• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 無宗教

知らなくても生きていけるけどしってるとよりよく生きていけることっていうことはたくさんある。

ほんとにきっかけは些細なことで言葉にするとありきたりなものだけどその一瞬に気づけるかどうか。その些細なことを自分の中に落とせるかどうか。

そういう秘密みたいなものが人生にはたくさんある。

バレエで一番きつい姿勢は立つということだというけど、ただ立っているというだけで体にどれだけ負荷がかかっているかとか。なにごとも上り坂よりも下り坂よりも大変なんだとか。深く深呼吸すると普段の倍くらい肺が広がるんだとか。

どうでもいいの一言で片付けられるししらなくてもなんの問題もないようみえるこういうものに気づくとその小さな気づきが自分を劇的にかえることがある。

宗教も保育もそうだと思う。最後は知識じゃない。当たり前に自分の生活の中にあることに意識的になれるかということ。

自分が無宗教であるということをなんのはばかりもなく声を大にしていえるという事実が末法だなと思う。

サウジアラビアでは無宗教の人間は入国できないらしい。無宗教だなんてそんな奴はなにをするかわからないじゃないかという理論だそうだ。

宗教というのは一言でいえば、人が人間らしく生きるために必要なものっていうことなんだと思う。

道で苦しんでいる人がいたら声をかけられるとか。世の中には勉強よりも大切なことがあるとか。生きるとはどういうことかとか。価値観や情報に振り回されているということは気づかないうちに疲弊してるんですよとか。カリカリしなさんなゆったりとね。と声をかけてくれるものなんだと思う。

ある人の話の中で、数年前にほんの数分遅刻した子どもが、先生が勢いよくしめた鉄の門に挟まれ死亡する事故がありましたが、あれが人間らしく生きているということになるんですかね。

遅刻することはよくないかもしれないけども、遅刻することの以前に大切なことを教えるものが宗教であると言っていました。

合理的じゃなくて理論的じゃないし、競争社会じゃ生き残れないかもしれないし、時代錯誤だと感じるかもしれないけど、それでいいんだと思えるかどうかなんだろうと思う。

インドで自分の父親が病気になった人がいた、その人は会社を6か月休んで父を看病した。そして父は半年後に亡くなった。その間に医者は2回しか来なかったという。最後まで病名もわからなかったという。

日本ならまず6か月も会社を休めるわけがない。まず病院に入院する。そして癌ですといわれて放射線治療でもするんだろう。毎日お医者さんは診察をしてくれる、でもその反面もしかしたら半年で息子が見舞いに来れるのは2回かもしれない。そしてそのまま1年は生きられるかもしれない。

どっちが人間らしいんだろうか。

どっちが幸せなんだろうか。。

それを教えてくれるのが宗教なわけで、無宗教ですと声を大にしていくということは、そういうことには全く興味もなければ関係ないですよ。インド人はかわいそうだなちゃんとした医療制度がなくて。半年でも長く生きられたほうがいいじゃないかと声を大にしていうのとおんなじなんじゃないかと思う。

そういうことに気づけるきっかけが宗教なんだと思う。

POSTED @ 2008.10.16 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。