Title: りかい。
自分が知っていると思う。理解してると思う。そういうものしか手元におけないことよりも、知らないと思うもの、理解できないと思うものを手元に置いておく方が思慮深く満たされた感覚を知ることができるのではないかと思う。
理解していると理解していないの間にあるもののほとんどは誤解であり、希望であり、自分の生み出した一面でしかないわけで、知っていると思うことよりも知らないと思えることの方が幸せなんだと思う。
人間が本当に必要なのはよくもわるくも満たされるということ。悲しみでもいい喜びでもいい。少しづつたまったものが飽和してあふれだすくらいに満たされるという感覚が人の本当に深い部分を支えている。
知っていることのどれだけを自分が正しく知っているかなんて議論は浜辺にある砂の数はいくつあるかというような議論にしか過ぎないと思う。
理解とはただの整列であり規則性にしかすぎない。いうなれば記号化された自分の範疇であり、あくまでその深さと視野は比例する。
整列されて規則的にならんでいるものの中では万が一にでも生まれないものがある。ちりばめられて乱雑で不規則な中にこそ偶然にも最高の美があるように。人が意図して生みだそうとするときに生まれるものの美しさは、意図しないところに生まれる何万分の1の奇跡には問うに及ばない。
すべては後付けなんだ。心を動かすものはすべて。
満たされてあふれでて、いかようにもならない何かを表現したもの。混沌としていて理解もできなくて、具現化できないものの一片が奇跡的に削りだされたものに人は意味をのせる。
POSTED @ 2009.05.17 |
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