Title: 小春日和。
お彼岸も終わって一息ついてすこしのんびりさせてもらっている今日この頃。
「三寒四温」寒い日と暖かい日が繰り返して春になる。この時期がそういう気候なのは昔から変わらないんだな。何十年何百年も。しかし昔の人はうまいこという。
さくらが咲くっていうだけで嬉しくなる。さくらが咲くだけでなんかどきどきするしわくわくもする。こんだけ感情に直結して直に心に揺さぶりをかけてくる花は他にない。
早速さくらをみにいつもの散歩コースで上野へいった。
満開のさくらをみながら。やっぱ死ぬなら春か夏がいいなと思った。冬にだけは死ねない。
ついでに久しぶりに上野動物園も散策。久々にはいった動物園はなんか懐かしい感じがした。なんか遺伝子に刻まれているというか。小さい頃からおばあちゃんやひいおばあちゃんに何十回もつれてこられてるからだろうか。はっきり覚えてるわけでもないのに、でも頭のどこかでところどころこびりついて消えない光景があったりする。
建物や施設やみためがいくらきれいになっても。そこに集まる人の気持ちや憩う人たちの種類が変わらない場所っていうのがある。
銭湯とか。上野公園もそうだし。動物園も。
いまでも孫の手を引くおじいちゃんおばあちゃんがいて、子どもをつれた若い夫婦がいて。そこらじゅうでヨチヨチあるく子どもがいる。
きっと十年二十年前もおなじ光景だったんだと思う。
そこに集まる目的。そこにあつまる人の種類が変わらない場所っていうのは、きっとそこに人が生きていくうえでほんとうに大切なことがあるからなんだと思う。
最近は建物やみためが変わって、たしかにきれいでおしゃれでそれはそれでいいんだけど。でもそこに憩う人の種類がかわったり、そこにあったはずの光景がなくなってしまった場所がたくさんある。時代の流れといえばそれまでだけど。
大切なのはやっぱり。目に見えない部分をいかに守れるかでしょ。
そんなことを考えながら動物園をふらふらして。いろんな動物をみていて思った。
動物園にいる動物は幸せか不幸せか。
これはきっといろんな答えがあるんだろうけど。この答えに即答できない時点で幸せとはなんなのかとか。生きていくっていうことがどういうことなのか自分がぜんぜんわかってない証拠なんだと思った。
まだまだわからないことだらけだと思った。そこらじゅうに自分のわからないことが転がっていると思った。
ちょっと話がずれるけど、こないだスカパーがみたくてお店にいったらお店の人にアンテナ立てればみれますよといわれた。
その時おもったのが、目に見えないところで自分の身の回りには電波がいりみだれてるわけで。携帯の電波にラジオにテレビに無線に。もうそれが全部見えたらこんがらがってぐちゃぐちゃなくらい入り乱れているだろうに受信するものがなければなんの意味もない。
なるほど。電波じゃなくてもそうかもしれないと思った。
自分の身の回りにはきっとありとあらゆる出会いや情報や、自分の五感を刺激してくれる発見であふれているかもしれない。
でもぼけ~とつったててもなんにも受信できない。アンテナをたててはじめていろんなことを受信できるんだきっと。そういわれてみればそういう経験はたくさんある。
たとえば真宗というアンテナを立てて歩いていると一つ一つの出来事や風景にそういうものを発見することができるし、そうじゃなくてもなにかアイディアを煮詰めながら歩いていたらふとなにかをみてひらめくこともあるし。
思考というのは答えをだすことよりも頭の中にいつまでもとどめて練り上げて発酵させていくぐらいの心持ちの方がいいのかもしれない。
そしてなによりも大切なのはちゃんと自分でアンテナを立てておくことなんだと思った。
そんなことをつらつら考えながら帰宅。
さっそくDSでシムシティ2をしながらおれならいい街をつくれるとぶつぶついいながら街づくりをする。そしてそれに飽きた頃にやっと1巻を借りることができた「HEROES」をみた。
うん。おもしろい。
まぁ一つだけ気になるのがヒロナカムラとアンドウの日本語。特にアンドウの日本語が下手すぎるのと日本の描写があまりにもチープでおもわず笑いそうになります。所詮日本のイメージなんてそんなもんだよね。
でもこれなかなか面白いです。
ヒロナカムラいい味出してる。あのキャラがいなかったらおもしろくなかったかも。
さてさっそく今日は続きをみよう。
POSTED @ 2008.03.27 |
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