Title: 頭をがつんとたたかrても目覚められないこともある。
2006.10.31

先日うちの寺で講演会があった。NHKや大学などでも講演をしている有名な仏教学者であり心理学者でもある先生のお話だった。

1時間半にも渡る講演を最後まで飽きることなく聴けたということはやっぱりその人の何かを伝えようという気持ちと聴く側の求めてるモノがしっかりとあってたからだと思う。すべてが響くのではなく、ポイントポイントですっとはいってくる言葉があるのは自分がまだ行き着いていないところから感じた言葉がたくさんあるんだと思った。

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Title: 十人十色
2006.10.25

最近気づくと口癖のように「いやぁ世の中ほんといろんな人がいるわ」と言っている。

本当に世の中にはいろんな人がいる。

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Title: 浄土真宗における法事
2006.10.06

昨日のひさびさにおじいちゃんが夢に出てきて、何かを話していた。夢の中で冷静にああやっぱりこういうことを言ってくれる人がいると心から安心する。って思ったんだけど、朝起きたらそれが何だったのか思い出せない。すごく大切なことだったような気がする。もうすぐ7回忌だしなにかを伝えに夢枕か。もう7回忌なんだと思うと当たり前のようにあった景色が少しづつ変わっていき今ある日常があたりまえになるころには、またなにかが変わっていくんだなと思う。

「無常」という言葉があるけど、ほんとに最近つくづく常にあるものなんてなにもないんだと実感する。当たり前のように家族がいて親戚がいて。職場の仲間がいて、友達がいて、それこそうちの犬がいて。その中でのふとしたなにげない会話や、なにげないやりとりや、たわいもない馬鹿話だって、いつまでも当たり前のようにそこにありつづけるかなんてわからない。人は常に変化の中で生きていて、変化の中でなにかを学び、変化の中で何かを失う。

人は時に変化してはじめてなにかの大切さや尊さを感じたり。失ってはじめてそれを実感する。でもそれはいつでも想像しうる当たり前のことで、なにも食べなきゃ腹が減るっていうくらいわかりきってることなのに、そんなことには目を向けないで、あくせく先ばっかり、明日ばっかり、みてるからその時になってみないとその尊さとか自分が立ってる場所とか。そういうものに気付なくなっちゃうんだと思う。歩くときには少し前を見据えてても、たまには立ち止まって足下を確認するってことはやっぱり必要だと思う。

いまの自分の周りに流れている時間とか環境とか、すべては今にしかない瞬間の連続だ。生きるっていうのは刻々と過ぎる時間の中でそれをしっかりと見据えて、自分に起きるすべての出来事を幾重にも纏っていく作業の連続なんだと思う。

今ここに自分がいる。

これだけが真実でこれだけが儚くも消えていく中で生きてるっていうことのすべてなんだと思う。

そして同時に今ここに自分が立っていられるのは今の自分に関わってるたくさんの人がいるおかげだと思う。

浄土真宗において法事という行事は、供養のために行うのではなくて、亡き人を通しいま自分が生きているという尊さに気づくための人間回復の大切な機縁だといった人がいるけど、本当に大切なことだと思う。そういう時間を持たないで生きるってことは、手探りでやみくもに暗闇を走り抜けるようなもんだと思う。


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  • 1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。