Title: 白玉。
指先がどくどく脈打ってあっという間に真っ赤になった。
七夕に使おうと竹やぶに入って、「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」なんて一文があったななんて、のらりくらりと竹を切っていたら、うっかり竹で指先を切った。久々にくるこのズキズキ感と、どろっとした感触に痛いんだけどなんかわくわくもした。
気圧の関係なのか、どうもここのところずっと眠いし、だるかったのが、一気にしゃきっとしたきがして、こんなことでしゃきっとしてる自分ってばちょっと大丈夫かいなと思った。
血というのは人を高揚させる効果があるのかもしれない。
でもそんなんじゃ仕事できないので、特技といってもいいほど得意な止血で、ささっと血を止めて、デスクワークに取りかかってみて、右手の人差指に包帯巻いてると、こんなにパソコンが打ちづらいのかと気づかされるわけです。
しかもenterボタンの調子が悪くて、反応が鈍いので、二重に効率が悪いのです。
はてさてそんな今日ですが。
明日は七夕だそうです。
でも雨だから1年に1度の遠距離恋愛も実らないわけです。でも思うに、1年に1度しか会えないことはかわいそうなことかと思えば、その状況でしか育まれないものもあるんだろうなと思う。
1年に1度しか会えなくなったからこそ、七夕の寓話は愛のある話になるんだろう。昔から、なにか状況的な困難があるほど二人の絆は深まるというもので。
感情とは別のところで、状況や環境というのはいろんなことに作用していると思うのです、自分の脳みそで考え出されたベストな答えなんて所詮、自分に都合のいい側面的な意見みたいなもんで、本当に大事なことは感情とは別のところにあると思います。
一緒にいたいからいれるだけいればいいじゃんというのが、人間の浅はかなところで、進化を止められなくて自滅していく人間の本来の習性なのかもしれないと思うのです。
だからきっと、誰かと本当に絆を結ぶのには、きっと感情ではなく、まずは状況を整えることだと思うのです。
七夕の竹を血だらけで取りながらそんなことを考えながら、短冊に世界平和と書いた。
10年前に書いた世界平和と、今書く世界平和じゃ、そこに込めてる想いは全然ちがってるけど、でもやはり世界はピンフがいいと思うのです。
ああ指がずきずきどくどくする。
なんか妙に生きてるんだなぁというリアリティがある。
やっぱ人間は取り繕えない状況にリアリティを感じて、リアリティを感じることで、自分の分限をしることができて、分限をしることは、誰かを認めるとこにつながるんだろうと思う。
な~もなも。
そして白玉は夏の食べ物です。
POSTED @ 2010.07.06 |
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