• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 精神的冬眠
2005.10.29


朝の冷え込みが厳しくなると布団から出るのがつらい。寒いのはやっぱつらい。

何度もいうけど四季の中でおれが一番好きなのは夏。

でも冬もなかなか悪くはない。
夏の自分と冬の自分はホントに両極端だと思う。

夏の考えるまえに行動に移せちゃう気候に対して冬は寒くてすぐに行動に移せない分いろんなことを煮詰めて考えられる。

夏はいても立ってもいらんなくて家でじっとしてるなんてできないけど冬はすごく自分の時間が大切になる。おれにとって夏が実体験で経験値を積む時期なら、冬は思考して経験値を積む時期だ。

単純に外に出るのがおっくうだから本をよんだり、映画を見たり、なにか新しいことを企画したりして過ごす時間が多くなって必然的に頭を使う時間がふえるからだと思う。

それと無意識に夏に遊びすぎた自分のバランスをとるために極端に自分の時間を持とうとしてるんだと思う。

でも家で好きな音楽聞きながら本を読んだり映画を見たり、外にでても家の近所を散歩するくらいで軽い引きこもりのような生活がすごく心地よいんだけど、そういう日が続いてふと気づくと会話に飢えてる自分がいる。

ほんと夏と正反対。夏にはふと気づくと人疲れして一日じゅう誰とも話したくないなって思う日があるのに対して、冬は一日中だれかと他愛もない会話をしてたいと思う日がある。

いま思えば恋愛に関してもきっと同じで、夏の恋愛と冬の恋愛では両極端にカタチが違うと思う。

夏はもうとりあえず会いにいっちゃえって勢いのままながれのまま多少の無茶をしてもつっぱしれるし、朝まで遊んでたって平気だけど、なんか冬の恋愛は思考が先行してるし流れにまかせてつっぱしることはまずない。すごく冷静に先も考えられる。

外の空気が頭を冷やすのか冬にはいろんなことにたいしてすごく冷静で客観的な自分がいる。

じっと黙ってぐっと押さえて黙々とこの時期スゴして、暖かくなるとまたむくむくと起き出す。

これ。あるいみ精神的冬眠だな。

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Title: 多国籍飲み会
2005.10.26


少し前の話になるんだけど多国籍飲み会にいってきた。

友達のハーフ3人と、韓国人、ロシア人、ハワイアンのクォーターに日本人2名

実はロシア人と韓国人と直に接するのは初めてだった。

なかなか面白い話を聞けた。

ロシアのクリスマスはロシア正教のきまりで、1月7日であること。サンタクロースはいつも2組(おじいさんと若い女の子)で行動していること。そしてサンタが来ると部屋が酒臭くなること。

ロシアの8割はアル中だと、誤解がないようにいうけどこれはロシア人自らがいったことだから!16歳からウォッカのんでるらしい。

それと韓国では夫婦別姓で子どもは父親の名字になることとかバレンタインとかクリスマスができたのは最近とか。

韓国人いわく日本の男は細すぎる!とかなよなよしいとか。そりゃ兵役のある国の男子は力強いイメージだよね。

それに歴史問題。

本気で話し始めたらきっと時間が足りなくなるだろうから深くはつっこまなかったけど、少しの時間でもやはり同じ世代である以上遠からず近からずお互い国は違えど近い感情と感性を持っているんだろうなということだけは認識できた。

などなど、やっぱり文化の違う人達と話すのは幅が広がる。まだまだ知らないことがたくさんあるなって思える。

多国籍飲み会たまに声がかかるけど、一番感じるのは同じ世代でもどこの国の友達も自分の国をよく知ってる。自分の国の宗教やアイデンティティをよく理解している。

その点では同じ世代の中で日本人は極端に劣っているように感じる。教育だけの問題じゃない。

きっとそこが日本が戦後失ってしまった大切な部分とそれを見過ごしてきてしまった代償なんだと思う。

帰り際日本人と結婚しているそのロシア人が旦那にメールを打つというのでなんていれるのっていったら。

その答えに思わずふきだした。

「今日は坊さんとしこたま飲んだ」

だってw

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Title: 世間話からはじまること
2005.10.23

毎朝仕事にいく途中に大抵朝ご飯はコンビニでおにぎりを買う。

高速にのるまでに車の止めやすいコンビニは2軒ある。

手前にあって車が止めやすいミニストップ。
そこからわずか10mほど先にあるファミマ。

ちなみにこのファミマ向かい側に運送会社があり道に大型車が止まっていることもありはっきり言って車を止めにくい。

無論、初めはしばらく手前のミニストップでおにぎりを買っていたんだけど、ある時たまたまおにぎりがなくて、仕方なく少し先のファミマに車を止めたことがある。

その日からおれはずっと毎朝そのファミマでおにぎりを買っている。

その理由は、そこの店長のおじさんと奥さん。おそらく元々商店をやっていた人なんだろう、それがフランチャイズでコンビニになったんだと思う。毎朝来る客みんなにおはよう!って声を掛けていて、天気がいい日には、今日は天気良くて気持ちいいね!おにいちゃん気をつけてね!って言ってくれる。

はじめは偉い明るいなぁ・・って感じただけでそんなに気にしてなかったんだけど、なんか朝から気分が乗らなくて、仕事いきたくないなって思ってるときに、レジでそのおじちゃんがおれにむかって。

いやぁ最近寒くなったねぇ!風邪ひかないようにね!じゃいってらっしゃい!

って声を掛けてくれた。

なにげない一言なんだけど、それがなんか妙にうれしくて。なんか気分が落ちてただけにほんの少しでも自分を気に掛けてくれたってことがすごく暖く感じた。

きっと今の時代そういう一言に飢えてる人ってたくさんいると思う。すこし前には当たり前にあった光景で、今はもうあまり見なくなっちゃったけど、そういう一言でふと心が軽くなったり、顔を上げて歩こうって気持ちなったり。きっと世間話にはそういう力があると思う。なにげないからきっと掛け値なしに心にすっと入ってくることがあるんだと思う。

そのコンビニにはいつも人がたくさんいる。おっちゃんと話し込んでる人もしばしばみかける。

きっとたくさんの人がここでほんの少しの世間話をすることでほんの少しの元気をもらってるんだと思う。

またそこに間髪入れて会話に入ってくるおばちゃんとのコンビネーションも完璧だ。それをみてるだけでも朝からほほえましくなる。

寅さんみてるみたいだ。

掛け値なしにふと誰にでも声を掛けられる人ってすごいなって思う。

朝起きておはよう!っていうのなんてあたりまえなのに。

そんなあたりまえなことに感動するおれはきっとそういう大切な心を忘れかけてたんだろう。

こないだおれの方からおはようございますっていったら、おっちゃんにこにこしながらおお!おはよう!って。

こんなささいなことでも人と人はつながれる。こうやって人と人の輪は広がっていく。

だれかがだれかのきっかけになって、それがまただれかのきっかけになる。

そんな大きな輪の中の一つになれたらいい。

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Title: 銀座な夜
2005.10.21


昨日はあつい夜だった。

前にホームページを立ち上げたNGOの代表の方から連絡を受け会えることになった。

かなりフレンドリーな人で電話も気さくな感じだったのでこっちも気軽にジーパンにシャツにジャケットに帽子というかなりラフな出で立ちで家をでた。

そもそも銀座で待ち合わせという時点でこれが間違っていることに気づくべきだった。

待ち合わせ場所はなんと外国人記者クラブの中の和食屋さん・・・みなさんかなりいい格好をしていらっしゃる。

俺・・・あきらかに浮いてる。

しかも同席していた2人の方に初めましてといい出された名刺に目を落とすと某テレビ局幹部に某証券会社社長

・・・・・

しまった・・・スーツにネクタイで来るべきだった・・・

NGOの代表の方は元外務省一等書記官だもんね・・・・つきあう人もそりゃ一流です。

でもほんとに興味深い話をたくさん聞けた。

どれが書いてよくてどれがだめなのかわからないから詳しくは書かないけどあからさまにスケールのでかい話しを現実にしている。

この人達は本気になれば日本を動かせる・・・・と素直にそう感じた。ってか実際動かしてるし。

1つ言えるのはNGO代表の方は思ってたとおりの人で話してるだけで心が熱くなってくる、はじめてあった俺をすんなりとうけいれてこんな若輩者にもまっすぐに話しをしてくれる。

この人にならついていってもいいな思える人物だ。
男が惚れるとはこういうタイプの人なんだろうな。

その後2件目は銀座のママさんがいるお店ですよ。
一人芸人崩れみたいな格好のおれがいってもいいものなのか迷ったんだけど快く連れて行って頂きました。

そこでまたも某貿易会社社長、某会社女社長さん、某保険会社のかたなどなど4人のこれまた大物さんが合流です。

そのたびにおれはここにいても大丈夫なんだろうかと感じたが、呑んでいるうちにおれもリラックスしてきてしまい経営とは・・・組織運営とは・・・お金の流れって言うのは・・とか酒を飲む上でのマナーとか。人のなりはどこにでるのかとか。

そういう話しを聞いてるうちによってたせいもあり、はしばしで社長さんに色々と質問をぶつけてみた。

みなさん自分の親くらいの年のだし立派な方達なのにこんな若造をまっとうに相手してくれてほんとに嬉しかった。

前にも感じたんだけど、ほんとにでかい人は年齢とか見た目とか関係なくまっすぐに話しをしてくれる。

真剣に自分の枠が大きくなりました。
ああこういう人たちがいるんだなって。

ここまででかい人たちだと考え方もやっぱりでかいよ。しかも日本だけで展開する会社じゃないだけに視点が広い。

しかも会話の端々に出てくるこないだ森さんにとか、森さんがさってのが元首相だと気づいたのはもう帰る間際でした。

俺結構どんなひとと話してもそれは違うって思ったり、それは視野が狭いなって感じるんだけど昨日は違った。

久々に納得させられることの連続だった。

そんなある社長さんに

「君は目に力がある!君はほんとにいいよ。今の若い人にしてはしっかり芯が通ってる。ぜひまた呑みに行こうよ」

社交辞令だとしても某ライブ○アの社長とかよりもすごい人たちに素直にそういわれると自信がつく。

自分の考えてること思ってきたことは間違ってなかったんだ。通用するっていう手応えを感じた。

そしてそのあと腹ごなしにとまた寿司屋

ここで驚くべき注文方法を目の当たりにする。

みんなですこしづつ食べましょうっていった女社長さん

それを聞いたもう一人の社長さんが一言

「今あるネタ全部一個づつにぎってきて」

こんな注文ありかよ!

しかもこういう店では注文はこちらからするモノではないらしい。向こうから卵焼きました。とかいいトロはいってますとか、それをもらうかもらわないかなんだよね。

これが大人の世界です・・・・

そしてNGO代表の方はうちに泊まりました。

家に帰ってからも熱い話しをしました。

かなりの寝不足ですが、心がまだ熱いです。


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しげちゃんへ

本当にいい機会をありがとう。
しげちゃんの言うとおりぴったりどんぴしゃ意気投合です。
あそこまで熱い熱いときいてたのに会ったらそれをはるかに凌ぐ熱さでした。

しげちゃんのことベタ褒めだったよ。
あいつは根性あるって。

あの人についてけば間違いないよ。
いい人に出会えたね。

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Title: 東京祭り終了
2005.10.20


またも怒濤の友達週間。いつものように箇条書き。

■17日■

京都から友達が遊びに来る。今日から3泊。
この日は仕事だったので仕事を終わらせ友達を迎えに行くと上野に呑みに行く。

最近よく行く「ふくまめ」
しかしこの店のジンギスカンは旨い

→http://r.gnavi.co.jp/g011006/


友達はまるだしの関西弁で東京楽しいなぁを連発。

満足してもらえてよかったよ。

■18日■

この日は午前中お寺で仕事をして、午後からこっちの友達も合流し5人で六義園にいく、近所ってこともあり小さいときにはよくつれてこられたんだけど、最近全然来てなくて久々に行ったけどやっぱここは都内とは思えない静けさがある。一瞬都会の喧噪が消えてしまう。この日はあいにくの雨だったので、また天気のいい日に写真でもとりにいこう。紅葉が始まったらもっときれいだろうな。

→http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=72

そしてその後その友人たっての希望で秋葉原へ。
なぜ秋葉原なのか。

その目的は・・・秋葉原名物メイドカフェ
社会勉強のために一度見てみたいという。

メイドカフェとはメイドの格好をした店員さんがいるお店でA系の間では絶大な人気を誇るお店らしい。秋葉原をウロウロしてついにメイドカフェ発見。

入るのにかなり勇気がいったが男4人満を持して突入

「おかえりなさいませ~ご主人様~」

の声が店内に響く。

ご主人様?!その時点でおもわず吹き出したw

おかえりって・・・

しかしあとは至って普通の喫茶店。
メニューになんの変哲もない。

お客はほぼA系。

店員の一挙手一投足から目を離さない輩までいる始末。

あきらかに客層から浮いている4人・・・

メイドカフェに来ている人をを見るのもこれまた一興。

ちなみに今回いったお店はここ

→http://cafe-tiara.com/

その後六本木ヒルズでやっている『レオナルド・ダ・ヴィンチ展』を見に行った。ダヴィンチが研究の集大成として遺した直筆ノート『レスター手稿』が日本で初公開されているという。『レスター手稿』とはマイクロソフト社のビル・ゲイツが所蔵し、1年に1度、1カ国だけしか公開されない手稿で人類の宝とまで賞賛されるものだ。全72ページから成り、月の満ち欠けや地殻変動など天文学、流体力学、地球物理などに関する考察が、精緻な鏡面文字(鏡で裏返したような文字)で詳細に記されている。

正直これをみて、ダヴィンチを一言で天才という言葉で片づけるだけでは言い表せない、なんていうかある種自分とは全く違う構造の未知のモノに対する畏怖みたいなものすら感じた。1人の人間が67年の人生の中でこれだけのことを考え証明しつづけるということが本当にできるのだろうか・・・本当に信じられない。

それと同時に絵画の分野でも天才だと言われているがいままで『モナリザ』とか『最後の晩餐』位しかみたことがなかったんだけど今回、ダヴィンチの数々の絵画を見ていて、生まれて初めて絵画というものに見とれてしまった。いままでいろんな美術館にいったし、たくさんの絵画もみた。でも世界中のコレクターが心を奪われるとか、魅入られるなんていうそのその心境をいまいち体験したことはなかった。でも今回レプリカだけどある一枚の絵を見たときにしばらくその前から動けなかった。それは『リッタの聖母』という絵だ。ほんとにこれが魅入られるって言うんだなって思った。この聖母の表情から目がはなせなかった。

ダヴィンチは本当にすごい。すごいというとそれだけで片づけられてしまうが、いままで人類史上最も深い天才だと思う。

時間のある人は是非どうぞ

→http://www.leonardodavinci.jp/

その後巣鴨に戻り沖縄料理屋でまた呑み。

やっぱラフテーは旨い。

■19日■

さすがに疲れたのでこの日は昼間から家でダラダラして過ごす、昼から友達を呼んで4人でDVDを見ながら「笑ってはいけない大会」を開催
人間笑ってはいけないと言われると笑いたくなるモノ。おれは意外にも笑いを我慢できないことが判明。罰ゲームのしっぺで腕は真っ赤に。

そしてその夜は叙々苑へここ数日の想い出を思い出しながら完璧なサシの乗ったカルビに舌鼓。

旨い

この一言に尽きる。

■20日■

そして今日はまたも朝から芋掘り。
天気がよくいろいろと物思いにふけりつつも芋を掘る。


なかなかハードで呑み続けな3日間で体は正直つかれたんだけど、精神的にはかなり充電できた。

やっぱたまにはわっしょいしないとだめだね。

こんどは京都祭りでわっしょい希望。

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Title: 柔軟でいて強い心
2005.10.16


世の中には理想と現実というモノがある。

理想の仕事、理想の彼女、理想の生き方。

どんなことだって人はそのギャップに悩んだり、失望したり、あるいは自分を奮い立たせたりするんだと思う。

幼稚園を始めてからもずっとそれは頭の中にある。とくに教育の中で理想ってのは重要な意味を持つ。でもそこには同時に経営という現実もある。だからこの問題はしょっしゅうおれを悩ませる要素だ。

今日もいつものように理想と現実の間でもちゃもちゃと考え事をしていたらふと思ったことがある。

理想と現実ってのは、どちらも片方ではなりたたないんだってこと。どちらかが消えたらそこで終わりなんだと思うし、どちらか片方では前にも進めない。2つで1つなんだ。

そしてそれを切り離さないようにすることが理想を現実に変えるんだと思う。

理想や夢のない人がいたとして、夢や理想を見つけることができたらまずそれは第1段階のステップを上ったことになる。

つぎにそれを心の中でしっかりと温めて明確なカタチに育てることができたら第2段階になる。

でも多くの人はここまでの段階で終わってしまうんだと思う。せっかくカタチになった理想や夢を、いつまでも夢を見てられないとか、もう大人だからとかいってみたりしながらいやおうのない現実に飲み込まれる。

もがいてみたり旅に出てみたり、夢を語ったりしても現実がついてこなけりゃ夢は語り続けられない。だから現実を受け入れる。

はやくもここで多くの人の理想と現実は切り離される。大抵ここで理想はあくまで理想。現実はあくまで現実。全くの別のモノになっちゃうんだ。

だから次のステップに進めるのは限られた人だけだ、つぎのステップは理想をかなえるために自分が何をすればいいのかをしっかり見据えるとことだと思う。漠然とじゃなく、次の一歩をどこに出すかを逃げ出さずにしっかり見極めることで第3段階になる。

彼らのなかではまだまだ理想と現実がしっかりくっついてる。

ここまでいけたらたいしたもんだ。

でもここから急にハードルは高くなる。

第4段階は実際に足を踏み出すことだ。理想に向かって現実が動き出す。そこに向かう一歩を踏み出せる人ってのは
ホントに限られた人間だけだ。

おれの知る友達の中でここに行き着いてると思える人は1人だけだ。

きっとここまでいける人は、今持ってる理想が失敗してもつぎに向かってまた進み出せる人だと思う。

さらにこの次のステップ。

この上のステップは

現実の為に理想を妥協できる
理想のために現実を妥協できる

ことだと思う。

理想を掲げる限り必ず現実とぶつかる時がある。その時に現実を柔軟に変化させることができて、現実のためには理想のカタチをいくらでも変えられるってことだ。

そのためにはしっかりした芯が必要になる。

でもここまで自分の力で行きついた人多くの人は自分が積み上げてきた理想とか、こだわりとかそういうものにプライドもある。理想にプライドはつきものだ。そのプライドに押し負けて現実を受け入れられなくときがある。

これが受け入れられないならやってても意味がないっていってかたくなに理想を貫いて、それでも譲れないモノが現実に受け入れられない時に潔くあきらめる。

作家でいえば筆を置くときだ。

これを美学とする風習が日本にはあるし、散り際は潔くってのはおれもすごくわかる。

でもそれじゃ結局理想と現実は別々だ。
切り離されてそれで終わり。

腹を切っても世界は変わらない。

ただそこで終わってしまうだけだ。

時にあの人は変わったとか、昔の方がよかったとか、裏切り者といわれても現実に折り合いをつけてでも見据えた先にしっかり進むことができる人。

そして時にゆずれない部分があるときに、時代遅れだと言われても、理解できないていわれても、立ち止まってでもそこに踏みとどまれる人。

そういう想いこそがなにかを動かせるくらいの理想であったり、なにか変えられる夢なんだと思う。

おれは理想を語るだけの人にはなりたくないし
理想を忘れて現実だけでは生きてはいくつもりもない。

現実を忘れた理想主義者にも理想をわすれた現実主義者も
結局はなにもできない。

柔軟でいて強い心こそが理想を夢をかなえる。

理想をかなえるということはなかなか難しい。

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Title: 絶対といったら絶対にかなう
2005.10.15

昨日芋掘りでそれも無事におわり子どもの写真もたくさん撮って家に帰ろうと車を走らせてたら幼稚園から電話があってうちの幼稚園の子どもが帰りのバスから降りてすぐ目の前で車にはねられたのという連絡があった。

すぐ現場いって事故処理をして病院にいったら
命に別状はないものの結構おおきな怪我で
集中治療室にはいっていた。

それをお父さんお母さんと待合室でまつ。

長かった・・・

正直ホントつらかった。

とくに仲のいい子だったしね。

それから2時間くらい待って

麻酔が切れてたのでどうぞといわれ
お父さんとお母さんが病室に行き

そのあとにお父さんが呼びに来てくれて

子どもと話すことができた

痛み止めが効いてるからその子は

「おれもうなおった」って言ってた。

それを聞いたときにはホントにほっとした。
なんか張りつめたモノがふわっとほどけた。

足の脱臼がひどくもとのように歩けるようになるまで
どれくらいの時間がかかるかいまの段階ではわからないという。

でも大丈夫だと思う。
絶対すぐにもとのように歩けるし
すぐに全快する。

絶対に。

おれが絶対といったことは絶対にかなう。

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Title: 上空の冷たい空気
2005.10.12


生きていくうえで絶対に欠かせないモノ

NO1は間違いないく空気だ。

こないだ天気予報をみていてふと感じたことがある。

「上空に冷たい空気があるため大気が不安定になり、雷雨のおそれがあります。」

なんで冷たい空気があると大気が不安定になって雷雨になるんだろうか。と思い調べてみた。

寒気つまり冷たい空気は重い。空気も温度が下がると縮んで密度が高くなり重くなるのである。上空に冷たい空気がやって来ると下層よりも上空の方の空気が重いため、重い空気は下がろうとし、下層の暖かい空気は軽くて上昇しようとするので、対流が発生する。つまり、大気は不安定である。このような状態では、下層の暖かい湿った空気が上昇して雲が発生し、雨や雪が降りやすくなる。

と書いてあった。

空気にも重さがある。

知ってるようで忘れてることだと思った。

石原慎太郎の書いた文章に、
「冷たく重い北の風を受けて艇は力強く進んだ。」という一文がある。

ヨットをやる人に聞くと夏の風速8mと冬の風速8mは同じ風でも力強さが全然違うという。艇のスピードも2割から3割も変わってくるらしい。

冷たい空気は重く力強いということだ。

日常空気の重さを感じることはないが、間違いなくおれの肩に乗っている空気は常に変化しているんだ。

毎日がつまらないって思うことがあるけど、世の中には知ってるようで知らないことで満ちあふれてる。

そういう話をきくとなんかわくわくする。

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Title: 愛おしいと想えること
2005.10.10


昔から算数とか数学とか。数字はだいっきらいだった。

答えは必ずしも一つじゃない方がいい。物事はなんでも抽象的な方がおもしろい。なんてもっともらしいことを言ってみたりするけど。

ただ単に答えが出ないからいらいらするのがイヤなだけだし、なによりも強制させられてドリルをこなす段階でおれは数字を嫌いになった。正直いまだに九九は全部いえるかどうか微妙だし足し算にだって指を使うこともある。それでもりっぱに25年間生きてこれたと胸を張ってる。

でも昔から数字に関わる物語は大好きだ。0を作ったインドの数学者の話も、フェルマーの定理を解いた人はいないとか。懸賞金付きの数学の問題があるとか。相対性理論だってすごく興味深い。常々日記に書く熱伝導の法則だって数式だ。

そういう話ならいくらきいてても飽きない。

先日「博士の愛した数式」を読み終えた。初めは数式って書いてあるだけで吐き気がしそうだし倦厭してたんだけど読み始めたら一気に読み終わった。久々に読み終えたくないと思える本だった。

たかが数字、されど数字。

この本の中で数字はとても貴重な意味を持つ。しかしこれは単に数式や数字に纏わる話ではなくて、数字を通して何かを愛おしいと思うことのすばらしさに触れることができる作品だと思った。好きとか大好きじゃなくて、愛おしいっていう感情が前編にちりばめられている。

博士の数字に対する姿勢。√への愛情。親子のつながり。私の博士を想う気持ち。未亡人の博士を想う気持ち。

すべてに愛おしい。

なにかを心から愛おしいと思う心。その対象がなんであれ、そういう心を持つことが生きていくことでどんなに有意義で、深い意味を持ち、人生に華やかな彩りを添えてくれるんだろうって素直に思える。そして同時に「愛おしい」っていう感情はとても静かで暖かいものなんだな感じることができる。

この本に出てくる博士のような先生がいたらおれはもっと数字が好きになっていたと思う。

そして無条件に愛おしいと思えるなにかに出会えたらきっと人生は最高なんだと思った。

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Title: たまには足下を確認する。
2005.10.07


うっかりすると忘れてしまうことがある。それが一番大事なことだったりする。

原点とか、初めに足を踏み出した場所だったり。自分の原動力になっているものだったり。

長いこと仕事をしていると、はじめに持ってた思いとか気持ちとか、そういうものを忘れがちになる。

なんで自分はここに立っているんだろう。

なんでここにいるんだろう。

なんでこんなことしてるんだろうって

でも誰だってそこにいるのは勝手にそこまで流れてきた訳じゃなくてそこにいる意味が必ずあるはずだ。その意味を見いだしたのは他でもない自分のはずだ。

少なからずなにか決意をしたからそこにいるんだと思う。

かつて持っていたその気持ちこそが壁にぶつかったときに自分に一番大切なものだったりする。

そもそもおれが文章を書き始めたのは高校の時からだ。なにかを書きためておくのはどうも血筋であるらしい。

正直初めは意味なんて見いだしてなかったし、ただその時々に、きっといま感じてる感情はきっと大切だから忘れないようにしなくちゃって思って思いついたのがこの方法だったっていうだけだ。今思えばなんども反芻したくなるような感情がたくさんあって、それがきっともったいなくて忘れたくなかったんだと思う。

初めはだれに見られるわけでもなく自分で走り書きしていたものがHPを作ったことでたくさんの人の目に触れられるようになった。話が脱線しちゃうけど、そもそもなんでHPをつくり感じたこととか思ったことをのせたかといえば

いまのおれがいるのはいままで自分に関わったたくさんの人がいたからで、その人達からたくさんのきっかけをもらったからだ。きっとこれからもたくさんのきっかけをもらっておれは生きていく。そのきっかけや、忘れたくない言葉とか出来事とか感情をおれの集大成としてすべてはきだしていって記録しておきたかったから。その一つ一つを忘れたくないから。そしてまたその中でつねに変化していく自分の感情とか気持ちもしっかりと見ていたかったから。

そしてそれがまた誰かのきっかけになって、それがまた誰かのきっかけになって、そうやって人がつながっていけたらいいとおもったから。

そして何よりも人にさらすということは甘えがでないからいい。なんでもそうだけど見られるということは人を大きくするから。

でも長い間いろんなところで文章を書いているていると、評価もされるようになるし、褒めてくれる人もいれば、否定をする人もいる。

そのうちに評価だって気になりだす。

そりゃ人間だから褒められれば素直にうれしいし
けなされれば素直に悔しい。

褒められればもっといい物を書きたいと感じるし
けなされればお前にはわかるもんかって。

でもどちらに転んでも次におれはおれ以上のモノを書かなきゃと思うようになる。

いいことかかなきゃ・・・って思えば思うほど

そのうちに自分らしさを失ってしまう気がして怖くなるときがある。

なにをかけばいいんだろう。

なにかかかなきゃって。

これじゃ本末転倒だ。

最初に言ったとおりおれにとっての書くという行為は
反芻したくなるような感情を忘れないための記録だ。

だからありのままをかけばいい。

いいものをかくなんてえらそうなことすこしでも感じたら終わりだぞ。
と自分に言い聞かせる。

おれが書く文章はおれの感じたすべてだから。これはおれという人間の一部分であることは間違いない。

どうあがいてもこれ以上でもこれ以下でもなれるはずがない。

なんでもそうだ、本末転倒にだけはなりたくないから、

だからたまにこうやって自分の足下を確認してみたりする。

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Title: つながるおもい
2005.10.05


すこし前に書いたけどあるNGOのHP作成を頼まれた。依頼してきたのはシゲちゃんだ。いまスーダンでアラビア語を勉強してる友達で今勉強の為にスーダンで医療活動をするNGOで通訳をしているという。その「Reliance」というNGOのHPだ。日本のニュースでも取り上げられるという話もあり、さすがに一人では手に余ると、WEB作成の師でもあり共に「UNIPH」を立ち上げたオランダのタクロウ君に協力を依頼し「UNIPH」として一つのHPを立ち上げることにした。時間的にも厳しいスケジュールだったけどタクロウ君のおかげでついに完成。任せっきりになってしまったけど、やっぱり彼にお願いしてよかったと確信できるモノができた。

正直はじめはどういうNGOかも知らずに他ならぬシゲちゃんの頼みだと。二つ返事で引き受けたのだが、そこの代表の川原さんからシゲちゃんを通してメールをもらい、また作成の中でRelianceを支える人々や川原さんの熱い想いに触れていくうちに自分のなかでも彼らの生き方に感化され川原さんの生き方に深く感動したし、なによりも文章を通じてでも熱さががんがん伝わってきた。こういう活動にすこしでも関われたこと、すこしでも役に立てたことを誇りに思う。

川原さんの強い思いとか、心の熱さがシゲちゃんに、そして俺に、そしてタクロウ君に。もちろん俺らだけじゃなくてRelianceを支えるすべての人につながっていて、なんか久々に人と人が一つの想いでつながっていくっていう感覚を味わえた。

人間ってすばらしい。

やっぱり俺はいつまでも人と関わって生きていきたいと改めてそう感じた。

いいきっかけをありがとう。

「Reliance」HP→http://www.reliance-sudan.org/index.htm

「UNIPH」HP→http://www.uniph.com/

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Title: 口論の原因
2005.10.03


つい最近幼稚園である年輩の先生とかなりの口論をした。その先生はもう25年もいる大ベテランだ。でもどうしても納得できなかったので思わず熱が入り周りの先生達は思わず黙ってしまった。

なぜそこまであつくなったかと言えば。

子どもが喧嘩をしてるときに無理に仲直りさせる必要はないと思うといったおれに、大人がそこを間に入って仲直りさせるのも教育だし、集団生活を覚えることだといった。

それがどうにも納得できない。

5歳の子どもに上辺で人とつき合うことを教えてどうするんだ。こんな時から友達とつき合うこと、人とつき合うことは窮屈だなぁって思って欲しくない。これからイヤというほどそういう場面には出くわすんだよ。そういうときに根本で人と関わるのは楽しいことなんだっていう根っこをもっていてほしい。

いまは人と関わることを楽しいっていうプラスになる体験をたくさんして欲しいと思う。

それともう一つ。先生がお話をしてるときは口を閉じましょう、手を膝に置きましょう。これがお約束です。

おれはこれがだいっきらいだ。

こうやってルールとか、決まりとか。そういうモノに対するイメージがイコール我慢とか、イヤなモノになっていくんだと思う。

本当の意味でのルールは自分たちが楽しく遊ぶために自分たちで生み出すモノで、それが新しい創造につながっていくんだと思う。

だいたいお約束とかで何かを守らせることができるのは幼稚園児くらいだ。これから中学高校に進み「お約束」でなにかを強制できなくなったときにここでルールとか決まりに悪いイメージしかないとそれを無条件に嫌い反発するようになるんだよ。おれみたいに。

だから最近おもうのは幼児期にはなんでもそういかにプラスの原体験をさせるかだ。

友達とかかわるときだって無理に仲直りなんかいらない。ほっおっておいたって子どもは次の日にニコニコ一緒に遊んでるよ。もちろんごめんなさいの気持ちは大切だよ。でもそれは心から沸いてこなくちゃ意味がない。大人はそれが沸いてきた瞬間を見逃さないで口から出るのを後押ししてあげることが必要なんだよ。無理矢理いわせたごめんなさいに何の意味もない。

お約束だってそうだ。みんなで静かにできたら気持ちいいね。心が静かになるね。みんなが話をしてたら楽しいお話が聞こえないね。ルールを強制するのではなくそうやって感じていけばいい。無理矢理強制させて黙らせてるなんてただしんどいだけだ。大人だってそういう中にいたらしんどいのに、子どもがどれだけしんどいか。

おれは保育を専門に勉強した訳じゃない。正直あまりいい子でもなかった。だからできない子、約束を守れない子の気持ちはよくわかるし、守らされてきた子どもがこうなるってこともわかる。

だいたいだ、大人っていったって一人の人間になにかを教えられるほど成長してるのかといえばそうじゃない。

むしろ子どもの方が優れてる部分なんてたくさんある。

最近思うのは幼児教育って、いかに子どもの部分をなくさないで大人にしていくかってことじゃないかと思うんだよね。

子どもにしかない大切な心をのばしてあげられたらそれはそれは最高だ。それができる先生ってのはホントに一握りだと思う。のばせなくてもせめてその心がなくならないようにしてあげてほしい。


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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。