある日常があたりまえになるころには、またなにかが変わっていくんだなと思う。

「無常」という言葉があるけど、ほんとに最近つくづく常にあるものなんてなにもないんだと実感する。当たり前のように家族がいて親戚がいて。職場の仲間がいて、友達がいて、それこそうちの犬がいて。その中でのふとしたなにげない会話や、なにげないやりとりや、たわいもない馬鹿話だって、いつまでも当たり前のようにそこにありつづけるかなんてわからない。人は常に変化の中で生きていて、変化の中でなにかを学び、変化の中で何かを失う。

人は時に変化してはじめてなにかの大切さや尊さを感じたり。失ってはじめてそれを実感する。でもそれはいつでも想像しうる当たり前のことで、なにも食べなきゃ腹が減るっていうくらいわかりきってることなのに、そんなことには目を向けないで、あくせく先ばっかり、明日ばっかり、みてるからその時になってみないとその尊さとか自分が立ってる場所とか。そういうものに気付なくなっちゃうんだと思う。歩くときには少し前を見据えてても、たまには立ち止まって足下を確認するってことはやっぱり必要だと思う。

いまの自分の周りに流れている時間とか環境とか、すべては今にしかない瞬間の連続だ。生きるっていうのは刻々と過ぎる時間の中でそれをしっかりと見据えて、自分に起きるすべての出来事を幾重にも纏っていく作業の連続なんだと思う。

今ここに自分がいる。

これだけが真実でこれだけが儚くも消えていく中で生きてるっていうことのすべてなんだと思う。

そして同時に今ここに自分が立っていられるのは今の自分に関わってるたくさんの人がいるおかげだと思う。

浄土真宗において法事という行事は、供養のために行うのではなくて、亡き人を通しいま自分が生きているという尊さに気づくための人間回復の大切な機縁だといった人がいるけど、本当に大切なことだと思う。そういう時間を持たないで生きるってことは、手探りでやみくもに暗闇を走り抜けるようなもんだと思う。

気づけばものすごい重い内容だから題名だけは軽くいこう。


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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。