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Title: 自分らしく生きること
いままで人生というものは、というよりも自分らしく生きるということは
ここ二、三日そんなことばかりを考えてる。 実は人生は自分の上に乗っかっているモノを いやがおうにも自分の上にはいろんなものが積まれてくる 知らず知らずにのっかってくる箱みたいなもんだ。 生きてる限り息をしてるのと同じで一つまた一つと そういうものに経験だとか自分らしさだとか、プライドだとか でもそうやって自分の上にのっかったモノ。 でもそれを意識的におろそうとすると 「自分らしさ」 「幸せ」 「プライド」 「安心」 「責任」 「家族」 「恋人」 「見栄」 「過去の栄光」 って書いてあるんだ。これは大事だ。 おろせない・・・・って思うような荷札でいっぱいだ いきなり全部じゃなくてもいい、そのなかから 一見難しそうだけど多かれ少なかれみんながつぶれずにいるのは 時に中にはそれを意地でも手放さない、手放せない人もいる。 三島由紀夫も川端康成も そういう生き方もある。 抱えた荷物を極限まで増やすか、極限までへらすか。 いままでむき出しの自分でいるってことは裸で抜き身の刀の中を歩くようなもんだと 46歳になっても、人生に迷ってふと、『自分らしさ』って何だろうって思い、そのままの単語を入力しました。プライド、家族、責任、見栄、母親、妻・・・このかたまりが私のように思えてきました。この荷物をどうやって降ろしたらいいの? 死んだも同然のように、ただ息をして、ご飯を食べているだけの最近の私。生きがいってなんだろう。 コメントありがとうございます。 自分らしさということについて、いままで自分の中でことあるごとに考えてきました。 いま思うのは、自分らしさというのは、まず自分らしさという言葉にとらわれないように生きることなのかもしれないと思います。 自分の思う自分らしさというのは、本当はなにかの願望であったり、保守であるのかもしれません。 自分らしさとは、まっすぐに力を抜いて、そのままいられることではないかと思います。 そしてその中で失うもの得るものに身をゆだねることでもあるのかもしれないと思います。 それと、幸せとか生きがいについても同じなような気がします。それは見つけるよりも、やはり自分の中の感受性が磨かれることであぶり出されるものなのかもしれないと思うことがあります。 まだまだ自分にもわからないことだらけで手探り状態ですが(笑)でも生きることは、生きているだけでもう意味がある気がします。 Posted by: RYO @ 2010年06月02日 10:49コメントを書く。 |
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