Title: 感謝していきる。

もうすぐおじいちゃんの7回忌ってこともあって最近ことあるごとにおじいちゃんの言ってたことを思い出す。

感謝をわすれちゃいけない。

あたりまえなんだけどそれを頭じゃなくて心でしっかりと捕まえるのはものすごく大変なことだ。

感謝の心を忘れないようにしようっていくら心に決めたって、食べ物には不自由してないくて、着る物にもこまってなくて、当たり前のように明日も生きてることを疑えない自分を含め今に生きている多くの人たちはどう考えたって意識をしなければ自分は自分一人で生きてるんだって錯覚したっておかしくない。


口先だけじゃなくて何かに感謝することがどれだけ難しいことなのか肌をもって痛感する。よく目をこらさなければ本質が見えない事ってたくさんあるもんだ。

おじいちゃんが生きてるときに、誕生日ってのは、おめでとうを言われる日じゃなくて。ありがとうを言わなければいけない日なんだって言ってた。自分がそこにいるのは一人でいると思うなって。

子どものときには意味がわかんなかったけど今ならその意味ははっきりわかる。

ちょっと考えればわかるけど、自分自身では気づけなかったことだと思う。

いまその言葉を思い出すとものすごい真宗的で、ああやっぱ自分の中にはそういう宗教的な思想がたくさんながれてるんだなと思う。

自分が生まれたことに感謝をすることなんて意識しないでできることじゃない。

でもそれを意識することが生きるってことで、生きるとか自分とかそういうものをしっかりと自分の中で浮き彫りにさせることが全部の答えの入り口になる。特別じゃない。ただの人だおれは。って。

感謝することとか、なんで働くのかとか、なんで自分がここにいるのかとか、なんとなく浮かぶ問いにもはっきりした答えは絶対にある。でもそれは誰も教えてくれない。だから自分でそこにスポットあてて頭を使わなきゃ死ぬまで見えないことがたくさんある。

ましてや幼稚園にいると自分自身がそういうことをいつだってしっかりと受け止めて見つめて痛感してなくちゃ何も育めないと思う。

自分が食べ物に感謝してないのに子ども達に食べ物を大切にしようっていったってなにも伝わらないし、自分が命ってのはすごいなって感じてないのに、子どもに命の大切さを伝える事なんてできないわけで。

なにかを育むっていうのは、自分の体温でみんなを暖めるようなほんとうに気の遠くなる作業なんじゃないかと思う。


POSTED @ 2006.11.13 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。