Title: 手を握る。
一度狩りというものがしてみたいと思っていて。
先日ぽかっと1日休みができたので、初心者の自分が狩りなんてできるんだろうか、ましてやこの時期に・・・と心配だったものの、いろいろ調べた結果、狩りをさせてくれるという所を見つけたわけです。
リアル狩りです。
都内から車を走らせること数時間、いろいろな事情があるので、狩りの様子や内容は、詳しく書けませんが、某県某所の山の方へ向かいました。
そして狩りを開始しました。
ピリピリとした空気の中で、狙い澄まして獲物を狩るわけです。
初めはなかなかうまくいかないのですが、慣れてくると、さくさくできるようになりました。
ちょっとリアル過ぎて不適切な表現ですが、駆り立ての肉は新鮮なんで、生で食べれるんですね・・・駆り立ての獲物の肉を、むしゃむしゃと貪ったんですが、これがうまいのなんのって。口のまわりは真っ赤で、まるで悪魔の儀式みたいでしたが、これはやばいですよ。やみつきです。
これを食べたらもう店頭にでパックになってるものなんて食べられないです。
まあ、今回狩ってやったのはいちごなんですけどね。
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そんで先日、セグウェイにも乗ったんです。前々から乗りたい乗りたいといっていたんだけど、やっとその機会に恵まれまして。
これまたまじすごいです。未来の乗り物です。
あれに内蔵されてるジャイロも、センサーも制御システムも、信じられないくらいすごい。これは口ではなかなか説明できないけど、いままでに味わったことない乗り心地です。
ほんとにそのうち、アキラでマサルが乗ってたような乗り物ができるんじゃなかろうか。
でも問題は重力なんだよな。人間が重力から解放されるような、いうなれば反重力装置みたいなものはできないんだろうか。それが発明されたら、いままでの文明は全部がひっくりかえるくらいの変貌をするだろうに。死ぬまでの間に、できないかなぁ。
でもなんか、ああここまで技術が進化してるなら、人間が機械に制御される日もそう遠くないんじゃないだろうかという気にもなる。
なにがいいんかわるいんか。
とまんないんだ人間は。
とまらないからこそ、そこに反作用の力を生みだすんだきっと。
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まだ薄暗いうちに起きだして、東関道を走っていたんです。
そしたら目の前にまっかな朝日が昇ってきたんです。
それをぼけ~と眺めてたら。
ああ、今日も世界は回っていくわけだ。
とか思ったわけです。
そんで、毎日毎日ず~とこれが繰り返してるだけなんだなと思ったわけです。
昨夜にいいことがあった人にも、悪いことがあった人にも。
平等に、ただ淡々と。
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一如という言葉の意味がやっとお腹に落ちてきた。裏も表も別じゃなくて、両方で1つのもので、ほとんどのものは、すべてあって1つのもの。どこかだけとりあげて、あれとこれを比べるのは違うわけで。
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習慣は人を作ると思う。
だから無意識でも意識的でも、習慣づくということは恐ろしいことだと思う。
こないだ、秋葉原の携帯売り場へいって、携帯かえようかなぁ・・・iphoneほしいなぁと思って、お店の人に色々話しを聞いてて思った。
あんなに人と話すことをマニュアル化しなければ、こなせない量の仕事の中に身を置くということは、大変なことだなぁと。
仕事だとはいえ、人と話すということを、あれだけ淡々と進めていくことを習慣にしてしまうと、知らず知らずのうちにコミュニケーションに対する考え方や、そこにある意味や本来の意図が、みえなくなっちゃうんじゃないだろうかと心配になる。
会話はロジックじゃないのに。
もっと深くて楽しいものなのに。
きっとああいう習慣がつくと、いまは誰とも話したくない・・・と思うようになって、コミュニケーションというもの自体にのせる意味合いにマイナスなイメージがついてしまうとおもうんだ。
だから、楽しいと思ってなにかをすることとか。
日々をちゃんと丁寧にこなすことは、すごく大事なことで、意味のあることなんだと思う。
やっぱ資本主義の怖いのはこういうところなんだと思う。
やっぱ資本主義という社会で生きていく以上、丁寧にいきていたら、数字をあげられないから、数字を上げるためにマニュアルを作る。マニュアルを作れば、そこに味は失われるんだろうし、それが結果として、招くものが、無機質な人間の関係とか、孤独感とか、そういうものに結びついてくるんだろうと思う。
飛躍しすぎかと思いきや、全然そんなことないと思う。
目に見えるものに幸せの価値観をつけたことが、資本主義の恐ろしさであり、一番のデメリットであると思う、でも目に見える形で、価値観を示さなければ、人間は自力で伸びあがるには、不確実でだらしない生き物でもあるわけで。
正解は1か0じゃなくて。
1か0じゃないということを知ってるか否かということだと思う。
習慣はそのまま人をつくるし、人生になると思う。
だから同じことを毎日繰り返して10年やって、身につかないことなんてなんもないし、同じことを繰り返しあほみたいに口に出してたら叶わないことなんてないとも思う。
逆に無意識に10年も自分であたりまえになってしまったものを変えることは、そうとうむずいぜ。
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なんか。
いままでの人生が一章なら。
いま確実に二章になったと思う。
今の自分を10年前の自分にみせたい。
つくづく自分てば自分が好きなんだなと思う。
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ろじっくな世界では、ろじっくを武器にしないことが最大の武器なんだろうと思う。
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POSTED @ 2010.02.24 |
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