Title: びばるいあーむすとろんぐ。
われながら毎年飽きもせずに寒さに比例して自分は同じようなことを感じるなぁと感心します。寒さに比例して自分の中の矢印というかベクトルみたいなものが自然と外側から内側へ向くのを感じるわけですよ。
夏が体験して経験値を得る時期なら冬はいろんなことを考えて経験値を得る時期みたいな感じです。
自然と本を読む時間も増えるし、考える時間も増えるし、それに比例して眠れない夜も多くなるし。無性に将棋やチェスがやりたくなるし。(ほんとだれかしませんか。いっぱい呑みながら将棋かチェス。なんならモノポリーでもいいです。)
酒のつまみになるような会話に飢えてたりします。夏はどんな会話でもつまみにできるのに、冬はそうはいかないんです。冬のおれはどうにも理屈っぽくてめんどくさいです。
夏は外へ外へ冬は内へ内へ。
でも思うにこうやって内へ内へ目を向ける時間がないと外へも目は向けられないんじゃないかと思います。
最近考えていることはあいまいでおぼろげでものすごくふわふわしてて、つかめそうでいてなかなかつかめないようなことばかりです。
ひとつだけいえるのは。
自分のいきつきたいところは何かを得てたどりつくのではなく、一つずつ手放していくことでたどり着けるのではないかということです。
よく日記にも書きますが吉田兼好の徒然草はほんとに的を得ていて読み返すたびにいろんなことに気づかされるわけです。
たまたま夜に徒然草の75段を読んでいてはっとしたわけですよ。「つれづれわぶるひとは、いかなるこころならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ」と始まる部分ですが。
なんか最近かんじてたことがそのまま書いてあったような感じです。
やはり自分の身を置く場所というか、自分をとりまく環境をいうのはすごく大切です。
どんなに自分がこう生きて生きたい。という強い思いがあっても。
その場所にいたらたどり着けないということは多々あると思います。その逆もあるんだということです。
思うにそうやって自分やその環境を変えるのに必要な勇気だったり強さだったり。そんな力が生きていく力というか人間力いうことなのではないかと思います。その力は自分でしか身につけられないもので、外にばっかり目を向けていたら身につかないものだと思います。
そうやって生きていって最後はなんにも持たないで死んでいくのが理想的です。
なんで今回の日記は最初から最後までこんなに丁寧な「ですます調」なんですかね。
まあいいか。
POSTED @ 2007.11.24 |
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