Title: Rahula
約束します。君を残して僕は死ねません。
と、300人以上の前で熱唱する彼をみて、素直にかっけ~と思った。
ここのところ結婚式続きで、いろんな結婚式に参列して感じたことを感じたままに。
*
キリスト教式の結婚式にでて、牧師さんの話がすごくよかったし讃美歌もよかった。仏前結婚に参列する経験の方が多いからすごく新鮮だった。
なんか牧師さんの話をきいていて、なんか職業柄穿った見方をしてやるぜなんて意気込んでいたのに、普通に話に引き込まれたし、なんか主のパワーってすげぇなとか思った。おもわずアーメンですよ。いつくしみ深き友なるイエスよですよ。きっといまごろ立川あたりで仏陀と自転車にのっているんだろうか・・・
なんかキリスト教の伝道ってのは本当にアグレッシブで、なんか人間の心の隙間をふっとつくことにたけてると思う、それに一神教の強みというのは、あまり深く考える必要がないことでもあるのかもしれない。主、絶対、お前許す。みたいなのは、やっぱりわかりやすいし入り込みやすい。
キリスト教の結婚式というのは、一種の宗教儀式なわけで、こんなに教化のチャンスに恵まれてるというのはすごいなと思った。ただ同時に入口が広いということは、それだけ浅く広くで終わってしまうデメリットもあるものの、でももし毎日毎日あれだけ行われている結婚式に参列してる人の中に1人でも2人でも教会に足を運ぶ人がいたのなら、十分な教化なんだろうと思う。
そもそも許されたくない人なんていないし、自分との対比の中で絶対的なものがいることで得る安心というものは誰もが持ちうる根源的な欲求なんだろうとも思う。
でもそう考えると阿弥陀とキリストを関連づけてレポートでも書いたら面白いかもしれない。
そもそもキリスト教は聖道門と浄土門にわけるならどっちなんだろうか・・・それともそういう分け方はできないのだろうか。
なんてことを考え始めたら、数珠つなぎに考えたいことがわいてきて、フラワーシャワーの頃には悶々としてきたのでそこでエポケーして、きれいな新婦さんにみとれてることにした。
*
それと、八芳園の池の鯉は。
素人目にみても半端じゃないあでやかさでした。
*
人がつくるものすべて。
家族や友達という関係も、そういう抽象的なものだけじゃなく、
人が人の手で作り出すもの物質的なものも含めてすべて。
そのすべての本質はとてももろくて繊細で儚いものなんだろうと思う。
すべてが無情にも一過性のもので。
だからこそ、どれもが尊くて、だからこそ人はそこに感情をのせることができるのかもしれないと思った。
結婚式というこんなに幸せな瞬間すらももろくて儚くて、一瞬一瞬に風化する。だからこそこの瞬間にこれだけの人が涙を流したり笑ったりできるんだろうと思う。
なんだろう。難しい表現なんだけど、
どんなに理由を探してもいま目の前にある関係も手の中にあるすべてのものは、いつかは形をかえるし、最後にはきれいになくなる。
それを人は無意識に理解しているのかもしれない。
無常というのはもしかすると、頭で理解してわかったふりしても意味なくて、体が反応して初めてわかることができるのかもしれない。
大事なことは本当は全部そうなのかも。
*
最近大塚愛ききまくってたら、なんか披露宴の途中で、いい感じにワインが回ってきたあたりから、頭の中で「さくらんぼ」が鳴りやまなくなって、愛し合う二人~幸せの空~と口ずさみながら皇居のお濠をぷらぷらとあるいて帰りましたとさ。
*
なんかいいじまくんの時にも思ったけどね。
くさくてもべたでも。
誰かを想うまっすぐな気持ちは、人の心になにかを灯すんだと思う。
最後の最後は理屈でもなんでもね。
まっすぐかまっすぐじゃねいか。
最後に人を動かすのはきっとそれだけだ。
POSTED @ 2010.05.30 |
Comment (0) |
Trackback (0)