• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: ほおっておいても子は育つ

2004.6.7

「愚かなる愚民」
長崎でまた凄惨な事件が起きた。
その加害者の小学校6年生の女の子の
書いた文章が冒頭の一節

おれは小学校6年生の時に
愚民という言葉を使えただろうか・・・

ちなみに前に捕まった
サカキバラの書いた文章の一節
「透明な自分」

前の日記にも書いたけど
低年齢化する犯罪を起こす
加害者に共通するのは
まず本を読んでいること
そして言語能力が高い

なにか感性が荒々しく
研がれている印象がする。

netにはまっていたという
加害者被害者。
小学生という発達段階で
理性と感性、現実と想像が
まだはっきりと線引きされてない
状態で多くの情報
年齢を問わない他者との接点
をもつことは危険だと思う。

成長に見合った情報を選べない
いわば垂れ流し状態の情報を
抑制する必要があるのじゃないだろうか。

情報を選ぶだけの
心が追いついていない。
だからといって的のはずれた
こころの教育とやらを文部省が
行ったとしても全く意味はないと思う。

逆におれはかれらのこころは
正常なんだと感じることがある。
あれだけの情報と核化された社会
子供の苦悩は大人の苦悩よりも深いと
ある作家が言っていたけど、
今の子供にはそのストレスや
苦悩を発散するのに
あまりに多くの選択肢と
あまりに多くの情報がありすぎて
あんな形になってしまうことは
誤解を恐れずに言うならば
なるべくしてなったとしか思えない。
そうなってしまうことがあの状況下では
正常というかそうなっても仕方がないような
気がする。

何か起きてから心の教育
命の尊さなんていまさらやったって
子供だって馬鹿じゃない。
なにかあったからいまこういうことを
やってるんだろうなと冷静に物事を見れる
知識ぐらもってる。馬鹿にするなって
すくなくとも俺ならそう感じる。
でも心のどこかでは助けてほしい。
いまの状況をかえてほしい
でもどこかあきらめている
そんな気持ち。
おれにはよくわかる。

的はずれのこころの教育の前に
すべきことがある。

社会体制そのもの。
子供を取り巻く環境を整える。
それは公だけでも
私だけの仕事ではなくて
すべての大人の義務だと思う。
その義務を背負えない大人がいる限り
なにもかわらない。
いくら文部省ががんばっても
意味ないよ。
環境さえ整えば
ほっておいても
子供は育つ。

POSTED @ 2004.06.07 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。