• PHOTO最終更新日2010年10月11日



follow me


Title: 白菊


不謹慎とは思いつつもいつものように、台風にどきどきしてしまう自分。

台風一過の空は台風がこなければ見れないわけで、この空の心地よさはなにものにも代えがたいなとか思いつつも、被害にあった人からすれば、忌々しい青空なのかもしれない。自分にとっての最高の青空も誰かに取ったら忌々しい青空であるという事実。そんな事実で世界は成り立ってるんだろうな。

人と付き合う上で、その人がなにをしてきたかとか、なにをしているかとか、どんな役職についているとか、どんな学校をでているかというのは、そんなに大事じゃないし、符号みたいなもんであんまり意味はない。

そういう符号は自分が人生を生きていくのには時に必要で、大切なものだけど、人と人が友達になろうと思ったときには、なんの意味もない。あたりまえのことだけど、最近その重要性をほんとに感じる。

自分が肩の力を抜いても結んでおける人間関係というのが、本当の意味での人のつながりなんだろうとおもうし、頑張って、いいところだけをみせておかなければ結んでおけなかったり、話を合わせていなければいけなかったり、うまいことほめなきゃいけなかったり、なにか共通のコミュニティがあるからでしか、結んでおけない人間関係は、きっと本質的な部分で自分にはなにも与えてくれないと思う。

なんにもなくても誰かと関係を築ける自分でありたいし、そういう人になりたいと思う。

なんでこんなことを感じたかといえば、最近うちの幼稚園に転園してきた子どもをみていて、彼は地盤も肩書もなんにもないところで、彼なり一生懸命に人間関係を築こうとしていて、たぶん勇気もたくさんいるだろうし、さみしい思いもしただろうに、それに負けないで友達の輪にはいっていって、気づけば数日で、もう仲良しができて、園庭で元気に遊んでる。

自分の力だけで、ウマがあう仲間をみつけて、自分の居場所を確保して、何食わぬ顔で遊んでる、そんでさっそく喧嘩とかしちゃってて、そんな一部始終になんかここ数日ぐっときたわけです。

そんな姿に自分を照らし合わせてみるに、ここ数カ月いろんな人に会ったけど、人との関係を自分以外のものに頼って、維持してることって結構多いんだなと気づかされ、そこに寄りかかってばかりいると、自分自身で人間関係を作っていくことをわすれちゃうんじゃないかとか感じたわけです。そしてそんな自分を省みて、これじゃだめだなと思ったわけです。

大人になると、そうやって自分で人間関係を築くことをさぼりがちだなと。
でも大事なのはそうやって築いた人間関係で、そういう人間関係を築ける力は、きっとなにをしてても、どこにいても通用する人間力なんだろうなと。

うちの幼稚園からは、そういう力を持った子どもがたくさん育ってほしいなとおもったわけです。

童心を育むとは、童心に学ぶことではなかろうか。

死んだじいちゃんが残した言葉を久々に思いだした。


POSTED @ 2009.10.09 | Comment (0) | Trackback (0)

コメントを書く。


  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。