• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 帰り道で。

急なんですが。わけあってしばらくサイトを更新できません。
来週から1年ほど日本を離れることになりました。

身近な方には改めてメールします。

誰にも相談せずに黙って決めてしまいましたが、よく考えたことなので。

レベルアップして帰ってきます。

*

この時期桜の写真ばっかりとってて、ふと毎年毎年変わり映えしない自分の写真のアングルや視点に、ああ自分は無意識にこういう視点で凝り固まってるんだなと思い知らされる。

もう30年も、この目線の高さで生きてきていて、いつもの視線で物事をみて、いつもの視点で物事を判断してるんだ。自分の目線が1cm高くても1cm低くても、世界はぐっと新鮮で鮮やかに感じられるものなのかもしれない。そのたった1cmを変えることができない自分。

なんかそうおもってみてみると、文章や言葉の使い方、や言い回しや書き癖も思考も行動いたるまで、無意識に凝り固まりまくってる自分の狭さよ。

それをオリジナリティだなんていうのは、ただのいいわけで逃げる口実みたいで嫌だ。

もっと新しい目線や視点がほしい。もっとたくさんのものを見て、たくさんの経験をして、いろんな人の側面をみたいと思った。

あれもほしいこれもほしいもっとほしい。もっともっとほしい。

春いちばんの風に吹かれ。

*

ものすごくよく切れる刀があるとして。

もしそれを帯刀することが許されたら。

きっと自分はいろんなものを斬りたくなると思う。

ぶんぶん振り回したくなると思う。

でも刀は斬り手の力量がないときれるものも斬れないもんで。

きっと腕があがるまで、斬って斬って斬りまくって。

ある程度斬れるようになってきたら、きっと無駄に抜かなくなって、でもまだ、ここ一番、斬らなきゃやられると思ったり、ここは斬るべきだと思えばためらいなく抜くんだと思う。

でもそれを繰り返して、刀の使い方に自信と実績がついてきたら、めったに抜かなくなるんじゃないかと思う。ここ一番でも柄に手をかけるくらいかもしれない。

ここ一番で柄に手をかけて、いつでも斬れるぞと思えば、柄に手をかけずとも腰にぶら下げてるだけでもよくなって、もしかしたら最後はぶら下げなくてもよくなるのかもしれない。

そんなバガボンド的な妄想をしてたら、なんでもそうなのかもしれないと思った。

技術も知識も仏教もなんでも。

刀はなににでも置き換えられるのかもしれない。

はてはて。

*

うちのかわいいバイオさんが、いい加減よれよれしてきたので、この春に新しいものに入れ替えようと思っているんだけど、問題はOSで、ウルトラ兄弟の3男がいまいちまだ心配で、新しいOSに乗り換えるのにはいつも勇気がいる。なかなか踏み出せないシャイな自分。

*

1つ大人になって。

2つ大人になる。

*

そうそう。

今日はあの日ですよ。

POSTED @ 2010.04.01 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。