Title: 一期一会
2008.12.26


この時期になるといつも自然といままで書いたものをざっと読み返す。読み返すことで自分の歩いてきたことや考えてきたことの過程をたどる。そしていまの自分が足踏みしてないことに安心をしたり、時間のなさに焦ったり、自分の小ささを反省したりする。

リベラルとか保守とか。自分らしさとか、誇りとか、プライドとか、かっこいいとか。

そんなものに頑なな自分の言葉を読み返してみて、ここ数年で自分の中で変わったなと思う部分は、変わるものは守ろうとしても変わるし、変わらないものは変えようとしても変わらないと思えるようになったこと。

自分が意識的に守れてるとか保ててるなんてものはいつだってなくなるようなあやういものでしかない。それが流れでそれが移ろいでそれが出会いで別れでもあるわけで。自分がいくらがんばっても自分の中にある流れや今の自分の周りを取り囲むすべての要因をひとつづつ変えることなんてできない。

あがいてもうけいれても、最後は人間死ぬだけで、慈善事業をしてても、世界の経済を動かしてても、一人でもたくさんの人に囲まれてても、がんばってもがんばんなくても。さみしくてもさみしくなくても。

最後はたった一人ぼっちで、最後の最後に笑えるかどうかは自分次第だから、だれかに笑わせてもらわなくても、いつだってこんな自分に笑える自分でいたいと思う。

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Title: 年の瀬
2008.12.24


時代や社会の思惑からドロップアウトした人や言い方は悪いけどそういう求められているものに矛盾やずれを感じて、そして社会に不適合といわれはみだしものみたいな扱いをされる人がたくさんいる。いつの時代にもそういう人はいる。

天皇陛下万歳の時代にこんなことをして日本が勝てるかと叫んだ人や、エコノミックアニマルになれなかった団塊の世代やひきこもりも登校拒否もホームレスも。

そういう人に時代や社会や常識はそういう人には価値がなくてそうじゃないことの方がいいことなんだと口々に言う。それを聞いてみんなああはなるまいと必死に社会や規範や常識にしがみつこうとする。あれはだめなやつだ。ああなったら終わりだと必死に食らいつこうとする。

今年1年を振りかえって感じるのは、みんなそうやって食らいついて、社会や規範についていこうと頑張ってきた人たちに限界がきたみたいだ。今年1年でアメリカのテロの犠牲者の10倍以上もの人が自殺してる国がまともなわけがない。

きっと日本人はがんばりすぎたのかもしれない。がんばって歯を食いしばりすぎたのかもしれない。耐え忍ぶことは日本人の誇りなのかもしれないし、民族性なのかもしれないけど。人一人の心が耐えうることのできる現実を超えたのかもしれない。

思うに、がんばってがんばってもどうにもならないことがあるってことや、自分の力でいくら抗おうとしても変えられないことがあるということをしっかり認識することは大事だと思う。実際よく考えればすべてが思い通りになって今がある人なんていないはずだし。でもその現実を悲観してあきらめるのではなく、そんなどうしょうもない自分をしっかり認めてこの社会には適合できないなぁってしっかり理解しればいいんだと思う。

あらがってもあらがわなくても、目の前にはいいことも悪いことも普通に起きる。考えても考えなくても自分の目の前に起きることはいいことばかりではない。考えたらすこしでもいい方向に進むかといえば必ずしもそうじゃない。

人生は思い通りにいかないことのほうが自然なんだということを知った時にはじめて、自分はいろんなものから解放されるんじゃないかと思う。おもうにそこではじめて自分は無限で自由でなににもしばられないんだって心から思えるんじゃないかと思う。

安穏で平穏であるということは、手を離すってことだと思う。戦わないということだと思う。

そう思ってるのにそんなことしてたら飢え死にしちゃうぜ。社会不適合では飯は食えないぜ。そんなこといっても家族や恋人はどうすんだってきれいごとじゃ生きてはいけないぜ。

ってすぐにいろんなものが自分にのしかかってくる。

でも究極そうやって生きていこうと思って生きること、先とか後とかに意識をおかずに今をしっかりみつめて今できることだけをしていく、もしそれで失うものがあるとしたら、きっとそれはいつか自分を苦しめる一つの要因なんじゃないかと思う。

必死にがんばっていなきゃ手におさめておけないものは手放してもいいんじゃないかと思う。

きっとたくさんのものを失っても、なんにもなくなっても、周りからなんていわれようと、誰よりも安らかで誰よりも安穏で平穏で幸せなんじゃないかと思う。

頭であれを失ったらああなってこうなって、きっとみじめで周りからああ思われちゃう。なんてことはただの妄想の一つでしかない、妄想にとりつかれて物事を正しい目で見れないのが人間。

そんな自分に気づけるかどうか。

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Title: 裁判員制度
2008.12.07

裁判員制度が始まる。自分の身の回りにも何人か裁判員の通知書が届いた。

法治国家ですから人が人を裁くことにいまさら反対してもどうにもならないけど、その小さな苦しみの火種みたいなものを国民中にばらまかなくてもいいのに。人が人を裁くということが人間の心や価値観にどんな影響を与えるかということにもっと深く疑問を持たなくていいんだろうか。

さも自分は正しい人間であるかのように人を裁くこと。そして人を裁いたことに対してあれはあれでよかった。しょうがないよあの人は裁かれて当然となんの疑問を持たなくなることの恐ろしさ。

あの人は死刑になってしょうがない。自分は正しい。自分の価値観は正しい。あいつは悪者。

そんな考え方や価値観が蔓延していくのがものすごく怖い。

この制度が始まってしまった以上は裁くということだけが価値観やなにかの基準に照らし合わせられて淡々と作業的に進められるのではなく、せめてそこに携わった時に、裁く側と裁かれる側を隔てるものがなんであるのかということにもしっかりと目を向けられるような制度になってほしいと思う。

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  • 1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。