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Title: 苦しみのもとはかわらない。
昨日もやもやといろいろ考えてるときにふと気づいたことがある。 自分が基本的にいやだな、苦しいなと思うこともうれしいな、幸せだなと感じることも。種類をよく考えてみると物心ついたときから大抵は同じ種類のものだと思う。状況は違えと根本的に同じなんだよね。よく考えるとぜんぜん変わってない。小学校ぐらいから。 ようは違うのは処理の仕方に幅がでるかどうかということだけで湧いてくるものはかわらない。 これからさきもそういう状況があればおなじようなことに悩んだり喜んだりするんだと思う。 なんでそういうことになるかといえば人間には欲求というものがあるからで。満たされれば気持ちがいいしそれが満たされないとフラストレーションがたまるわけですよ。そのフラストレーションが言い換えればストレスで、つまりは欲求不満の一種で。結局それが苦しみの種みたいなもんになるわけだ。 その欲求は人それぞれ違うけど。その欲の源とどの欲が自分の中で強いかというのは生きてるあいだにがらりとかわることってそうそうないんじゃないかと思う。 欲とつくものには終りがない。 十分に満たされたからもうこれでいいや。って思うまでつきすすもうなんて思っててもそんなこと思える瞬間なんて死ぬまでこないわけで。 食欲性欲睡眠欲に自己顕示欲に愛欲に自由欲。 自分の中でこれだけは譲れないなぁと思うものは。きっと死ぬまで譲れないんだと思う。 きれいな格好してる人も。すました顔してる人も。家がない人もある人も。頭がいい人も悪い人も。 その死ぬまで譲れないたちの悪いもののおかげでことあるごとに苦しめられるわけだ。 そんで時にきったないことを思いついたり口にしてしまったりゴミ箱を蹴っ飛ばしてしまうこともある。 そんでそんな自分をなんとか肯定しながら納得して。また同じことを繰り返して苦しんでいく。 その繰り返し。 処理の仕方はうまくなってもなんにも根本的な解決にはなってない。 むしろ処理がうまくなってくるとますます根本的なことに目をむけなくなる。 ずっと堂々巡り。 その螺旋があるとき突然切れて。それからぜんぶ開放されるところが覚るってことなんだろうか。 まえにまえに。 |
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