• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: なかなか言葉になっちゃくれない。

その人がいると、なんかわからないけど、ぱっとその場所が色鮮やかになったり。なんとなく停滞してたものが、ぐぐっと流れだしたりするような錯覚だったり、なんかなにか特別なことをするわけじゃないのに、その人がいることで、その場がしっくりくる。逆にいないと何かが足りないような気になってしまうような人がいる。

ある時からずっと、その人にあって自分にないものは何だろうと考えていた、その感覚は何だろう考えてた。いつから考えたかもう忘れたくらい前から。

昨日、最後にその人を送り出す時にふと、この人がしていたことは、火を灯すようなことだったんだと思った。

なにげない一言や、なにげない行動や、なにげない心使いで、その場に、その会話に、その関係に、その時間に、その瞬間に。ぽっと火を灯していく。そしてみんなぽっとあったかくなる。

自分が大学をでてから1回も欠かさずに、必ず自分の話の時間に合わせてきてくれて、必ず1番前に座って、必ず一言言葉をかけてくれていた。

必ず。

はじめて人前で話した時も、最後に話をした時も。

1回も例外はなかった。自分が初めて1人で法事をしたのもその人の家の法事だった。その時も嬉しそうに声をかけてくれた。

最近おぼろげだったものが、ある種の確たる感覚に変わってきたと思えるのが、生きるとか死ぬとかは、本当に観念的なものなんだということ。亡きがらをみて、それには何の意味もないんだとすら思える。その人が物理的に終わって、おしまいかというと、自分の中では全然そうじゃない。その人が自宅にいても浄土にいてもなんらかわんない。

例えばそれは会う頻度の問題や関係の問題だけではないんだろうと思う。自分にとってしょっちゅう会う人と、年に1度しか会えない人と、または、死ぬまでに1度しか会わない人もいて、死ぬまでに1度も会わない人もいる。中にはその人はもう亡くなっていても後からその人の存在を本や功績を通して知る人もいる。

自分の中で生きているという線引きはどこからなんだろうと思うことがある。はたしてそれは物理的なものだけを指すんだろうかと疑いたくなる時がある。

「生きている」というのは、その人が、今この瞬間、目の前にいないという時点でもう自分の生み出した観念的なものでしかなりたっていないわけだ。

例えば、いま、これを読んでいる人の前に、自分はいない。自分が生きているということは、その人の観念の中でしか証明できない。これを書いているのは、もしかして、自分という人間が、生前に書いたものを日付を指定して、更新するようにプログラムしているだけかもしれない。でも読む方にはそれは関係ない。

電話で話しているというかもしれながいが、それが自分だと証明できるものはなんなんだろうか。これを書いている人と、電話で話している人が同一であることに証明はできるんだろうか。いつも会っているじゃないかというならば、それもまた同様に、その人が必ずしも、その人である証明は見た目と会話だけの問題で成り立っているわけで。それならばある日突然、事故で顔がぐちゃぐちゃになってしまって、話をすることができなくなって、その状況で、それを目の当たりにした人に、自分を自分であると証明できる術はなにかあるんだろうか。

証明できなければ、その人の中で、自分の存在は消えてしまうのだろうか。

いうなれば今の自分がヨシオカリョウである証明は、そんなおぼろげな観念と記憶の中でしか成り立っていないし、自分の中での、すべての人の証明もまた、そんなおぼろげななかでしか成り立っていないんだと思う。

でもそんなおぼろげなものだからこそ、決して消えないものなんだろうと思う。物理的なものだけで成り立っているなら、存在なんてものはあっというまにかき消えてもおかしくない。

だから証明は必要ないし、そんな証明に意味はない。

証明というのは、命の線引きという意味で、心臓が動いているだとか、止まっているだとか、それが骨だろうが、亡きがらだろうが、健康体だろうが、その人が生きているかどうかは、自分の中にある問題なんだと思う。

物理的に終われば、その人ともう関わることができない、影響しあうことができない、そして、なによりもその人の変わっていく様子をを見ることができないと感じるかもしれないが、それも同じだと思う。自分の与えた影響も、その人の変わっていく様子も、とらえているのは自分の観念であって、事実ではなく、その人の存在があるのは、どこかではなくいつだって ここ なんだろうと思う。

POSTED @ 2009.11.07 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。