Title: 梅雨に種から芽が出る
今日から梅雨入りらしい。今年もきたねこの季節。
最高の夏を迎えるための布石だと思ってがんばって乗り越えよう。とはいえそんなにこのじめじめ感も雨ばっかりの日々も最近はいうほど嫌いじゃない。
新学期が4月に始まって毎日びーびー泣いて一人で靴も履けなかったような子ども達がここ2ヶ月で驚くほどの成長をみせる。毎年毎年この時期になると書くけど、成長が目に見えるっていう光景に立ち会えるってのはすごい。
4月当初はクラスになじめずに毎日職員室に来ておれのところに来てた女の子も最近はまっすぐ教室に行ってしっかり遊んでる。自分の居場所をしっかり見つけたみたいだ。寂しくもあるけど、こういう瞬間を目の当たりにすると幼稚園ってのはすごいなと思う。
昨日できなかったことが今日できるようになる。
忘れちゃいけない感覚だと思う。
最近自分の書くものがどうも好きじゃなくて、気持ちより先に頭で書く文章ばっか。気持ちが先にでて指がついてこないなんて感覚を久しく感じてないし。しばらく書くのやめようかなと思ってた時に、友達からメールがきて、それを読んだらなんか、おっとこんなところで立ち止まってたらだめだった。つべこべ頭で考えるなって、改めて自分を見直す機会になった。あやうくつまんないもんに飲み込まれて足下すくわれるところだった。まえにまえに。
そんな気持ちでコブクロの「轍」を聞きながら走りに行った。ひさびさに気持ちよく走れた。夜の気温が身体にしみこむいい時期になった。
しがらみとかたまに嫌になるしめんどくさいけど、やっぱりおれは誰かとつながっていないと自分の道を再確認できないし、一人で走り続けられるほど強い人間じゃないと思う。
しかし気づかないうちに自分の立ち位置がぼやけたり、しばらく前に出れないときには、いつだってタイムリーな出来事やきっかけがおきてはっと気づかされる。そういう意味では運がいい。
でも運はきっと自分でアンテナ張り巡らして模索して、自分にとってプラスになりそうな小さなきっかけを見落とさないようにそっと拾い上げることなんだと思う。きっかけなんてどこにでも落ちてて、それをいかに自分のなかに取り込んで自分のことを投影して、自分の糧にできるかなんだと思う。
気づかなかったらみすごす様な小さな出来事にもきっとなにかはっと気づかせられる意味が込められてるかもしれない。こじつけでもいいからそこから自分を大きくできる能力がきっと運をつかみ取ることなんだと思う。
だから運ってのはなんにもしないで何にも考えないでただ空から振ってくるものではないような気がする。
POSTED @ 2006.06.09 |
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