Title: Last straw
Last strawという言葉がある。
「最後の一藁」
らくだの背中にたくさんの藁を積んで、旅をしているときに、たった一本の藁が風で舞ってくる。そのたった一本の藁がらくだの背中に舞い落ちる。
そのたった一藁の重さでらくだの積載量を超えてらくだが崩れ落ちるという逸話だ。
一旦自殺のニュースが流れ始めると連鎖するように自殺者が相次ぐ。
ぎりぎりまで張りつめた心は、ほんのささいな一言だったり、ただの報道だったり。道を歩く人の雑談だったり。ほんとに周りからすればなんてことない事実で簡単に決壊する。
昨日まで元気だったのに。
とくに変わった様子はなかったのに。
なにかが起きるとよく周りの人はそういう。
自殺をする人の多くは前もって計画的に自殺をするのではないという。
ぎりぎりまで耐えてがんばって笑顔を作って、自分の心を限界まで持ちこたえさせている。そんな時になにかが最後の一藁になってしまいいっきに崩れ落ちるんだという。
人は弱くない。
弱くないからぎりぎりまで自分を追い込んでしまうんだと思う。本当に心が強い人ほど最後の一藁が舞い落ちる瞬間まで耐えてしまうんだと思う。
よく自殺をするくらいなら何か他の方法があったんじゃないかという人がいる。死ぬ気きになればなんとかなるんじゃないかっておれもそう思ってたけど。
でも自殺をする人は、最後の最後までその方法をさがしていたんじゃないだろうか。なにか別の視点とか、別の方法とかじゃなく、真っ向から目の前の問題をなんとか乗り越えようとしたんじゃないだろうか。自分としっかり向き合ったんじゃないだろうか。
自殺だけじゃない。
親をバットで殴り殺した少年も。子どもをベランダから投げ落とした主婦も。友達を刺し殺した中学生も。妹をバラバラにした少年も。
がんばれとか。前向きにいこうよとか、顔上げようよとか、そんな言葉じゃなくて。もうがんばらなくてもいいよ。いいじゃんそのまんまで。1人では乗り越えられないこともあるよ。って言ってあげられたらそうならなかったのかもしれないと思うとものすごくせつなくなる。
ぎりぎりまで張りつめたものになにかをのせてしまう言葉ではなく、その重みを少しでも取り除いてあげられる言葉をたくさん持っていたいと思った。誰かのそういう心に気づいてあげられたらと思った。
くそったれ。
偽善でもなんでもいい。少なくとも自分の手の届く所にいる人だけでもそんなことで苦しまないでいてくれたらそれでいい。
POSTED @ 2007.05.30 |
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