• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: たかがCMされどCM
2007.01.31

また朝日新聞がいいCMやってる。

前回の「私たちは信じている言葉のチカラを」につづいて

「無関心が真実を見えなくしている」

その通りだよ。心から同感
知らないことほど怖いモノはない。

朝日はCMはいいのになぁ。

最近HDDにもCMスキップ機能がついてるし、そもそもCMってのはトイレにいく時間だったり、ちゃんと見ない人が多いと思うけど昔からCMはなにげに嫌いじゃない。

だいぶ前にも書いたんだけど、過去のCMでどうしても忘れられないのがある。

知る人ぞ知る「マサイの戦士」という飲み物のCMでスーツ姿のサラリーマンがマサイの戦士に一言

「なぁマサイの戦士よ、日本人はどうみえる?」

マサイの戦士にくたびれたサラリーマンのコントラストがものすごいシビアで、なんかがんばれ日本人。って思ったのを覚えてる。

あとこれは有名だけどカローラのCMでたけしが久石譲の音楽をバックに、

「カローラも変われる時代だ」

というのと、その次に流れた

「父親やめて、男の子になってみたかったんだ」

っていうフレーズ。

一時期のカローラのCMはなんか、よしっおれもなにかやってやる!って気になるようなものが多くて、ものすごく青々しくてよかった。

そしてこれはおそらく覚えてる人はほとんどいないと思うけど、トラバーユのCMで、これはセリフはないんだけど、小さな女の子が、目の前にあるドレスをはさみで切っちゃうの、その女の子の切り終わった時の満足げな表情がものすごいいい。

なんか、ちっちゃい時って、なんでも楽しかったなぁ~ってしみじみなるような、忘れてた何かを思い出せるようなもの。

この3つのCMはほとんど同時期なんだけど、世の中になんとなく暗いニュースの多かった時だし、そういう時代背景も踏まえて前向きだったりに勇気がでたり、「忘れてたなにか」とか「変化」とかそういうものをイメージさせるCMが多かったのと、この頃は心に直接語りかけてくるようなCMが多かった気がする。それだけ世の中に心がないような事件が多かったのも事実だしね。

CMっていうわずかな時間の中に凝縮されたメッセージってのはこころに残るし、その時の世相をものすごく映し出してるし、ある評論家がCMをみればその国がだいたいわかるっていってたけどたしかにそれは一理あるかもしれない。

これを作り出す仕事ってほんとに面白そう。

たかがCMされどCM。

*写真はとりあえず4週間で20Kmの目標をたてワークアウトを開始したので、その達成状況です。とりあえず20Km目指します。

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Title: ワークアウトを開始します。
2007.01.30


B000LA1VC0.01.jpg


電化製品好き。
ハイテク好き。
あたらしもの好き。

ってなわけで最近GETしたこの2商品に骨抜きです。

1つ目はモトローラのヘッドセット(写真参照)これbluetooth対応、感度もいい。何よりもかっこいい!なにげにあんまり評判は良くない・・・これつけてぶつぶついってたら絶対怪しいと思うけどでもいいじゃん。秋葉系とかいうな!

そして2つ目はこちら↓
http://www.nike.com/nikeplus/?locale=ja_jp#products

ワークアウトを開始します。のCMでおなじみの
Nike+ipod sportskit

いやぁこれすごい。

なにがすごいってものすごいシンプルなのに、高機能。しかもituneに同期して自動でNikeのサイトにデータを送り自分のデータを見やすく集計して、ベストタイムや消費カロリー、など細かくデータ化してくれる!これなら走り続けられそうだ。

シューズだけオリジナルデザインで注文して待つこと1ヶ月、シューズがこれまたかっこいい!オリジナルの刺繍もはいってこれはテンション上がる。

本日シューズが届きその旨を友達に話したら、なんと数時間後に誕生日まだ渡してなかったからってsportkitを買って、しかも家まで届けてくれた!

持つべきモノは友です。感激しましたありがとう。

というわけで早速42.195Kmと目標を立て、

ワークアウトを開始します。

1ヶ月以内に飽きると賭けてるそこのあなた。
おれはやるときはやる男です。

かならず42.195Kmを走りきります。

みとれ。

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Title: つば吐いてゴミ箱蹴飛ばしてもいいじゃん
2007.01.25

LOST見終わった。予想通り。
プリズンブレイクで一度切れてたから今回はちょい切れくらいですんだ。

くそ。

ituneストアで最近ジャケ買いならぬイントロ買いをしまくって色んな曲きいてるんだけど、前向きだねぇ最近の若者は。

尾崎豊にもブルーハーツにもあるのは青臭いんだけど、なんかもやもやしたどこにむけていいかわかんない苦しさとかなんとなく不穏な感情だ。

いまでいえば「あいつやばくない?」っていう感情。だれもが持ってるのにうっかりそれを表にだすと、あいつ根暗だなとか、きれてるとか、意味わかんない。とかいわれちゃって倦厭されちゃうようなむき出しの感情だ。

盗んだバイクで走り出しちゃったり。夜中に校舎の窓ガラス壊してまわっちゃったり。
ナイフを持って立ってたり、どぶねずみを美しいと言ってもいいじゃないか。

なんで?でかたづけられるものばかりじゃない。
不健康な時があってもいいじゃん。

そういう感情を経験してこそなにかに前向きになれるんだと思うし。

いまはなんでもくさいモノには蓋か。

さぁ歩きだそう顔をあげて。
かんばれ。
がむしゃらにまえに。
夢へむかって
希望

そりゃそういう言葉に背中を押してもらうことも勇気をもらうこともあるけど。
こんだけ押し売りされたらうんざりだ。

たまにはつば吐いてゴミ箱蹴飛ばしてもいいじゃん。

本当は大きな声で聞いて欲しいのに
ため息だとか舌打ちだとか独り言の中に隠してる。

ってブルーハーツの歌詞にあるけど

舌打ちとかため息とか独り言の中にかくしてるうちはまだいい。
それすらできなくなった気持ちはどこへいくんだ。

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Title: No Borderな場所があってもいいじゃないか。
2007.01.22


少し前のニュースだけど

「中国が弾道ミサイルでの衛星破壊実験に成功」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070119-00000003-yom-int

このニュースをみてショックだった。

もちろん、宇宙開発や宇宙を征すると言うことは各国にとってなによりも重要な問題だと思うし、いまはほとんど7割近くの軍事作戦に衛星情報は不可欠だしそれがおびやかされるとなれば、アメリカだって黙ってないわけで、この事件が引き金になって地球だけじゃあきたらず宇宙までだれかのものになるのかと思うと悲しくなる。人の欲は果てしない。

アメリカだって旧ソ連だってもうすでにこの実験には成功してるわけだし、中国だけが悪いっていうわけじゃない。

なんかそういう難しい事じゃなくて、宇宙ってのはいつまでもドキドキしてられる対象であって、人類の憧れであってほしいと思う。

自分自身、昔から宇宙の話は大好きで、考えると楽しいし、なによりも科学で答えが出せないことが目の前にあるってことがものすごいわくわくする。宇宙の話しや星の話しってのは誰もが一回はわくわくしたり、どきどきしたりするものでしょ。アポロが月に到達したときに世界中が興奮したし、スプートニクが打ち上げられたときは世界中がおどろいた。

良くも悪くも宇宙だけは世界中が一つになれる最後の架け橋にもなりうるとおもうんだよね。だからこそ、馬鹿なことはやめてほしい。

ケスラーシンドローム

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0)

とかが実際におきて、宇宙と地球が断絶されたら人類は大きな希望や夢を失うことになる。

科学の進歩に心が追いつかないといつか人間は自滅する。

全力で挑戦できる場所が人類には必要なんだよ。

だれかのものじゃないNo Borderな場所が1つくらいあったっていい。

ミスチルでも聴きながらカップラーメン食べてやる。

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Title: ダーウィンがいうと説得力がある。
2007.01.16

ここのところの慢性的な寝不足と慢性的な歯痛と慢性的な疲労でなんとなくふわふわとした頭に桑田佳祐は染みる。

そんなテンションでつらつらと書く。

プリズンブレイクを12巻まで見終わってとんでもない終わり方をしたのに切れて、もうアメリカのドラマなんてみない。と決めていたのに、LOSTはもうはやくも10巻まで見てしまった。くそ、くやしいけどクレアはかわいい。

そしてこの状況ならおれはどうする。なんて考えてる自分にはっと気づいて

いまおれは完全に思うつぼだと思う。

話はかわって、こないだお寺にきた人と西洋医学と東洋医学の話しになっておもった。

西洋医学ではどこかが悪いときにその悪い所を直すために薬をだし、場合によっては切除したり、人工的なものと差し替えたりするわけだ、たしかに合理的だしそれでしか生き延びられない場合もある。

それに対して東洋医学は、体はすべてが密接に関わっていて、全体を整えることで悪いところをなおしていく、その結びつきを大切にするわけだ。むしろ病気を医学でたたきのめすのではなく、病気とうまくつきあっていくというほうがいいのかもしれない。

たとえば生活習慣病であるなら体質を改善し、食生活を整えることで、切除しなくても薬を飲まなくてもなおることだってたくさんある。ただ場合によっては切らなければなおらない場合もある。

どちらにも利点はあるし、欠点もある。ようは考え方の違いだ。

その考え方の違いで、こないだの日記にうけいれることを文化的に感じられる国にうまれてよかったと書いたけど、タイムリーにこういう話を聞くとやっぱり人種の違いってのはすべての文化や生活の基盤になっていて、この部分をすりあわせていくのは至難のわざだなと思う。

どちらかではなくその中間、偏るのではなく新しい形で物事をとらえてそこに気持ちをおけるかどうかなんだろうな。保守でもリベラルでもないところみたいに。

もしおれが大きな病気になったら、医者に任せきりになるのではなくて、その病気の原因をしっかりときき自分なりに考えて治療の方針を決められたらいいなぁと思った。

最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残るのは、変化できる者である

とダーウィンも言うように

思想も姿勢も、行動もなんでもそうだけど
石頭にならないように、自分の世界に閉じこもらないように、
損得勘定ばかりで計算高くならないように、

いつだって物事には多面性があって
利点と欠点はつねに1つじゃないということを忘れないようにしないと。

変化できるってのは結局

バランス感覚よく生きるってことなんだと思う。
変化に気づく洞察力と、それに対応できる柔軟性
感覚的にバランス良くいないとだめだ。

それを鍛えるのはやっぱり経験なんだろうな

少し前に桑田佳祐が終わったので岩代太郎に音楽を変えたら
ものすごい眠気が押し寄せてきた。

しかし切り替えをしないでこういうぶっ続けの精神状態でいると悪い面もあるけど、おれにとってはいい面もある。どうでもいいことに無駄につっこめるし、無駄にどうしょうもないことを考え始めたり、人にたいしては無駄に寛容になれる。

無駄のない人生なんておもしろくない。

のりしろは多い方がいい。

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Title: 26年生きた。
2007.01.08


毎年この日はおれの中で大切な意味を持つ。

26歳の最後の日。

もう26年も生きたんだなぁとおもいつつ、まだ26年かとも思う。

人生は間違いなく前に進んでいる。

去年見えなかったことが見えるようになり、いままで感じなかったことを感じられるようになる。365日という時間の中で経験した1つ1つの出来事が確実に自分の中に刻み込まれていく。

この1年で経験したことに1つも無駄なことなんてなかった。
おれはほんとについてる。

おれならなんとかできるって自分の力でなんとかきりぬけようとするか。
世の中にはどうにもならないことがあるってあきらめるか。

きっといままでのおれはどちらかに偏ってたんだと思う。

でも抗うでもあきらめるでもなくて。

受け入れるっていうことができるようになったと思う。

自分の身に起きるすべてを無条件でうけいれる。

幸福があるから不幸があって
喜びがあるから悲しみがある。

それでいい。

不幸や悲しみが訪れるたびになにかにすがっていこうと思うなら
これから何百回何千回おれはなにかにすがらなきゃならない。

悲しみも不幸も自分の一部で

光があるから影があって
影があるから光がある

これは両極端じゃなくて
2つで初めて1つなんだ

抗ってもあきらめてもおなじことの繰り返しだ。

どちらかだけを受け入れるなんてことはできない。

だからこれでいい。

きっと受け入れるってことが
生きていくってことなんだと思う。

きっと西洋の人間にはわかりづらいかもしれない。

受け入れることを文化的に感じられる国に生まれてよかった。

その瞬間瞬間に自分はどういう反応をして
どんなことを感じてどんなことを言って
どんなものがみえるようになるんだろう。

その時に感じた自分を信じればいいだけ。
あれこれ根回しもいらないし、
理論武装も必要ない。
張りぼてもいらない。

そうおもったらすごく楽になった。

なんかわかりにくい例えだけど

今までは刀を研いで、刀を振って、いつも気を張って、いつだって柄に手をかけながら、少しでも大きく強くみせようと肩で風きって歩いて、いつ斬りかかられても大丈夫なようにしなきゃって思いながらも、刀を持った人が怖くて怖くてしょうがなかった。

でも最近は、根拠がないんだけど刀を持ってる相手に丸腰で対峙しても多少斬られたって最後に立ってるのはきっと自分だとなぜかそう思う。

1年ですこし強くなったかもしれない。

おれにおきたすべてのことに。
出逢ったすべての人に
ほんとにありがとう。

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Title: 心を込めて無駄話したい。
2007.01.03

突然気づいたことがある。

どうもここ最近気持ちが前にでて活字が追いつかなくなるような感覚を味わってないなってうすうす自分の中でも気づいてたし、そういう自分に多少の焦りみたいな、これでいいのかな。っていう思いはずっとあったけどでもきっと自分の状態が安定してるからだとか、本を読む時間がないからだとか、きっとそのうちすぐにそういう感覚なんて取り戻せるって思ってたかをくくってた部分があった。

でも昨日の夜中ふと思った。

きっとその原因はここ数ヶ月、きっと数年の間
決定的に真剣な無駄話が足りてなかったんだと思う。

会話には体力を使うし、いまは話すことが仕事のようなもんだし、やっぱり仕事で思いっきり話をして帰ってくると疲れてるし極力頭を休めたいし、結局頭の中は無駄なことを考えるスペースがなくなってるんだと思う。

だからあまり無駄なことを考えてなかったし、ニュース見たってああそうなんだって、いやいや、それはないだろ。ってつっこむことも少なかったと思う。疑問をもつということは体力をつかう。体が必然的にそれを避けてたのかもしれない。

しかも仕事で話す話は、本音で語れない部分もあるし、そうじゃないのにって思いながらもきっぱりと言い切らなきゃいけないときもあるから。そういうことを繰り返してたらやっぱだめだね。話すってこと自体に期待をもてなくなっちゃう。

そういう時間をあたりまえに何気なく過ごしてると、いつのまにかそれが当たり前になる。

いま思えばたまに友達と呑んでてもリアルな娑婆のはなしばっかで、青臭かったり夢見がちだったり、どうでもいいような真剣な会話の仕方をわすれちゃってたみたいだ。

感じたままにいいこといおうなんて思わないで、自分の想いをそのままぶつけるような会話を楽しまなきゃだめだな。

おれが名前に一字もらった人

曽我量深と言う人がうちの寺に寝泊まりしていたときに、新聞を届けたうちのおばあちゃんにむかって、娑婆の話はもう十分ですわ。って言ったそうだ。娑婆にどっぷりつかってたらみえるもんもみえないし、そうじゃなくてもだめだし、それこそが非僧非俗の立ち位置なんだということを感じた。

いまの自分のどこにも属さないような全然関係なくて真っ向から意見の分かれるような会話がおもいきりしたい。

一文にもならないような会話を真剣にしたい。一杯のみながらでもいいし、ファミレスだって、電車の中でだっていい。ここではなしたって世界を1mmも変えられないのはわかってるくせにむきになってしまうような真っ向な会話がしたい。

昨日のNHKの青蔵鉄道の特集みてて感じたチベットにおける漢民族の存在とはとか。
フセインが処刑されたこととか。「誠実」ってのはなんなんだとか、「正義」ってなにとか。
これからの日本はどこへ向かうのかとか。いじめについてとか、それとか旅の話とか、
くだらなすぎてどうしょうもないような話しでもいい。

とにかくしのぎを削るような会話がしたい。

人間はどうでもいいようなこととか目に見えない部分に真剣になれた分だけわかること見えることがたくさああるんだって昔ある人に言われたことがある。

どうでもいいよっていえば一言で片づくし、考えなければそれでいいんだけど

でもそれから目を背けて今の現状しか見えなくなって、
今の自分の世界のことしか語れなくなった瞬間に
成長はとまって青臭くなくなって
つまんない大人になってくんだと思う。


おれはいつだって心を込めてどうでもいいような無駄話して、
お前が考えてもどうしょもないよって言われるようなことでもやっぱ真剣に考えていたい。

自己満足でもいいや。そういう自分の精神状態はきらいじゃない。

だれかと話せたらそれはなおさらいい。

環境は自分を変えるというけど、
社会にでるということは
自分自身で必死で環境を保たないと
いままでの自分は保てない場所なのかもしれない。

なんかここまででてるのに思い出せないようななんかイヤな感じがすっと溶けたようなきがする。

これでいいんだ。


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Title: 今年のいきかた
2007.01.02


あけましておめでとうございます。
皆々様昨年もお世話になりました。

今年もよろしくお願い致します。

一年の計は元旦にありとはよくいうもので、大きな指針をもって生きることはとても大切だと思うし、迷ったときに戻れる目印を立てておくのは特に自分にとっては大切なことなので、毎年のことながら年の初めに今年の目標を決めました。

今年は

「力まない」

でいきます。

もちゃもちゃもやもや考えずに、
目の前にあることを1つづつ片づけます。

今できる精一杯のことをただするだけにします。

まだきてないことやどうなるかわからないことに
神経すり減らして考え込むのはやめます。

その時に自分がどうするのかぎりぎりまで傍観していてみます。
その時するであろう自分の決断を信じてみることにします。

今年一年そうやっていきてみて
失敗したら

来年は計算高く生きてみようと思います。

一か八か試験的ではあるけど、そうやって生きてみます。

さぁ2007年はどんなとしになるのか。

もんのすごい楽しみだ。

こんなに1年が始まるのを楽しみにしてた年はないかもっていうくらい今年が楽しみです。

マエニマエニ。


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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。